2013.04.08

東京でも

ずっと公式ツイッター氏が上映作品情報をアナウンスしながら、なかなかできてこなかった公式サイトがやっとオープン。

シネマート六本木で行われる第4回アジアンクイア映画祭(2013年5月24日~26日/5月31日~6月2日)でも、『GF*BF』(《女朋友。男朋友》)が上映されます。

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『GF*BF』は5月25日(土)と6月2日(日)に上映がありますが、劇場のキャパは大きなスクリーンで165席ですので、2回合わせてもチケットは300枚強しかありえません。大阪アジアン映画祭の感想などを見ていると、どちらかというと女性客の反応の方が良かったように思えますが、(日本ではきっと男性の方が多いと思われる)張孝全ファンのみなさん、がんばってチケットを取って見に行ってください。4月24日(水)発売です。言葉が完全に理解できる方ならともかく、そうでない方なら必ずやDVDなどで見ていても、「あれは本当のところはどうなったのか?」と疑問をもつであろう『美麗島』の流れるせつない夜の場面、日本語字幕があると納得できます。

今回のAQFFですが、自分自身は、大陸が舞台の『無言』と、キム・コッピ出演の『マネキンと手錠』が興味深いです。(昨年東京国際映画祭で見たタイ映画『帰り道』あたりも見られたら嬉しかったのに……。いや、あれは同性愛を主題とした作品ではないのでだめか……)


※『GF*BF』は一般公開に向けて交渉中と楊監督が大阪の映画祭でおっしゃっていましたし、公開が決定したという噂も……。

2013.02.07

大阪アジアン映画祭で《女朋友。男朋友》上映

2013年3月8日から17日まで開催される大阪アジアン映画祭で、《女朋友。男朋友》が特別招待作品として上映されます。邦題は、英題と同じ『GF*BF』。

追記◆映画祭公式サイトによれば、3月16日(土)の梅田ガーデンシネマでの上映の際に楊雅[吉吉](ヤン・ヤーチェ)監督がゲストで見える予定とのこと。

追記2◆→後ほど改めて、日本語字幕で見た感想文を書いてみたいと思います。



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(2013/05/12)
追記3◆感想文はいまだ格闘中(←仕事遅すぎ!)。上映時の会場での感想などを以下に少し……。

第8回大阪アジアン映画祭で上映された『GF*BF』(《女朋友。男朋友》)の「世間的な反応」は、大雑把にまとめると、恋愛や人生といった面からこの映画を受け止めた人にとってはすこぶる評判がよく、台湾の民主化運動の歴史といった社会的側面の描写までを期待した(と思われる)人からは今イチな感想だったというところかと思う。

映画祭での3回の上映は、それぞれに雰囲気が異なっていた。1回目の梅田ブルク7/スクリーン3という比較的大きめの画面での上映はそれはそれは素晴らしかった。特に戸外で撮られた幾つもの夜の場面の美しさは、スクリーンが大きければ大きいほど強い印象を残す。日本における最初の上映ということもあったのか、上映後の客席から立ち上る息をのんだように張り詰めた空気感も、ほかの作品の上映後にはなかったもののように感じられたし、その後の2回の本作の上映後にも感じられなかったものだった(単に自分が久しぶりに見てそういう状態に陥っていただけだったのかも知れないが……)。別記事のコメントにも書いたが、上映が終わって会場を出る観客たちの間から、「人生経験がないと、この映画を理解するのは難しい」といった声が聞こえてきた。

2回目のシネ・ヌーヴォでの上映は、劇場自体が大きくないこともあり満席で補助椅子までを使用しての上映となった。特筆すべきことはないが、直後に上映された杜琪峰(ジョニー・トー)の『毒戦』よりも観客が多かったということには驚いた。 

3回目の梅田ガーデンシネマの上映時には、楊雅[吉吉](ヤン・ヤーチェ)監督がゲストとして登壇されQ&Aとサイン会が行われた(上の画像はそのときに台湾版DVDに頂いたサイン)。シネ・ヌーヴォよりは大きいがブルク7よりはずっと小さいこの劇場の上映でたった1つだけインパクトのある出来事があった。1970年、中山記念堂前で学生たちが抗議の座り込みを続ける中、陳忠良が私服警官と密会する場面(彼の「秘密」が初めて明らかになる場面)で、客席から悲鳴にも似た驚愕の声が上がったのだ(それも1人ではなく何人かの……)。作品自体がそのように作られているし、台湾でのプロモーションのときにもマスコミ試写が行われるまでは陳忠良のセクシュアリティに関する説明は一切なかったから、それはそれで「有り」なのかもしれない。しかし思わず発された驚きの声は、小さなショックではあった。

映画祭の閉幕日(3月17日)の午前中に行われた楊監督とのファン・ミーティングは1時間だったのが残念だ。上映後のQ&Aと同様に、挙手した人が質問し通訳の方を介して監督が答えるスタイルで、ファン・ミーティングに参加するほどの熱意ある観客だから仕方ないのか、質問者の質問がどうしても長くなり、参加者のうち5~6人しか声を発することができなかった。どちらかというと「台湾映画」ファン・ミーティングといった風情で、作品に関するディープな質問をされて(監督をも驚かせて)いたのは1人の方ぐらいで、ほかの方は比較的一般的な質問だった。個人的には、監督が熱を込めて話しをしかけたのを司会の方から制止された、台湾での脱原発運動の話などもっと聴きたかったが……。

2013.02.06

《失魂》についての映像など

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昨年6月以来さっぱり何も出てこなかった、鍾孟宏(チョン・モンホン)監督の新作《失魂》についての記事が……。このシノプシスは昨年6月に既に出ていたものですが、映像(ティーザー・トレーラー)の方は初めてかと思います。張孝全(ジョセフ・チャン)はここで見る限りもう1つ味が足りない感じがするのですが、それは「魂を失った」男を体現しているということなのかもしれません。他の出演者が凄いキャリアの持ち主ばかりなので、彼がどうがんばろうと比較にはならない部分が多いでしょうが、作品が素晴らしいものであればいいなと思います。「魚をつかむ」映像が出てくると、すぐに『沈む街』を思い出す筆者ですが、今回ももちろん嬉しがらせていただきました。ポスターは、どこかのんきで可愛い「魚の開き」でありながら、目玉や胴に差した「血」を想起させる赤が異様な緊張感を醸し出していて、とても面白いと思います。

台湾での公開は2013年8月9日。出演は、王羽(ジミー・ウォング)が70歳の父親"王伯伯"役。張孝全はその息子"阿川"。日本料理店での料理人という役どころでしょうか。姉の小芸はキャストを見る限りでは陳湘[王其])(チェン・シアンチー)が演じているのではないかと思います。(そして確か6月に出ていた報道では、その夫の役が戴立忍(レオン・ダイ)のはずだったかと……)

「アジアン・バラダイス」さんの6月9日付の記事では、プロデューサーは葉如芬(イエ・ルーフェン)とのこと。《女朋友。男朋友》も彼女のプロデュースですが、多くのヒット作をものした実力派プロデューサーです。《女朋友。男朋友》のときにも、さまざまなところで顔を出されていた方ですが、完全に「大物」の風格でした。


(2013/05/13)
追記◆《失魂》は、2013年第15回台北電影節(6月28日~)の開幕上映作品に決まりました→記事


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(2013/7/1)
追記◆台湾での公開は8月30日に変ったようです。
     《失魂》→正式予告編
         →公式Facebook
画像は29日の台北電影節オープニングイベントでのもの→台北電影節公式記事(画像もこちらより)。正式予告編、見る前に金士傑さんが出ていることは知っていたのですが、龍子さん(トゥオ・ゾンファ)まで出ているとは豪華な!(←個人的に豪華なだけか?)

2012.11.23

とうにTIFFを過ぎて

今年、第25回東京国際映画祭で見た映画は、「アジアの風」が8本とコンペティションが1本。かなり少ないが、このところチケット取りが面倒でTIFFには余りまじめに足を運んでいなかったので、今年はまあまあがんばった方かと思う。彭浩翔(パン・ホーチョン)作品など、『AV』のあとはチケットが全く取れなくなってTIFFでは見るのをあきらめていたが、新しいチケット販売システムでは『恋の紫煙2』があっさり取れてしまったので、キツネにつままれたような気分だった。今回見た映画の中で最も好きなものは『帰り道』、次が『ブワカウ』、その次が『怪奇ヘビ男』。ということで、今さらながらTIFFで見た映画の感想&関係がありそうでなさそうな与太話を駆け足で少し書いてみたい(観た順)。

『光にふれる』(台湾・香港合作の台湾を舞台とした映画/張榮吉(チャン・ロンジー)監督)。今回の「アジアの風」の中でも非常に前評判が高かった作品。「台湾映画」らしくしっとりと始まりながら、格調高くならずに、青春学園モノとしてこぢんまりと力のぬけた感じに終わるところが好きだ。「夢をあきらめるな」といった安直なテーマではなく、他者とのつながりの中で先へ進もうというストーリーも、主役がピアニストを目指す視覚障害の若者とダンサー志望の不遇な女性という設定においては比較的新鮮かと思う。主人公ユイシァンの母役の李烈(リー・リエ)と、主人公と出会うダンサー志望のシャオジェの母役の柯淑勤(コー・シューチン)がさすがの演技でがっちりと脇を固めている。若い脇役陣も良かった。張榕容(サンドリーナ・ピンナ)の台北電影奨最優秀主演女優賞は敢闘賞あるいは努力賞というところか? 今やプロデューサーとしても大活躍の李烈は、むろん女優としても多くの作品に出演していてしばしば名前を見かけるが、11月に台湾で公開される新作《甜・秘密》では馬志翔(マー・ジーシアン)と共演している(←とても楽しそうな作品でぜひ見てみたい)。

『パンのココロ』(台湾映画/高炳権(カオ・ピンチュアン)、林君陽(リン・チュンヤン)監督)。アジアの風の現プログラミング・ディレクターのセレクトの中にたまに出現する「ご当地紹介映画」の一本といった作品。台湾の田舎町で生きる若者たちの人生選択の物語であるとともに、そこで暮らす人々のローカルで牧歌的な日常が描かれている。陳漢典(チェン・ハンディエン)という人は『モンガに散る』で接着剤責めにされる恐ろしい場面の印象が強烈だが、コメディをやらせても上手いんだなぁというのが最初の感想。そして今最もホットな台湾の女優、陳妍希(ミシェル・チェン)の少し古風な魅力にも納得。Q&Aで飛び出した「三太子」の話題も興味深く楽しかった。登場場面は回想シーンのみで少ないが、この映画でもヒロインの母を演じていたのは柯淑勤。ちなみに本作とは全く関係ないが、陳妍希と張孝全が共演した"微電影"《小幸感<上篇>》が現在動画サイトで見られる。後篇は12月7日発表とのこと。"微電影"というのはこの動画を見た限りでは「ドラマ風長編コマーシャル」であり「電影」と呼べるようなものでは全くない。

『恋の紫煙2』(香港・中国合作映画/彭浩翔(パン・ホーチョン)監督)。大好きな「だめ男」話。久しく彭浩翔作品を見ていなかったが、相も変わらずどうということもない話であるにもかかわらず、上手すぎて言葉もない。男女の機微と本音、生身の人間の可笑しさ、中国本土を舞台としながらも香港人が醸す香港テイスト、といったあたりが手際よく一皿に料理されていて、観客はひたすら舌鼓をうつだけだ。自分が知らないだけかもしれないが、香港は台湾と違って魅力ある「若手」俳優がなかなか出てこないなぁと思う反面、このような大人の恋愛をストレートに描いた作品は台湾の映画では見かけない気がする(あ、余文楽(ショーン・ユー)はまだ若手か……)。映画ではなく小説か戯曲であっても、この話は抜群に面白いのではないかと感じた。

『プワカウ』(フィリピン映画/ジュン・ロブレス・ラナ監督)。アジア映画賞スペシャルメンション。独居老人と飼犬"ブワカウ"の話だというから淡々とした人生の終末を描いた話かと思ったら、ゲイであることを隠しながら生きてきた老境の男の素敵な初恋の映画だった。本国では検閲にあって数を減らされた「3回」のキスは、映画祭ではフルバージョンでの上映(といっても慎ましやかなキスシーンである)。それは、酔いつぶれた相手の寝込みを襲う……いや襲うなどという荒々しいものではなく、キスそのものへの好奇心と相手への想いを抑えきれずに、しかし目を覚まさないかどうかを恐れながらの、見ている方もドキドキする映画のクライマックスだった。初恋はお決まりのごとく実らずに終わるのだが、その恋によって生きる喜びを知った彼は変わる。母を看取った後も閉め切ったまま過ごしてきた暗い部屋の窓を開け、軽やかなカーテンを掛け、仕舞われていた沢山の美しい調度品を飾る。ラストシーン直前のその「きれいになった部屋」の情景は、彼の明るくなった心の中を映しているかのようだった。老境にさしかかった独り身(→って自分か)にも夢と希望を与えてくれる素晴らしい映画だと思う。主演のエディ・ガルシアはフィリピンの名優。「米国だったらクリント・イーストウッド、日本で言えば三国連太郎クラス」という紹介に、Q&Aに登壇された監督に対し、場内から「そういった俳優が今回の役柄を演じたことに対する観客の反応は?」という質問が飛んでいたが、エディ・ガルシアは過去にゲイの役を演じたこともあり監督をしたこともある経験豊富な俳優で、今回の役柄も彼の数多くある「引き出しの1つ」に過ぎないと回答されていた。このとき筆者が「張孝全も『同志役も引き出しの1つ』と言われるようになるまでがんばってほしいものだ」と考えたのは言うまでもない(→本当に)。

『NO』(チリ・アメリカ合作映画/パブロ・ラライン監督)。コンペティション作品は沢山見たいものがあったのだが、結局見たのはガエル・ガルシア・ベルナル主演のこの1本のみだった。1988年に行われたチリのピノチェト軍事政権の信任投票を、当時のニュース番組や信任選挙における体制側と反体制側の宣伝番組の実際の映像を織り交ぜながら描いた作品。タイトルのとおり、映画はピノチェト不信任(NO)陣営の活動を主軸に展開する。TIFF公式サイトでは「NO陣営は広告業界の若きエグゼクティブを採用して果敢なキャンペーンを展開する。(中略)本作では資本主義の象徴とも言える広告業界を通して独裁政権の終焉を見つめ、(後略)」と紹介されている。NO陣営の圧政との戦いは「信念」を動力としてはいるが、一般大衆に恐怖政治をはねのける(=「現体制に『NO』と言う」)勇気を出してもらうために「広告屋」の主人公が宣伝番組で伝えたのは、「信念」ではなく「NO」と言うところから始まる「明るい将来へのビジョン」だった。当時の実際の宣伝番組の映像がかなり面白い。NO陣営なのによく資金があったなぁと単純に思う。日本なら金を持っているのは体制側のYES陣営で、だからこそ、この国は何も変わらずにここまで来てしまっている。Q&Aで、若き米国人プロデューサーは、現在の世界におけるこの作品の意義について語っていた。目を覚まし、勇気を出してNOと言うべきは99パーセントの我々大衆であり、この映画が見せる「NO」キャンペーンはそのまま99パーセントに向けられているのだと思う。

『老人ホームを飛びだして』(中国映画/張楊(チャン・ヤン)監督)。アジア映画賞スペシャルメンション。これもまた「ご当地紹介映画」という感じの1本。ある意味、5年前にTIFFで上映された『帰郷』(《落葉帰根》)と「対」になるようなロードムービーでもある。老人ホームに暮らす様々な「事情」を抱えた老人たちが、テレビの視聴者参加番組(「仮装大賞」)に出演すべくオンボロのバスで老人ホーム(映画に出てくる門前の看板には「関山老人院」とあったが場所がどこなのか不明)から天津まで何日かをかけて旅をする。老人の「事情」の部分には、老いや病気の問題、家族との関係の問題などが丁寧に描かれている。それぞれの老人がそれぞれ問題を抱えている「個人」であるのにもかかわらず、老人ホームに「預けられている」がゆえに、彼らの現在の人生は、老人ホームの院長(経営者)と彼らを「預けている」家族たちの手中にある。主権者の反対に背いて「老人ホームを飛びだし」、一時的であれ自分の人生のハンドルを奪還した老人たちの姿は大変痛快であるとともに、人の尊厳や矜持といったことまで考えさせられる。廃車になったバスを調達して老人ホーム職員たちの目をごまかしながら大勢でバスに乗り込む作戦実行のくだりの高揚感は、終盤の「泣かせる」エピソードの俗っぽさを補って余りある。実際のところは、じいさんたちの仮装が一番面白いのだが……(麻雀のパイは可愛すぎる!)。ツイッターでも書いたが、ここに「職員と老人の家族との恋」などといった脇のエピソードを入れずに、老人話だけで突っ走るのがまさに「中国(大陸)の映画」。(台湾の《練戀舞》(張孝全主演の老人ホームを舞台にした映画)など、実際は公視人生劇展のような地味な物語でありながら、ラブストーリー的な仕掛けをちらつかせて観客を引っ張っている面が……)

『眠れぬ夜』(韓国映画/チャン・ゴンジェ監督)。子どものない30代の夫婦の日常。TIFFの公式サイトでは「格調高く」と評されていたが、それは単に使っている音楽がバッハ(のみ)だからではないのか。が、個人的には冒頭で挙げた3作の次に好きな作品。表面上は夫婦げんかが元のさやに納まって「ハッピーエンド」となってはいるが、この映画は、他人が夫婦となり家族となっていく中で忘れ去られていく、「人間は孤独で個別な存在である」という本質を切り取って見せてくれているような気がする。劇中の夫婦に子どもができれば、こんなささやかな諍いがあったことなど忘れてしまうだろう。そしてそんな諍いが今後あったとしても、日常に紛れて、それにこだわることを後回しにせざるを得なくなる。(とはいえ子どもがいようがいまいが、離婚する夫婦は沢山いるわけで、相性というのは(性(しょう)が合う合わないの2分割ではなく程度として)あるのだろう) 夫婦が室内で会話している場面にも大き過ぎるぐらいに外の物音をかぶせていることで、テレビドラマとは違って、夫婦のドラマを相対化しようとする意図が感じられる。絵面では2人だけの世界を映しているのに、音を聴いていると、2人だけの世界はズームアウトして集合住宅の窓の明かりの1つになってしまうかのようだ。


2013.1.3追記(今頃やっと……)
Icarriedyouhome
『帰り道』(タイ映画/トンポーン・ジャンタラーンクーン監督)。英題は《I Carried You Home》。2012年の東京国際映画祭で見た映画の中で最も好きな1本。バンコクで叔母の家に身を寄せて高校に通うヒロイン、パーン。南部の街で1人暮らす母がバンコクに遊びに来たが、事故が起きて重傷を負い危篤状態で入院する。父と母は離婚しているようで、身寄りといえば母の妹と、5~6年ほど前にシンガポールに行ったきりほとんど行き来のない姉のピンだけだ。パーンはピンをバンコクの病院に呼び寄せるが、姉を待たずに母は息を引き取る。そしてバンコクから足掛け2日の、母の亡骸を故郷に送り届ける姉妹の旅が始まる。ヒロインのパーンを演じるのは、タイの若手人気女優アピンヤー・サクンジャルーンスック。姉のピンを演じるのはテレビドラマで活躍し映画出演は初めてというアカムシリ・スワンナスック。どちらの女優も非常に美しく、その美しさは、リアルで抑制されたこの映画中「最もリアルでない」部分の1つであるといえるのでは……? 実はこの姉妹の間には大きな溝がある。バンコクから母の遺体を乗せて移動するバンの車中、母の枕元に座る姉に対し、顔をそむけるように遠く離れて座るパーン。座る位置そのものが2人の距離を示している。その理由は姉ピンが家を出てシンガポールに行ってしまったことにあるようなのだが、そういったことは最初から説明されているわけではなく、時を経て姉妹がほんの少しずつ溝を埋めていく過程で、観客にも何となく事情をわからせるような仕掛けになっている。目的地である故郷は、タイ本国での本作の原題でもある"パーダン・ベサー(ปาดังเบซาร์)"というマレーシア国境に近い街で、マレーシアに多いイスラム教徒も、もちろん仏教徒も、キリスト教徒もいるというエキゾチックで自由な個性を持つ地域のようだ。「タイといえば仏教国」といった固定観念を払拭する、この街の映像がとても魅力的である(→TIFFでのQ&A参照)。「葬式物」は、葬儀の「地方色」「お国柄」で一定の文化的好奇心と映像面での興味を満足させながら、大概はバラバラになった家族が1人の死をきっかけに人間関係を修復するというパターンで「いい映画」っぽく仕上げてくるに決まっている……という先入観が自分にはあり余り見ないようにしているのだが、この映画には安っぽい演出はなかった。姉妹は、大切な母が死んだからといって大きく取り乱したり騒いだりしない。最後まで、肩を抱き合って泣くような見え透いた和解シーンもない。映画の終盤で、姉妹が火葬場の煙突から立ち上る煙を眺めながら、「死者は煙になって自分の住んでいた家の方向に戻ってくるというが、そんなことは全然ないじゃないか」という意のことを話す場面があったかと思う。その後すぐに、2人は母の住んでいた自宅に戻る。妹のパーンは部屋の中でテレビを見ようとしている。アンテナがおかしいのかテレビの調子が悪い。ずっとよそよそしかった妹が、姉にアンテナを直してほしいと甘える。アンテナを直そうと外に出たピンが家の庭から空を見上げると、火葬場の煙突から出た煙らしきものが自宅に向かって流れてきている。ピンは多分それを自覚的に見ている(様な気がする)。でも、パーンを呼んで一緒に眺めたりしない。このクールさがいい。それは意地悪でも何でもない。「しっかり者の姉と甘えん坊の妹」という本来の関係を取り戻した2人のところに母が煙になって戻り、3人の家族がもう一度集まったという安堵感のようなものをピンは感じていたんじゃないか。このあたりで、パーンがあれほど姉を遠ざけようとしていたのは、自分を置いて遠くへ行ってしまった姉に対して「すねていた」だけなのではないかと思われてくる。ボーイフレンドがいて、煙草も吸って、いっぱしの大人のようにふるまう女子高生が、姉に頼り切った「女の子」だったのだ。監督は家族の物語だと言っており、姉ピンを演じたアカムシリ・スワンナスックもとても印象的だったが、この映画は幼い駄々っ子の妹パーンの成長の物語でもあると思う。ピンが結婚を取りやめてシンガポールに行き女性と暮らしている事情を直接確認し理解しようとするパーン。ピンに対し、姉と妹としてではなく人間として向き合おうというその第一歩が、母の死によってもたらされた姉の帰還で実現する。そして海への散骨の日、船の舳先から母の遺骨を撒いて「これでいいね?」というようにしっかり後ろを振り返るパーン。横には姉が座っている。後ろに立って頷く男性は、彼女たちが母の死を「連絡しようか」と語り合っていた「父」ではないだろうか?

2012.11.02

DVD発売情報

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一昨日Twitterでも思わず声をあげてしまいましたが、早くも11月20日、《女朋友。男朋友》本編の香港版ソフト(プルーレイ、DVD、VCD)が発売されるようです。

やはり台湾版が待ち遠しいところですが、一刻も早く見たい向きには⇒YESASIA

国内では、東方糖果さんのサイトに情報があり、もちろん購入(予約)もできます。

しかし、公開から4カ月でソフト発売というのはとても早い気がするのですが、今はこんなものなのでしょうか? 

 【追記】2012/11/27
  台湾版は12月発売と《女朋友。男朋友》の公式フェイスブックに告知がありました。
  ビジター(フェイスブックで書き込んだ人のことは何と言うのか?)の書き込みでは12月21日とのこと。


実はこの東方糖果さんの通販サイトの中にあったのが、何と(⇒この「何と」は「驚き」の「何と」であって「喜び」の「何と」ではない)2008年の李鼎監督の台湾映画《愛的發聲練習》の日本版DVDの発売情報。来年1月25日に『誘惑の罠』という凡庸な(ため全く覚えられない)タイトルで発売されるそうです。

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ご覧のとおりのこんな作品。(画像は映画の公式ブログ(台湾)より)

もちろん筆者は台湾版DVDで見てはいますが、最初に見たときの感想は「張孝全はミスキャストじゃないのか」というもの。あの役は龍子さん(トゥオ・ゾンファ)クラスの俳優が、いやらしくかつ切なく演じるべきなんじゃないかと感じたのですが、それは単なる感覚の古さゆえでしょうか。

ヒロインと張孝全演じる小古が知り合うのは、ヒロインがまだハイティーンのころのはずで、若い女性がインターネットで出会った男と実際に会って、生まれて初めて金を介した肉体関係に至るという状況を、ある程度説得力あるものにするには、確かに余りに年上ではハードルが高すぎるかもしれません。いくらかは近づきやすい感じの、「格好いいお兄さん」のような雰囲気を漂わせている方が、観客も納得しやすいでしょう。実際、ヒロインは小古に出会う前にもう1人、インターネットで知り合った別の男性と実際に会ってからその男性を退けていて、理由はどう見ても相手の男性の外見によるものと思われる描き方になっていました。

そんなところからも、張孝全があの役を振られたことを理解できないではありません。あるいはTwitterでも書いたように、原作小説が、小古は30歳そこそこの男という設定なのかもしれません。彼にとってこの映画は、今までの出演作にない文学的な作品であり、また性愛を中心に据えた作品ということで、とても挑戦的なものだったとは思います。

それにしても、「どうも物足りない」「いまひとつ面白くない」というこの映画に対する感想が、日本語字幕できちんと見たら変わったりするのでしょうか(←買うのか?)。

2012.10.07

ささやかなお土産を

台湾に出かけたもう1つの目的は、台鐵に乗るというものだった。行き先は特に理由があったわけではないが、時間の都合もあり南部の古都である台南に決めた。実は台南でも《女朋友。男朋友》を見るつもりでいたのだが、朝の食事に時間をかけ過ぎて予定の自強号(特急列車)に乗り遅れたため実現しなかった。ただ台鐵は運行時間に遅れが出ることが多いようなので、予定の列車に乗れたとしても、もしかしたら上映時間に間に合わなかったかもしれない。

Gfbf_e8台南駅前

映画を見るという目的を逸したため、炎天下の街中をぐるぐると歩きつつ古刹である大天后宮に行ってみることにした。寺に向かう途中「海安路」という大きな通りを歩いていくと、道路の中央に巨大な映画看板が次々と現れた。過去に行われた映画祭か何かの記念碑なのか、今上映している作品ではなく、過去の名作やヒット作の手書き看板である。『風と共に去りぬ』や『タイタニック』といった洋画の看板が続いたあとに、『恋恋風塵』やら『ラブソング』やらが現れ、その後に目に飛び込んで来たのが、さすが台湾というこれ(下)。びっくりして思わず写真を撮ったが、台湾で本作がいかに愛されたかがよくわかる。

Gfbf_e5手前の人と車で、大きさがわかるかと……


そして下は大天后宮。向こうではポピュラーな海の神様、媽祖を祭る古い寺。通りを1本奥に入ったところに参道もなくひっそりとあるが、中は意外と大きく、街中の不思議な異空間という感じだ。この媽祖という神様を初めて知ったのは、20年以上前に読んだ荒俣宏の小説だっただろうか。

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ひと通り本堂の中を見てまわり、入口の門をくぐって帰ろうとすると、門の脇で本尊に供える花を売っていた女性が、「日本人ですか?」とよどみない日本語で声をかけてきて、この寺院と日本との深い縁を話してくれた。とても優しい雰囲気の人だったので、彼女が売っていた花を1皿買って(100元だった気がする)やり方を教わり、引き返して祭壇に供えることにした。馬鹿丸出しで「この花は何という花ですか?」と尋ねたら「玉蘭」と……。前夜に見た映画で孝全クンが摘んでいたのは何だったというのだ、おまえは一体どこを見ていたのだ。

Gfbf_e6中央は胡蝶蘭ですね

花を供えてもう一度門まで戻ってくると、帰り際に先ほどの花売りの女性が寄ってきて、自分が肩から掛けていたカバンに針金に通した玉蘭の花をつけてくれ、「また来てくださいね」と言った。思わず正直に「台南は遠いです」と答えたが、何で「また来ます」と言えなかったのかと後で後悔した。ひりつく晴天は寺にいるうちに一転して雨となり、ほっとする涼しさをもたらした。

Gfbf_e7 Gfbf_e10玉蘭

台南からは区間車(鈍行列車)で新左營まで行き、左營から台灣高鐵(台湾新幹線)で台北に戻るごく普通の帰路をたどる。駅弁は食べられなかったが、特急に鈍行に新幹線と各種の列車に乗れたのでひとまず満足だ。「家に帰るまでが遠足」ならぬ「切符を買うところからが電車乗り」だ。カバンにぶら下がった玉蘭は、台北に戻ってもなお芳香を放ちつづけた。

さて、前の記事で映画を見た後に祝杯を挙げたと書いた。その2日分の図。左は1日目、右が2日目。

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映画館は、台北でもほかの街でもほとんどがシネコン化していてデジタル上映である。フィルムでの上映館はどこの街でも、多数ある映画館のうち1つか2つといったところのよう。たまたま泊ったホテルから歩いて10分ほどだった長春國賓影城というシネコン(デジタル上映)で2回とも見たのだが、この映画館、何度か監督やキャストが宣伝に訪れていて、出かけた前日にも楊雅[吉吉](ヤン・ヤーチェ)監督と鳳小岳(リディアン・ヴォーン)が来ていたらしい。台北のうちでも、かなり長い間《女朋友。男朋友》を上映していた映画館である。見たのは土曜の19時30分の回と日曜の21時30分の回だったが、土曜はともかく、日曜の遅い時間帯でも6~7割は観客がいたのに驚いた。

写真のビールの後ろに写っている雑誌は、左が張孝全表紙の台湾版『GQ』8月号。わざわざ買いに行ったわけではなく、ビールを買おうと入ったコンビニの雑誌の棚に普通に陳列されていたもので、どうしても素通りできず購入することになった。この『GQ』の張孝全インタビューはそんなに長くはないが、演技についてかなり突っ込んだ質問をしていて面白い(前の記事にも書いたように、ウェブ上に公開されているインタビューは抜粋で全文はない)。インタビュアーが、ニエズのときの呉敏の声と表情と、メイキング映像のインタビューでの素のそれとの違いについて話を向けると、彼は(ニエズを見て)、「自分の声は、どうしてこんなに軽く柔らかい声に変ってしまったのか」とびっくりしたと言っている。

右は『cue』という映画雑誌の7月号。コンビニで売っていたのはもう8月号だったが、7月号が桂綸[金美](グイ・ルンメイ)と鳳小岳のインタビューだと知って、SPOTまで行って買ってきたもの。


※写真はすべて携帯電話のカメラで撮影 (でも、ピンボケ部分は撮った人のせいです)

2012.10.01

フライング・ザ・《女朋友。男朋友》

馬鹿な奴だとお思いでしょうが、待ち切れず8月下旬に台北で楊雅[吉吉](ヤン・ヤーチェ)監督の最新作《女朋友。男朋友》を見てきました。映画の紹介記事や予告編映像を見る限り、また前作の好評を受けての監督作品の注目度と配役の話題性によって、映画祭にしろ一般公開にしろ日本でも必ず上映されるだろうと信じていましたし、現在でもそう信じてはいるのですが……。

Gfbf_e1現地に行ってでも見たいと思ったのは5月の終わりごろでしたか、台北電影節でこの映画が開幕上映されると知ってからですが、映画祭で2回ある上映は「秒殺」でチケットが売り切れてニュースになっているくらいでしたし、そうでなくとも海外の一般人がこの映画祭のチケットを買えるのかどうかわかりませんでしたので、そこで見ようというのは自分にとっては難易度の高い望みでした。それで一般公開が始まったら考えようと、8月3日の台湾での封切り以降、台湾の映画情報サイトで上映館と上映時間をチェックしていました。かろうじて行けることが決まった公開4週目ともなると、各館上映回数が減ってきていて、当初は3回ぐらいは見たいと考えていたのですが、実際に見られたのは2回。しかも目論んでいたように複数回見たからといって内容がよくわかったかというとそんなことは全くなく、せいぜいが50パーセント程度の理解度といったところに終わりました。自分の能力では、聞き取れる中国語はごく簡単な単語程度で、字幕の理解力も同程度です。劇場で観るのは、再生をストップして字幕を辞書で確認できるDVDでの鑑賞とは勝手が違うことを思い知りました。中国語字幕の下に小さな文字の英語字幕まで付いていたにもかかわらず、です。(右の画像は、映画館入口にあった大きなライトボックス型の映画看板@長春國賓影城)

とはいえ、楊監督の映画は説明的なものではないため、そんな不完全な状態であっても十分に楽しむことができました。しかも、3人の主役の中で特に重要な役柄であると言える陳忠良(張孝全)は、内向的で台詞の少ないキャラクター。今回の彼の演技の見せ場の多くは、無言あるいは静かな台詞まわしとともに動作や表情によってじっくりと表現されているため、言葉のわからぬファンであっても「何回見ても飽きないよ」状態になることは必定。5年前から切れたままだったパスポートを再発行してまで見に来た甲斐があったと、ホテルに戻って1人ほくそえみつつ祝杯を挙げました(×2回鑑賞分)。もちろん、台詞が非常に重要な場面もあります。「あの場面をきちんと理解したい」と思っても、もう今のところは日本での上映またはDVD発売を待つしかないのが辛いところです。

この状態で感想などを書くのはいかがなものかと、一度書き始めた感想をストップしたまま4週間以上が経ってしまいました。「言葉がわからず映画が理解できませんでした」というのは体の好い言い訳に過ぎず、実際にはたとえ台詞が理解できていたとしても、映画そのものを読み解く力の方こそ、自分にはないかもしれません。決して小難しい映画ではありませんが……。

しかし、映画の本当のテーマの部分を考えるのは日本語できちんと見てからということにして、これまでにインターネット上で目にしたさまざまな記事なども踏まえながら、今の状態で感じていることを取りあえず出してみることにしました。(何と理屈をつけようとも、要は、映画が非常に良かったので何か言わずにいられない、ということなだけですかね)

「ネタバレはダメ」とかそういう話は好きではないのですが、作品を見る前に前知識を入れたくない方は、ここでストップしておいてください。

何が「ネタ」かというあたりもいろいろ言いたいことはあるのですが、自分自身この映画を見る前からかなりな量の情報を入れてしまっていた(つもりだった)にもかかわらず、見てみたら全く予想外の成り行きであったことに驚いたと同時に、そのテーマの広がりに深く考えさせられるところがありました。台湾の観客の感想を検索すれば「ネタ」などすぐにわかってしまう文章が、今では沢山書かれています。でも映画の筋立てがわかったところで、「誰がどうしてどうなった」という部分はこの映画の本質ではなく、監督自身がインタビューや観客との質疑応答の中で、結末をはじめとするいくつかの重要な場面の解釈を観客に委ねており、固定的な見方を断固として否定しています。

いずれにせよ、以下では、自分が作品を見る前にあらかじめ知っていた以上のことには触れないつもりではおります。書いていることに間違いがあったら、それは筆者が「中国語を理解できていない/台湾の歴史を知らない/映画の読解力がない/誤記・勘違いの多いまぬけである」のどれかだと思って、「冷やかに笑う/こっそりメールで教える」等あなたのお好きになさってください(→できれば後者を歓迎します)


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『Orzボーイズ!』〈2008年〉の楊雅[吉吉](ヤン・ヤーチェ)監督の最新作《女朋友。男朋友》は、およそ30年にわたる現代台湾の社会情勢を背景に、林美寶(桂綸[金美](グイ・ルンメイ))、陳忠良(張孝全(ジョセフ・チャン))、王心仁(鳳小岳(リディアン・ヴォーン))という3人の高校の同級生が大学生から社会人へと人生を歩んでいく中での「友情」と「愛」の変相を描く「ポスト・青春ムービー」である。

主役たちの時空は、高校時代(1985年)から大学生(1990年〉、社会人(1997年)を経て現在(2012年)に及ぶ。

高校時代は、彼らの出身である南部の大都市高雄の、高校と夜市と緑色濃い自然の中で繰り広げられる。「夜明け前」の台湾の自由を求める世の中の空気は高校生の彼らにも決して無縁ではないらしく、林美寶は学校が終わると夜市の露店で古本を売りながら、こっそりと禁書である民主化運動系の雑誌も売っている。陳忠良(阿良)はその本屋を手伝っている。学校は全体主義的な統制を方針とした教師たちによる高圧的な指導が行われており、校内誌の編集長として威勢よく反抗を示しているのが王心仁(阿仁)。学校側が主催する全校集会で、教師の講話を拡声するマイクの元電源を切り、爆薬を職員室に仕掛けて放送設備を乗っ取り流行歌(『河堤上的儍瓜』→「儍」が表示されない方、すみません。的と瓜の間に[sha](第三声)という音の文字が入ります)のカセットテープをセットして校庭に響き渡らせた上、学校側にダメ出しをくらった校内誌の新刊を生徒たちにばらまく。教師に何度しぼられようとも懲りない強い信念と、周りを巻き込むカリスマをもった破天荒な少年だが、ただ1つなかなか彼の意のままにならないのが、彼の上を行く強さでしなやかに生きる美寶との関係だ。

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 高雄の夜市("商展")で古本を売る美寶&阿良のところに後からやって来る阿仁

映画は、高校生の3人が玉蘭を摘む何とも美しい夜の場面から始まる。この玉蘭の棚畑は阿良の家のものという設定とのこと(実際の撮影は新竹だそう)。玉蘭は、本作における監督こだわりの要素の1つであるようで「無音で香りのある映画がつくりたかった」と言っているインタビューもある。玉蘭は主に台湾の中南部で生産され、夜に摘花されて台北などの都市に運ばれて消費される「農産物」である。上品な芳香を放つ白く細長い清楚な花で、街中で売られたり、寺院で供花として売られていたりする。その香りは台湾の人々にとって、花売りの「おばちゃん」や、花を買う祖母を思い出させる懐かしいものだという。6月29日の台北電影節オープニング上映時には3D映画の向こうを張って"2D+玉蘭の香り"上映(「2D香氛放映」)と銘打ち、スタッフにより本編上映中、劇場内を香りで満たす試みがされた。

特定の香りを感じたときに、その場とは全く無関係な記憶が瞬時によみがえり、その鮮やかさに驚かされることがある。きっと嗅覚は、視覚や聴覚よりも原始的な力強さを備えているのだろう。《女朋友。男朋友》において玉蘭は、台湾の人に自身の出自とその歴史を頭ではなく体で感覚的に意識してもらおうという役割を担っているのではないか。

この冒頭のシーンにはもう1つの意味が込められている。監督によれば、この場面が表象するのは「3人の関係性の曖昧さ」だという。頭にライトをつけ暗闇の玉蘭の棚畑をうごめく高校生たちの姿はのどかで微笑ましい。単なる「友人の家業の手伝い」なのかアルバイトなのか。美寶を好きな阿仁が彼女の気を引こうとして何か話しかけている気配を、少し離れたところで背を向けて花を摘んでいる阿良が感じ取ってにっこり、いやにんまり笑う。はっきりとした台詞があるわけではない、たったそれだけの場面。

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 陳忠良は呉敏(ニエズ)と似たタイプで新鮮味がないという感想もあったが
 彼は呉敏よりももっと内にこもるタイプのように思える 最も大きな違いは
 本作においては、少年は成長し大人になるのである

阿良と美寶は幼馴染として一緒に育ち、美寶はおそらく映画で描かれる時代より前から阿良に対して幼馴染以上の深く強い想いを抱いている。2人は高校では同じ水泳部で、なぜかその部室らしき部屋の奥にある大時計(タイムを明確にするための試合用の時計だろうか?)の陰に、美寶は阿良へのちょっとしたプレゼントを隠している。それは食べ物だったり手紙だったり……。美寶はいつも実はけなげに阿良のことを想っているのだが(お笑いコンピよろしく阿良の頭をパカパカはたいているのは、彼女なりの親愛と占有の表現なんだろうかと思う)、阿良にとって美寶は姉であり妹のような大切な存在ではあるものの、恋愛感情に転じる余地は全くない(美寶と阿良と阿仁の3人が滝のある山中の川で遊ぶ場面で、観客はそれを理解させられる)。同級生たちと集まっていても、美寶が呼びに来るとついて行って美寶の運転するバイクの後部座席にまたがり一緒に帰宅する阿良。そんな風だから周りは皆、彼らが恋人同士だと思っている。

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 この2人乗りの場面の撮影中に、転倒して
 しまうメイキング映像(動画の中ごろ)

2人の関係を表していると思われる場面がある。美寶の腹痛のときに阿良が痛みを癒そうと寄り添う場面で、それは何度か繰り返され印象深いものになっている。美寶が腹痛で苦しんでいると、それはもう「いつものこと」とでもいうようにごく当たり前に、阿良は薬草である樟(クスノキ)の葉を揉んで彼女にその香りを嗅がせ、その手を取って痛みのツボでも押すかのように親指と人差し指の間をマッサージをする。スクリーンには彼の手の所作と2人の寄り添う姿が無音で映っている。美寶は複雑な家庭環境で育ったのだという(実はそのあたりの事情がよく理解できなかった)。彼女の腹痛に対するのと同様に、現実の人生の「痛み」をも分かち合い慰めてきたのが阿良なんだろうと想像する。活発で自立した(ように見える)美寶が、優しい阿良をどれほど頼りにし、どれほど想っているかを観客の心に刻む場面である。

高校時代の阿良の気持ちが、一体どこに向かっているのかということが明確に描かれる部分はほとんどなかったのではないか。ただ同級生たちと同じように、面白くて明るくリーダーシップのある阿仁に心酔しているのはわかる。もしかするといくつかの2人の会話の場面に、彼の気持ちを読み取れる部分があったかもしれない(が、理解できなかった)。高校の校内誌の編集室なのか何か特別教室なのか、男の子たちが集まってしゃべっている。もちろん阿仁も阿良もそこにいて、阿仁は阿良の腕に「我[イ門]是波……」で始まる詩を、タトゥーよろしくペンで刻んでいる。阿良は大人しく阿仁に腕を投げ出して、いたずら書きされるがままになっている。いやむしろ喜んで腕を差し出しているかのように見える。

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 女子(たぶん張心如という名前の役)もいた
 左奥が腕に詩を書かれる陳忠良

一方、阿仁は美寶が気になっている。だから、腹痛の美寶に寄り添って手を握る阿良を見て2人は恋愛関係にあると思いこみ、阿良に尋ねる。阿良はそれをきっぱり否定する。美寶が本当は阿良を好きなのをわかってはいて、それでも彼女に告白する阿仁。

友達とも恋人ともつかない曖昧な三つ巴の仲間としての「夜」は明けてゆき、大学から社会人になるにつれ、「友達」「恋人」……と定義される関係に変わっていく。

阿仁と阿良の大学進学とともに、舞台は1990年の台北に移る。1987年に戒厳令が解除され、台湾社会全体の動きと相まって「学園」にも体制への抗議の波が押し寄せている。阿仁はここでも学生運動の中心的人物として壇上で檄を飛ばしている。3人の主役たちをはじめ大勢の学生が集う抗議集会は体制側のバリケードに囲まれた緊張の中で行われている。1990年3月、台湾中の学生たちが台北の中正記念堂に集まり、国民党政権の在り方に反対して座り込みやハンガーストライキを行った「野百合運動」という実際に歴史に刻まれた事件である。監督もまさにそれを体験した世代とのことだが、映画の感想の中には、やはりこの事件の現場にいた人の「映画での描写とは違って、もう少し気軽な雰囲気だった」といった声もあった。大きな事件であればあるほど、個人の体験はそれぞれに異なるだろうが、社会的な抗議行動における体制の圧力の不気味さ怖さというのは、どんなにカジュアルな(ように見える)運動であっても存在するというのが、311以降の反原発運動を僅かに垣間見た中で得た自分の実感である。

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 中正紀念堂ロケ→記事

人生の転機とともに、3人の関係の転機もこの大学時代に訪れる。美寶と阿良の間に飛び込んできた阿仁という形で高校時代に始まった3人の関係は、故郷を出て大学に入学した阿仁とその恋人となった美寶との間から阿良が飛び出す形で終わりを告げる。阿良と美寶のプールでの悲痛な別れの場面はこの映画の前半の山場であり、2人が互いの手のひらに指で文字を書く場面もまたとても心に残る。その撮影風景は公式サイトの何本もの動画の中に編集されて使われており、「(撮影シーンの最後に泣き出し)『カット』の声がかかるとそのままトイレに飛び込んだが涙が止まらなかった」と張孝全自身が語っているほど真に迫った演技が見られる(撮影裏話としてはよくあるタイプのものではある)。

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 このスチールには
 「張孝全《女朋友。男朋友》劇照,神似張國榮」
 などという報道もあった

主人公たちが成長するにつれて、映画も、明るい若者たちの時代から大人の重苦しい世界へと次第にトーンを変えていく。香港映画界から「台湾映画なんてただの青春学園物ばかりじゃないか」と言われるのに反論したかったという監督が、青春を終えた世代に焦点を当てて作った映画。曰く「『あの頃、君を追いかけた』は若い人たちを笑わせるけれど、この映画は大人を泣かせるんだ」と(でも、いわゆる「泣ける映画」的安直さなど全くないので安心を)。だから、予告編の明るさ(主に高校と大学の学生時代の場面)を信じて見に行った人は「騙された」と感じるかもしれない、若い人は特に……。監督の映画作法はキャッチーでありながらストイックで、先に書いたように物語の重要なポイントの解釈を観客の想像に任せている。監督が「映画とは別のもの」との注釈付きで上梓したノベライズ本(楊監督と萬金油(作家)の共著)に見られるともすればメロドラマ的になりそうな物語性は映画では見事に排除されていて、登場人物の心理もモノローグや台詞などによる説明はない。台湾の観客層がどうかは知らないが、テレビドラマの懇切丁寧な「物語り」に慣れてしまうと、こういった形のフィクションを味わうことに違和感を覚えるかもしれない。台湾国内の興行成績は良かったようだが、億の単位には届かなかったのではないか(→未確認)。9月半ばからはシンガポールでも封切られ、今後は大陸でも上映されるという話(←本当か? でも大陸資本が入っているから上映もありか?)。釜山国際映画祭でも上映予定。いずれにせよ、意欲的で古くかつ新しい魅力的な映画であることには違いない。

大学を出た後にスキップするのは30歳を目前とした時代である。以降の内容をあまり細かく書く気はないが、この一区切りの中で最初に登場するのは、高校の同級生だった許神龍(演じているのは張書豪(ブライアン・チャン)。台北電影奨で最佳男配角奨(最優秀助演男優賞)を獲得)の同性婚披露パーティである。元々はシンプルな背景の中で撮影される予定だったこの場面を、プールと泡とダンスミュージックの派手なパーティシーンに変えたのは張孝全の提案によるものらしい(報道によると、彼が気に入っていた蕭亞軒(エルパ・シャオ)のMVの趣向を取り入れたとのこと→記事)。この場面は突飛に挿入されているわけではなく、パーティに参加した美寶が、その場の主役の許神龍から背中を押されるようにして、不参加だった阿良に電話して7年ぶりに話をするというエピソードを導くことになるわけだが、阿良の生きる「現実」との対比として、1996年台湾で初めてオープンに挙行された男性カップルの結婚式という実際の出来事を踏まえて提示された、もう一方の「現実」世界という位置づけになるのだろうと思う。

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 作中で印象的な張孝全の手&足
 演技のうち主要な場面の1つ

そして2012年の「今」の世界に登場するのは、40代半ばになった阿良と彼の双子の娘たちである。この2012年と1997年との間を結ぶ説明らしい説明はない。小樹が女子生徒たちを扇動して繰り広げる「スカートいらない。ショートパンツはかせろ」という抗議運動は、これもまた2010年3月に台南の女子中学生たちが厳しい服装規定に抗議して行った実際の事件を下敷きにしているという。自由への闘争は、社会的なものから個人的なものへとターゲットを変えてきてはいるが、今となってもまだ戦い取らなければならないものが存在する。国という観点においても、台湾は確かに中国語圏ではあるが、「中華圏」というくくりで大雑把にとらえるにはあまりに複雑で独自の背景(歴史)があることを、過去から現在に連なる台湾映画が教えてくれているように思う。

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 45歳の陳忠良と小樹&小雲(双子の娘たち)


監督や本人が何度も語っている話だが、張孝全は脚本を読んだ段階では鳳小岳が演じた王心仁役を望んでいたのだという。しかし、監督は脚本執筆の初期の段階から彼を陳忠良役にと考えていたと公式サイトのメイキング映像の中で語っている。楊監督は易智言(イー・ツーイェン)監督の助手として『藍色夏恋』の準備段階からその制作に携わり、ヒロインの桂綸[金美]は無論、高校生だった張孝全を易監督とともに発掘した人である(高校時代に台北MRTの忠孝敦化駅から忠孝復興駅間の車内でスカウトされたというエピソードは何度聞いても面白い)。この陳忠良役を振った監督は、張孝全の魅力を「さすがに良くわかっていらっしゃる」としか言いようがない。彼の男性的な外面の奥にある柔和と繊細を……。

張孝全が陳忠良を演じたくなかった理由は詳しくはわからないが、彼の経歴や日頃の発言から考えてもそれが「ゲイ男性の役だから抵抗があった」というようなものでは決してないだろうと思われる。彼はインタビューでゲイ役が多いことを問われるとよく「わかっていないから恐れたり抵抗感を持ったりするのであり、理解できれば恐怖や抵抗は小さくなる」と答えている。最近の雑誌インタビューでは「人と人との感情に男性女性の区別はない」とも言っている。

単なる憶測ではあるが、この論理から言うと彼は当初、陳忠良という「考えていることを表に出せない」性格のキャラクターを、脚本を読んだだけでは理解できず「何を考えているかわからない面白味のない役だ」と判断したのではないか。そこで監督は張孝全に陳忠良役を演じさせるために、役に似たプロフィールの男性を彼に引き合わせ、その人自身のことを語ってもらったのだという。そして、陳忠良という人がどのような人間かを理解したからこそ、彼はその役を引き受けたのだろう。それは「ある種の使命感」だった、とは本人の弁である。

その"リアル陳忠良"の名前こそ、台北電影奨での最佳男主角奨(最優秀主演男優賞)受賞の際に彼が謝意を表した「阿仁」である(王心仁ではない)。あの「自分とは無関係な人生が、自分の人生の一部分となった」という言葉(→報道記事)は、陳忠良という役が彼にとってどれだけ大きなものだったかを示していると思う。撮影が終わって2~3カ月後、撮影中に役作りのために聴いていた曲を耳にした張孝全は、自分の中にまだ陳忠良がいるのを発見して電話で監督を罵ったというエピソードがある(→報道記事)。陳忠良を演じたことの彼の内面への影響とともに、監督と張孝全の関係を物語るものとしても面白い。


【画像】以下のウェブサイトより
  ・公式フェイスブック
  ・MSN映画紹介ページ

【断りもなく参考にさせていただいた記事】
  ・"When Coming-of-Age Has Already Gone By"(ウォール・ストリート・ジャーナル)
  ・「放映週報」監督インタビュー(臺灣電影網)
  ・監督&桂綸[金美]インタビュー(『小日子』 BIOS Monthly)
  ・ブログ感想「電影《女朋友。男朋友》」(著者:Multipotent Womanさん)
  ・ブログ感想「為什麼我喜歡《女朋友。男朋友》?」(著者:Ryan Chengさん)
  ・雑誌 台湾版「GQ」2012年8月号 張孝全インタビュー(記事全文はウェブ上になし。公式サイト記事抜粋
ほか多数

【おまけ】
  ・YouTube「 《女朋友。男朋友》《愛》《星空》聯合慶功宴
台北電影奨授賞式後の祝典(というか宴会というか……)の映像。終盤で、郭采潔(アンバー・クオ)と張書豪の間にはさまれて鈕承澤(ニウ・チェンザー)の話を聞きながら、間がもたないのか何なのか、割り箸で思わず「ペン回し」を始めてしまうというナマな孝全クンが見られますw

  ・YouTube「電影【女朋友。男朋友】張孝全坎城影展初體驗
今年のカンヌ映画祭フィルム・マーケットに《女朋友。男朋友》で参加した際の取材映像。監督と張孝全が、カフェで陳忠良役の演技について語っています。個別のインタビューではなく、2人で話しているというところが面白いです。

  ・YouTube「 TVBS 看板人物 熱愛燃燒 10年星路 張孝全
45分に及ぶ個人インタビュー番組で、今年5月に放映されたもの。デビューから現在、未来までを語る孝全クン、「省話哥」の称号はどこへやら。この番組は、記事を書くのに毎度参考にさせていただいています。楊監督も何度も出てきます。

  ・監督インタビュー前篇および後篇(アジアンパラダイスPodcast)
通訳の方により日本語で聴けるアジアンパラダイスさんの有難く興味深い《女朋友。男朋友》についての監督インタビュー。音楽について上では触れませんでしたが(触れられるほどの知識がないためです)、この映画で音楽はとても重要な意味を持っています。そのあたりの深い話をこのインタビューで聴くことができます。映画中で使用されている楽曲は、書き下ろされたものも、時代に合わせて選ばれた当時の流行歌も素晴らしく、映画を見るとサントラ盤をぐるぐると聴くはめに……。

2009.09.28

昼間から呑む

Daytimedrinkingこのタイトルは自分の日記ではなく、23日に浅草(第2回したまちコメディ映画祭)で見た韓国映画の題名である。ことしのアジアフォーカス・福岡国際映画祭では『酒を呑むなら』というタイトルで上映されたが、したまちコメディ映画祭の方では『昼間から呑む』とされた。英題は《DAYTIME DRINKING》。韓国語の原題は「昼酒」という意味の言葉らしい。

映画祭サイトの作品解説にもあるように、ノ・ヨンソク監督はこれが初めての長編作品。100万円という超低予算で、自ら脚本、撮影、照明、編集、音楽までやってのけたという。

「失恋した若者のロードムービー」と聞くと、起伏の少ない自分探し的な物語を想像しがちだが、この映画は全く違う。コメディ映画祭で上映されるだけあり、むしろ「失恋したトンマな若者の、たまたまロードムービーwith酒」といったところだ。

とはいえ、こんな素敵なタイトルをつけながら、この映画は酒がうまそうではない。ほとんどの場面で飲み食いしているが、酒がうまそうに見えない。この映画で実にうまそうに酒を呑んでいるのは、主人公が結果的に2万ウォンを「騙し取る」ことになるゲイの労働者ぐらいなものではないか。大体、主人公自身が「酒を呑む」ということにこだわりを持っておらず(だが酒は強い)、酒のみならず、自分の行動にも大したこだわりも意志もない、素直で世間知らずの若者だ。

主人公の旅きっかけを語れば、その主人公の「ボケ」っぷりがわかってもらえるだろうか。

映画の最初のシーンは、若者たちの飲み会場面から始まる。主人公の失恋を慰めようと、皆で明日旅行に行こうという話で盛り上がる。当の本人は乗り気でなかったがその場の勢いに丸め込まれ、翌朝、現地のバスターミナルに1人降り立つ。ところが、友人たちは誰1人やってこない。「言い出しっぺ」の友人に電話をすると、来られないという。が、友人に説得され、後から友人も合流するということで、現地で友人の先輩がやっているペンションに泊まりにいくことにする。

あとは失敗続きの大ボケ話になる。とはいえ、だらだらしたなりゆきまかせの物語になるわけではなく、登場人物から台詞までしっかり練り上げられて愛すべき「くだらない」物語が形づくられ、「くだらない」オチに至るまで貫かれていくのが素晴らしい。

左上に貼った画像(韓国でのポスター?)を見ていただくとその片鱗がうかがえると思うが、映像も、そして音楽も、さりげなく心地よく美しい。特に美しい景色の中で撮影されているわけではないのだが、場面場面が、堂々たる映画の「絵」になっている。そしてそこに見事なプロットのくだらない物語が横たわり、その上を「イマドキの若者」が泳ぐ。

そのギャップが放つパワーは、山下敦弘監督作品以上のものがあるかもしれない。

2009.09.14

息子

2008年NHKアジア・フィルム・フェスティバルで上映された『My Son ~あふれる想い~』(チャン・ジン監督/原題は韓国語の「息子」)をテレビで見た。強盗殺人により終身刑に服している男(チャ・スンウォン)が、帰休という制度により、たった1日だけ15年ぶりの帰宅を許される。3歳のときに別れたまま顔も知らない息子(リュ・ドックァン)と、老いた母のもとへ……。

入りやすい設定の話だが、チャン・ジン監督らしい仕掛けがそこここにある。その仕掛けには、観客からも随分と異論があったようだ。とはいえ、これこそまさにチャン・ジン式父子の物語。一筋縄ではいかない作家が、テレビで見た受刑者の帰休に関するドキュメンタリーをきっかけに、老いた自身の父や生まれ来る息子に対する想いを、自分のやり方で素直に作品にしてみたらこうなった、というところではないか。

最大の見どころは、やはり15年ぶりで「初めて」会った父と息子の距離が、時間を経るにつれ少しずつ縮まっていくところ。本当は気になって仕方がないのに、なかなか素直になれない2人が、ついに夜の街に走り出し心を開いていく様は、青春全開(←死語?)の初恋物のラブ・ストーリーを見ているようで、こちらが気恥ずかしくなるぐらいだ。

チャ・スンウォンは、狂気はあるがオトボケあり、人間味はあるが生活臭なし、といったギャップも楽しい、大好きな俳優の1人だが、息子を演じたリュ・ドックァンは、チャ・スンウォンのような濃いタイプとは対極の、パク・ヘイル系の楚々としたさわやか男子(撮影当時20歳)だ。クールな優等生的風貌に父への想いを宿したツンデレっぷりは、見事はまっていたと思う。『ヨコヅナ・マドンナ』では、体重を27kg増やして、韓国相撲のチャンピオンを目指す性同一性障害の高校生を演じた。20歳そこそことはいえ、子役から経験を積んできた演技派とのこと。本作は素直に演じたとインタビューで語っていた。新作は悪役だそうだが、これもまた器用にこなすのだろうなと推察する。

物語の種明かしのあと、周囲をも動かした父と息子との深い愛、そして、それ(血縁)とは別の「人と人との触れ合い」のかけがえのなさに感じ入る。

しかしそれでも、「なぜそうしたのか、そこまでしたのか」という思いが湧かないだろうか。 (作家の意図とは無関係に……というか、この作家にそんな観点はないだろうが)そのココロを、主人公の、友への友情を越えた感情にあったのではなかろうかと読みたくなるのは腐り過ぎか? 10月19日の夜中に再放映するので、眠らずに済めば、このあたり再確認してみたい(爆)。

『ヨコヅナ・マドンナ』をスポーツ物の少年ギャグ漫画とするなら、『My Son ~あふれる想い~』は一昔前の「新感覚」少女漫画といったところだろう。でもどちらにも、芸達者な俳優たちがいて、市井の人々の生活がうんざりするぐらいしっかり描かれていて、心に響く台詞がある。それらを土台として、オリジナルなものをつくろうという作り手の心意気が伝わってくるから、ただの漫画的映画として上滑りしないのだと思う。

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『Orzボーイズ!』は見損ねてしまったので、こちらも10月14日にかけてみたいと思います。

2009.09.05

PRINCE OF TEARS のみなさん

《PRINCE OF TEARS(涙王子)》は、第66回ベネチア国際映画祭で9月4日に上映された。

1段目右端は聯合網(画像はAFP提供)記事より。
2段目は公式サイトより。(←Vサインはやめれ)
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映画の公式サイトによれば香港は10月22日、台湾が10月30日封切。公式ブログには、ベネチア入りの報告写真が楽しそうに載っかっている→威尼斯日記(海で遊ぶ気満々そうな風情の張孝全)。BBCニュースのレポートは、おそらく4日の映画祭での監督の弁をまとめたものだろうと思われる。張孝全が演じた役柄の男性の娘さん2人(少女2人の姿はトレイラーでも見られる)が実在していて、そもそも彼女たちの(父親への)想いこそが、台湾(あるいは対岸も含む?)において今も制作発表すら難しい政治的背景を持つ時代を描いた作品をつくり上げるための原動力、といったところか。


ニエズ話題のおまけ。
昨年NHKアジアフィルムフェスティバルで上映された、2008年台湾の大ヒット映画『Orz ボーイズ!』が、NHK BSで放映予定。阿鳳の馬志翔が出演している。ほかの放映作では、一昨年の映画祭で『京義線』を見たが、なかなか印象深くおもしろい。昨年見逃したチャン・ジン作品(『My Son ~あふれる想い~』)も是非見たい。

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