2006.12.24

正月らしく

地上波で放映予定、『アレキサンダー』。1月1日24:50~(TBS)。深夜枠……。

で、たまたまそれとは全く関係なく、『運命ではなく』(ハンガリー系ユダヤ人ノーベル賞作家イムレ・ケルテースの原作小説の映画化)という映画の情報を探していたら、見つけたコダックの日本語サイトの中に、『アレキサンダー』の撮影についてロドリゴ・プリエトが専門的な話をしている記事を発見。
『アレキサンダー』(アメリカ)
壮大なスケールで描くアレキサンダー大王の生涯

少なくとも、ここでプリエトが言っている「観客は熱と汗とほこりを感じ、映画を通して場所と時間を経験するべきなんだ。単なる伝説上のアレキサンダーだけでなく、彼の考え方も共有する必要がある」という点は、かなり良いところまで行っていたと思うが……。

「ガウガメラの戦いについてはオリヴァーがずっと黄色い砂ぼこりのことを話していたんだ。そのシーンをモロッコで白色光の下で撮影したときには、砂ぼこりと太陽両方の感じを伝えるために、タバコ色のフィルターを使った。暖色の映像なのに何となく攻撃的で、見ていて不安になる感じなんだ」

「アレキサンダーの死の直前に行われた戦いの重要な場面で、プリエトはストーンに、史実的な表現からシュールレアリズムに転換することを提案した。「この場面の現実感には別の方法でアプローチできると感じたので、赤外カラーで撮影した。結果は奇妙な幻覚みたいになった。植物がピンクやマゼンタに、血が黄色になり、突然映像ががらりと変わって現実と完全なファンタジーが一体になる」

映像処理が映画の物語表現においてどれほど大きな意味を持っているか、頭に焼き付いている具体的なシーンを挙げて語られると、素人にもいくらかは理解ができる。クリストファー・ドイルの本などでもよくこんなことが書かれているけれど……。

撮影中、プリエトが悪夢に悩まされたというのが、どんな悪夢なのかを考えると(失礼だが)面白い。

ちなみに探していた映画『運命ではなく』は、原題は"Sorstalanság "(英題"Fateless")という2005年のハンガリー/ドイツ/イギリス合作映画。『アレキサンダー』と同じコダックのサイトの記事はこれ。撮影のギュラ・パドスは、この作品でヨーロッパ映画賞の撮影賞を受賞している(エンニオ・モリコーネが作曲賞を受賞)。ベルリン国際映画祭(2005年)でも上映されている、いわゆるホロコーストものだが、いつも(一方的に)お世話になっている、すみ&にえさんのすみ&にえ「ほんやく本のススメ」では原作について面白い紹介がされている→「不届きにもアウシュヴィッツの脱神話化に成功した」一筋縄ではいかないホロコースト小説。これならば、読んでみたいと思う。

で、何でこの映画を探していたと言えば、アノ人がイギリスの軍人役で(多分ちょっぴり)顔を出しているからで……(笑)。そうそう、同じギュラ・パドスが撮った『ホテル・スプレンディッド』も、出演作だっけ。

大王つながりといえば、ほんの主観的なものだが、『レイヤー・ケーキ』の後半に、まるでコリン・ファレルとジャレッド・レトのような麻薬中毒者が並んで登場する。もちろん本人たちより多少見場は悪い。役柄も笑えない(笑)。

このところは、"Infamaous"の、ボンド兄貴とは程遠い、下の「どことなく気色悪い犯人」像に魅入られている。(そうそう、きょう本棚をかきまわしていたら、大昔に見た『名探偵登場』のパンフレットを発見。何とこの映画には、トルーマン・カポーティ本人がメインキャストで登場していたのか。全然記憶になかった)

Infamous1Infamous2

では、画像とともにメリー・クリスマス。

2006.09.13

オリバー・ストーン版 第3バージョン?

"Director Oliver Stone is planning to release a third version of his failed "Alexander" epic released in 2004"

えええ~~! 本当?

まだ詳しく読んでいないのでわかりません→ソース

ところで、『ワールドトレードセンター』ってどうなんですかね?


【追記】
"Alexander 3rd version by Oliver Stone" は、リリース日程こそ未定のようですが、信憑性はありそうですね。監督が言っているんだから、間違いないか? 3時間40分バージョン。がんばって編集してくれ、監督。

2006.08.15

赤像式ふくろう

Fukurou
2週間前に出かけて、余りの混雑に入場する気になれず、『ゲルマニウムの夜』でお茶を濁した「ルーヴル美術館展~古代ギリシア芸術・神々の遺産」。今回も大混雑だったが、もう公開日が残り少ないので覚悟を決めて芸大美術館まで行ってきた。ルーヴルなどという大メジャー美術館の名を冠した展覧会など、行くものではないことはよ~くわかっているのだが、最も有名なあの大王の像を、初めて間近かに見るチャンスを逃すわけにはいかないということで、とても芸術と対峙するような環境ではない夏休みの大混雑の館内を、とはいえ芸術がわかるのかお前に……と言われてしまえば返す言葉もないけれど、とにかく耳を塞ぎ目を瞑りながら、歩いてきた。

幸いなことに、芸大美術館であるのでさほど大規模ではなく、思ったほど疲れず飽きず、なかなか楽しく見られたのだった。しかもバリバリのギリシャである。大理石の、完璧な美しさを持った人型のオンパレード。美神たちや、神々しいばかりの肉体美の青年像、はるか昔の市井の人々の暮らしが見えてくる様々な年代の人々の墓碑、ユーモラスな演劇用の仮面、有名なあの哲学者、あの詩人、あの劇作家たちの頭部像(ソクラテス、プラトン、アリストテレスが並んでいるところは、その「顔」の違いに性格の違いを想像したりして妙に面白かったし)、最後には、ルーヴル美術館の宣伝を兼ねた、2つのヴィーナス像(今回は来なかったミロのヴィーナスと、展示されていたアルルのヴィーナス)の様式の違いを解説した短い3D映像も上映されていて、非常に面白かった。

中でも特に気に入ったのが、上に貼った画像の壺。「赤像式オイコノエ ふくろう」。

この赤像式の陶器は、「ベルリンの至宝」展でも登場していたが、日本人にはこの色彩は、どう見ても漆器である。手で触れてみないことには、陶器だとは信じがたいのだが、とにかく黒地の陶器に赤い彩色の図案を描いたものが赤像式というものらしい。逆に赤地の陶器に黒で図案を描いたものは黒像式で、こちらの方が赤像式よりも先に歴史に登場する。そんな、神話の場面や、人々の生活風景、芝居の1シーンなど様々な図柄の赤像式や黒像式の陶器が、いくつも展示されていた。

オイコノエとは、大きな酒器から小さな酒器へワインなどを注ぎ分ける容れ物のこと。容器は、用途と大きさによって皆、名前が異なっていて、それがいくつもいくつも展示されているものだから、しまいには、しばしば登場する容器の名前を覚えてしまった(←すぐ忘れました)。映画『アレキサンダー』で、大王が酒を飲むのに使っていたいくつかの器は、何と言う名前なのかなどと考えたりもした。道具つながりでは、陶器ではないけれど、スポーツのあとに汗と垢をこそげ落とす器具というのも、不思議に印象的だった。

さて問題はふくろう。ふくろうは、アテナ女神(ミネルヴァ)の象徴で、このオイノコエに描かれたふくろうは、甲冑を身につけ、縦と槍で武装している。両脇に見える細長いものは、オリーブの木で、これもアテナの聖木だそう。丸い目玉に小さなくちばしで、とぼけた表情をしているのに、足のつめは鋭く、槍を持つ腕は筋肉質である。そして、あんな丸い頭に、無理矢理のように兜をかぶっているのが、どうしようもなくかわいい。槍を持たせたためか、身体が少し前傾しているところも、図案としてかわいい。ほかに展示されていた赤像式の陶器は、壺のたぐいも、杯も、割合大きなものが多かったのだが、これは非常に小さく、その大きさも、武装したふくろうが、ぎりぎりの線で不気味ではなく、かわいいものになっている理由かと思われる。

図録に書かれた解説にも、「このオイノコエは、一見稚拙のように見えて実は意外に達者な、ある程度の技量を持った画工が余技に手がけたような運筆で、いかにも子供が喜びよそうなユーモラスな表現で、オリーヴの木と武装したふくろうが描かれている」とある。すみません、子供程度の脳のおばさんも喜びました……(汗)。

大王と対面した感想はというと、これはやはり凄い存在感だった。隣に、重厚なデモステネス像(←渋くて素敵な親父だ)などもあったのだが、彼らの人間的な表情に比べ、アレクサンドロス像はむしろ神像に近いような圧倒的なパワーを感じた。だが、あくまでもイデアの発現である神々たちの像よりは、元が本人をモデルにしているだけあって、完璧な顔立ちではないところに、また別の意味でリアルな力が加わっていると思う。この人の目がこちらを見つめたら、本当に怖そうだ。

ミュージアム・ショップではこんなものも発売されていた。このインフォメーションにあるような重厚感など、全然なかったけど……。海洋堂制作の食玩あたりで、ギリシャの神々シリーズでもやるほうが余程良いんじゃないか(って、全部大理石風じゃ、色味がなくてつまらないか……)。

→展覧会は8月20日まで(9:00~17:00)。

2005.12.13

ヒンズークシ山脈でM6.7

これをこんなカテゴリに入れていいかどうか……。

アフガニスタン、ヒンズークシ山脈の一帯でM6.7の強い地震(ロイター)。

"大地動乱の時代"に入ったのは、日本だけじゃないのか。

そして、大王だったコリン・ファレルもこんなことに……(こちらは日本語記事)。大丈夫?(微妙に後期アレキサンダー入ってきてる?)。《Miami Vice》の公式サイトができて、トレイラーも発表されたし、15日には《The New World》のプレミアもあり年末には一般公開、しかも作品はオスカー参戦(?)というところなんだろうに。公開作が好評を持って迎えられれば、彼の力になるだろう。良い作品であることを祈ろう。

2005.08.11

大倉山へ行こう

衆議院総選挙の結果を思うと、ますます嫌~な予感しかしないのだが……。首相が言っているとおりに、郵政民営化に対する賛否を問われている、などと素直~に思って選挙しちゃうパターンが多いんじゃないかなあ。そしてこの国の政党は、本質的に自民党のみになってしまうんだろうなあ。郵政民営化反対派自民党議員が新党を作ったとしても、それもまた第2自民党だし、民主党だって半分は自民党みたいなものだ。それなのに、その民主党にすら政権を移すことをしない国民だし。すごく暗い気分だが、がんばって選挙行くか。


alx13さて、左の画像は8月9日付の台湾自由時報のコリン・ファレル記事より(大王スタイルの人形をながめる本人)。この前日、香港紙に掲載された記事を発端に、翌日の台湾の芸能マスコミ記事は、『アレキサンダー』ディレクターズ・カット版の画像に関するコリン・ファレルの下ネタで持ち切りだった。わざわざ紹介するようなものでもないのだが……。こんな話題が飛び出したのも、劇場版より明るく見やすいディレクターズ・カット版の映像のせいらしい。

このところ大王つながりで久しぶりに思い出したのが、以前一度見にいったことのある「日本のギリシャ」。とはいえ、淡路島など本来の意味でのギリシャではなく、商店街振興のために、商店街に立ち並ぶ店舗の外装をギリシャ建築風に統一してしまったという駅前商店街のことである。普段出かけるエリアではないのだが、3年ほど前にわざわざ見にいった。それは、東急東横線大倉山駅(神奈川県横浜市港北区)の駅の周りに広がる大倉山商店街だ。

okurayama実はこの商店街は、いわれなくギリシャ建築風ディスプレイをほどこしたわけではなく、大倉山にある大倉山記念館にちなんだものだ。リンクした記念館の公式サイトをご覧いただければわかるが、この建物は昭和7年に大倉精神文化研究所として建てられた「紀元前ギリシャのクレタ・ミケーネ時代の建築様式によるギリシャ神殿風建築」で、映画『スパイ・ゾルゲ』や『裁判員』のロケも行われた。昭和7年というのが非常にキナくさい感じもするが、昭和初期の堂々たる西洋建築の1つと言えるようだ。

この大倉山記念館と、大倉山商店街の建物について詳しく紹介したページがある。「建築マップ」という、建築ファンの方々の手により共同で作成されている面白いサイトで、トップページには「世界各地の建物を紹介する参加型共同作成サイト」と謳われている。最初にリンクした大倉山に関するページも、大倉山記念館の建築に関する解説や建築家に関する考察など、短いながらも非常に面白い文章が並んでいる。こちらによれば、この大倉山記念館も商店街もプレ・ヘレニズム様式といわれる建築様式なのだそうだ。

本格派の大倉山記念館も興味深いのだが、さきほどの「建築マップ」の大倉山ページの下半分に載っている商店街の写真をぜひご覧いただきたい。これが大倉山商店街の魅力的なところで、和菓子屋さんも予備校も写真屋さんも自転車屋さんも、カラフルな看板やら日よけやら暖簾やらのあるごくごく普通の店先でありながら、その両脇に白亜の列柱が立ち、上には神殿風の屋根が乗っているのだ。

いつも利用されている方には今さら何の面白みもないだろうが、見慣れない人間には本当に新鮮な商店街である。ちなみに「大倉山商店街の「エルム通り」は、アテネ市のエルム通りと姉妹提携を結んでいます」とのこと。おふざけなんかじゃありません。凄いです(笑)。

2005.08.10

男の子の名前はみんなアレックスっていうの

2005年8月30日から9月9日にかけて、東京都写真美術館にて「2005 チェコ映画祭」が開かれる。1日ぐらい足を運んでみたいなあと考えているのだが、上映作品を見ていたら、作品紹介に「サロニキ映画祭 アレクサンダー銀賞」という受賞歴を持つ映画があった。

相変わらず小ネタですが。

テッサロニキ国際映画祭(=サロニカ映画祭)は、文字どおりギリシャのテッサロニキで毎年11月に開催される国際映画祭である。で、ベネチアだったら金獅子賞、ベルリンだったら金熊賞(香港だったら金像奨、台湾だったら金馬奨、大陸だったら金鶏奨(って違うか?))にあたるメインの賞が"Golden Alexander"=金アレクサンダー賞(アレクサンダー金賞)なのだ。熊やら獅子やらにあたるのがアレクサンダーというわけだ。さすがギリシャ。もちろん銀のアレクサンダー賞("Silver Alexander")もある。2002年には、この最高賞(アレクサンダー金賞)を、日本の杉森秀則監督の『Woman of Water/水の女』と、タイのアピチャッポン・ウェラーセタクン監督の『ブリスフリー・ユアーズ』が同時に受賞している。

ウィキペディアによれば、テッサロニキはカッサンドロスの妻の名(テサロニケ)にちなんだ地名で、彼女はアレクサンドロスの姉(フィリッポス2世の娘)であるという。

一方、現マケドニア共和国の映画祭としては、スコピエ映画祭がある。今年はもう終了しているようだが、英語サイトがないので、上映作品ぐらいしか理解できない。

日本で上映されたマケドニアの映画を調べてみると、最も気になるのはカルト・ムービーと紹介される『グッバイ20世紀』(1998年 マケドニア)である。これは相当ヘンそうで面白そう。近年で最も名高いのは『ビフォア・ザ・レイン』(1996年 イギリス・フランス・マケドニア)。合作だがマケドニアが舞台の作品で見ている方も多いと思う。『ダスト』(2001年 イギリス・ドイツ・イタリア・マケドニア)は『ビフォア・ザ・レイン』のミルチョ・マンチェフスキー監督の2作目で、前作とはまったく違うとんでもないシノプシスがそそる作品だ。バルカン半島を舞台にした西部劇って何だよ!?(笑) そして最も新しそうなところでは、昨年の東京国際映画祭のコンペティションで上映された『ミラージュ』(2004年 マケドニア)があった。こちらはリアルで重厚な内容の映画のようだが、検索しても東京国際映画祭の公式サイトの作品紹介ページはリンク切れ。ほとんどの国際映画祭サイトに存在する前年以前のアーカイブページが東京国際映画祭のサイトに常時ないっていうのは、どう考えてもみっともないやね。

2005.08.07

足本導演版(っていうのか?)

部屋にエアコンがないため、毎晩PCの前で死んでいる。暑いと寝苦しいなんてことはまったくなく、暑いとぼーっとして、ひたすら眠い。そしてそのまま蒲団にたどり着けずに眠る。

現在発売中のキネマ旬報の巻頭特集はアジアン・スター。表紙は何とジェイ・チョウだ(が、綺麗な割りに非常に格好悪い写真だと感じる)。でも今号で印象に残ったのは、戦後60年企画の映画監督や批評家の文章だった。新藤兼人監督があたためている広島の映画、ぜひ撮ってほしいと思う……。

今日(きのう)は大王ディレクターズ・カットがAmazon.comから届く。ざっと1回見た感想は、ブラウンソース入りの紅茶を飲んだレイフ@ダブリン上等!の台詞。売らんかなで作られたなどという噂もあったので、あまり期待していなかったからかもしれないが、「悪くねぇ」。

何せ、そんなに分量が多いわけではないが、メイキングでも削除シーンでもなく、監督が再び作品として世に出した映像として、今までに見ていないシーンが見られるんである。うーん、日本でも出してくれ。

フィリッポスが少年アレキサンダーに神々のことを語る洞窟シーンを最後に子役がコリン・ファレルに交代して以降、フィリッポスが暗殺されるまでの場面は、すべて回想シーンとして物語の途中に置かれている。つまり、洞窟シーンのあと、老プトレマイオスのアレキサンドリア図書館シーンが入って、すぐにガウガメラの戦場だ。初めて見る人には少しわかりにくくなった面もあるかもしれないが、回想シーンが増えたことで、クレイトス刺殺事件のあと、それまで時系列に進んできた物語の中にいきなり現れるフィリッポス暗殺事件のフラッシュバックの唐突感は打ち消されているし、逆に、3時間の長丁場をほとんど時間に沿って進行していた物語の冗長さが、少しコンパクトな印象に変わったかもしれない。

アリストテレスの講義の場面は、節度と徳のある男性間の愛を肯定され少年アレキサンダーがにっこり……の後に今までになかったアレキサンダーとアリストテレスのやりとりがある。ファンが大好きなガウガメラ前夜の場面と、クレイトス事件の後の王の閉じこもりシーンはそっくりカットされたが、それ以外はバビロンのラブシーンも(首を傾ける癖がある云々の台詞のやりとりを除いて)きっちり残っているし、婚礼の夜の指輪のシーンもそのままだ(死のシーンで指輪がメインに映る以上、あれを削除するわけにはいかないだろうが)。

少年アレキサンダーとフィリッポスの洞窟シーンの後にあった19歳のアレキサンダーとオリンピアスの場面は、ロクサネとの初夜(←これもかなりカットされ、未見の映像がほんの少し加えられた)とフィロタス事件の間に回想として挿入された。しかもシーンの後半には今までになかった部分が追加されている。

ああ、インドからの帰還の前に神様の像を建立して皆で祈祷する場面もチラっと増えていたし、ゲドロシア砂漠の帰還シーンもほんの少し、見たことのない映像が加わっていた。

テレビ視聴用に画面サイズを変えているので、異常にクリアで、今までに見えなかったものが細々と見えたり、人の顔が細部まで見えるのが興味深い。他にもまだいろいろ違う部分があると思うけれど、とりあえずこの辺で。もう1回見てきます。

2005.07.30

ピクチャーディスク?

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『アレキサンダー』日本盤DVD発売おめでとう(?)。購入してきたのはいいが、1度見たのを幸いにその後2度と媒体がPCに認識されなくなってしまっている『ヴェロニカ・ゲリン』や『昭和残侠伝 死んで貰います』同様、ピクチャーディスクの色(赤系・黒系)のせいなのか何なのか、今のところ『アレキサンダー』の本編を読み込めず(特典ディスクは白いので読める)。これからちょっとドライブの掃除をしてみようと思うけれど、はたして見られるかどうか。いや~、PCで別の作業をしながら、"Hephaistion loves me as I am" という台詞を日本語吹き替えで聴いてみよう♪なんて考えたのがいけなかったか(笑)。コリン・ファレルの日本語吹き替えは、ロード・オブ・ザ・リングの主役の小さな人(名前知らず)の声をやっている人(でしたよね?)。

さて、GAGA USENの来年以降のラインナップ発表に、《 Ask the Dust 》が2006年ロードショー予定として出てきた。《 A Home at the End of the World 》は2005年公開予定としてComing Soon情報にあるけれど、こっちは一体いつなんだ~?(でも、公開は冬が似合うと思う)→Nifty Cinema Topics Onlineの紹介ページ。

今朝方ずっと起きていたので、また魔がさして、大王US盤を発注してしまった馬鹿である。もうこれ以上びた一文、大王には献上するまい。

2005.07.20

さいごのひとはな

DVDclub200508MCプレス『DVDclub』8月号表紙。6ページにわたり『アレキサンダー』とオリバー・ストーンの有難~い特集がある上に、この表紙なので、(表紙になるのも最後と思い)思わず買ってしまったが、いや~記事が荒っぽい、荒っぽい。間違いも結構ある。まあ、映画秘宝的指向のソン・ガンホ特集もあり、まあいいか、と(笑)。そろそろ発売しはじめる海外のDVD情報誌にも、発売にからんで大王記事とか表紙になっているものがちょこちょこあるようだ。

C・ファレルの本番ビデオ流出ニュースは、きょうあたりは、ついに台湾大陸などの芸能ニュース欄をもにぎわしている。ビデオを見たいかどうかは別として、あの男がどんなことをしようが何があろうが、こと、そちら方面に関しては、今さら誰も驚かないんじゃないか?


SSs01SSs02さて、作品の出来は特に期待したりしていないのだが(←失礼)、お久しぶりの徐克監督『七剣』の美しい公式サイトの、エキサイティングな孫紅雷と、大変キュートな周群達(Duncanさん)の画像が嬉しい今日このごろです。ポスターも主要キャラ全部それぞれ別にちゃんとある。この孫紅雷は、完全に蕭遠山はいってますね。(画像はポスター、スチールともに公式サイトより)

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2005.06.30

『この世の果ての家』胡言乱語 拾遺

▼小説の語り手である4人は、分量こそ違うものの、男女2名ずつジョナサンを中心に、彼の同性の親友(ボビー)、母(アリス)、彼の異性の親友(クレア)というふうに上手いことバランスがとられていて、セクシュアリティですら、4人全員が異なっている(厳密には、セクシュアリティは人間が100人いれば100種類あると考えるべきだろうから、当然のことなのだが)。英語にも「男性」的な言い回し、「女性」的な言い回しというものが存在するかもしれないが、よく考えてみると興味深いのは、もし翻訳していない状態であれば、章の語り手が誰であるかは、冒頭の個々の名前がなければ、すぐには区別がつかないだろうということだ。現代の日本語の文章では、ボビーやアリスといった個としての人格以前に、性別の匂いが漂ってしまうのは、一人称や直接話法が書かれる限り、言語特性としてどうしようもないことだ(もっとも、日本語の会話文の「性別」は、近代になって「作られた」ものだそうだが)。しかし英語の原文は、日本語よりもっとニュートラルに、登場人物そのものを描き出しているのではないか。3人の語り手全員が女性である、同じカニンガムの『めぐりあう時間たち』を、日本語の訳文で読んだときの印象に近いのではないかと想像する。

▼住む場所や出身地は人間の価値を決定するものなどではありえない。だが記号としての地域名は、登場人物の外見や言動とともに小説を修飾し、イメージを膨らませる1つの要素ではある。そういう意味で、アメリカの土地を日本に置き換えて読んでみると、彼らのキャラクターと物語の空気がより具体的でわかりやすく感じられて面白い。クリーヴランドは、首都に近い自然の残る工業都市という感じだろうか……静岡か茨城あたりの。アリスは南部の伝統ある街ニューオーリンズの人だから、京都とか金沢のような古都の出身で、今住んでいる町に埋もれてしまいたくないといつも心のどこかで思っている。クレアは都会生まれ。ニューヨークでの彼らのアパート(ダウンタウン、「東3丁目のA通りとB通りにはさまれた区域」)は、例えば東京のどのあたりにあたるのかはよくわからないが、第3章の家は、やはり三多摩エリアに建っていると考えようか。都市のイメージ、自信ナシ。

▼余談だが、「この世の果てまで」(原題:The End of the World)というポップスがあった。「どうして太陽はいつもと変わりなく輝いているの、どうして波は何もなかったかのように打ち寄せるの、全ては終わりだというのに(私の恋は終わってしまったのに)」という失恋の歌。どうして邦題は「この世の果て"まで"」なの、と、今にして思えば、そっちの方が不思議だが(笑)。