« DVD発売情報 | トップページ | 2013年 »

2012.11.23

とうにTIFFを過ぎて

今年、第25回東京国際映画祭で見た映画は、「アジアの風」が8本とコンペティションが1本。かなり少ないが、このところチケット取りが面倒でTIFFには余りまじめに足を運んでいなかったので、今年はまあまあがんばった方かと思う。彭浩翔(パン・ホーチョン)作品など、『AV』のあとはチケットが全く取れなくなってTIFFでは見るのをあきらめていたが、新しいチケット販売システムでは『恋の紫煙2』があっさり取れてしまったので、キツネにつままれたような気分だった。今回見た映画の中で最も好きなものは『帰り道』、次が『ブワカウ』、その次が『怪奇ヘビ男』。ということで、今さらながらTIFFで見た映画の感想&関係がありそうでなさそうな与太話を駆け足で少し書いてみたい(観た順)。

『光にふれる』(台湾・香港合作の台湾を舞台とした映画/張榮吉(チャン・ロンジー)監督)。今回の「アジアの風」の中でも非常に前評判が高かった作品。「台湾映画」らしくしっとりと始まりながら、格調高くならずに、青春学園モノとしてこぢんまりと力のぬけた感じに終わるところが好きだ。「夢をあきらめるな」といった安直なテーマではなく、他者とのつながりの中で先へ進もうというストーリーも、主役がピアニストを目指す視覚障害の若者とダンサー志望の不遇な女性という設定においては比較的新鮮かと思う。主人公ユイシァンの母役の李烈(リー・リエ)と、主人公と出会うダンサー志望のシャオジェの母役の柯淑勤(コー・シューチン)がさすがの演技でがっちりと脇を固めている。若い脇役陣も良かった。張榕容(サンドリーナ・ピンナ)の台北電影奨最優秀主演女優賞は敢闘賞あるいは努力賞というところか? 今やプロデューサーとしても大活躍の李烈は、むろん女優としても多くの作品に出演していてしばしば名前を見かけるが、11月に台湾で公開される新作《甜・秘密》では馬志翔(マー・ジーシアン)と共演している(←とても楽しそうな作品でぜひ見てみたい)。

『パンのココロ』(台湾映画/高炳権(カオ・ピンチュアン)、林君陽(リン・チュンヤン)監督)。アジアの風の現プログラミング・ディレクターのセレクトの中にたまに出現する「ご当地紹介映画」の一本といった作品。台湾の田舎町で生きる若者たちの人生選択の物語であるとともに、そこで暮らす人々のローカルで牧歌的な日常が描かれている。陳漢典(チェン・ハンディエン)という人は『モンガに散る』で接着剤責めにされる恐ろしい場面の印象が強烈だが、コメディをやらせても上手いんだなぁというのが最初の感想。そして今最もホットな台湾の女優、陳妍希(ミシェル・チェン)の少し古風な魅力にも納得。Q&Aで飛び出した「三太子」の話題も興味深く楽しかった。登場場面は回想シーンのみで少ないが、この映画でもヒロインの母を演じていたのは柯淑勤。ちなみに本作とは全く関係ないが、陳妍希と張孝全が共演した"微電影"《小幸感<上篇>》が現在動画サイトで見られる。後篇は12月7日発表とのこと。"微電影"というのはこの動画を見た限りでは「ドラマ風長編コマーシャル」であり「電影」と呼べるようなものでは全くない。

『恋の紫煙2』(香港・中国合作映画/彭浩翔(パン・ホーチョン)監督)。大好きな「だめ男」話。久しく彭浩翔作品を見ていなかったが、相も変わらずどうということもない話であるにもかかわらず、上手すぎて言葉もない。男女の機微と本音、生身の人間の可笑しさ、中国本土を舞台としながらも香港人が醸す香港テイスト、といったあたりが手際よく一皿に料理されていて、観客はひたすら舌鼓をうつだけだ。自分が知らないだけかもしれないが、香港は台湾と違って魅力ある「若手」俳優がなかなか出てこないなぁと思う反面、このような大人の恋愛をストレートに描いた作品は台湾の映画では見かけない気がする(あ、余文楽(ショーン・ユー)はまだ若手か……)。映画ではなく小説か戯曲であっても、この話は抜群に面白いのではないかと感じた。

『プワカウ』(フィリピン映画/ジュン・ロブレス・ラナ監督)。アジア映画賞スペシャルメンション。独居老人と飼犬"ブワカウ"の話だというから淡々とした人生の終末を描いた話かと思ったら、ゲイであることを隠しながら生きてきた老境の男の素敵な初恋の映画だった。本国では検閲にあって数を減らされた「3回」のキスは、映画祭ではフルバージョンでの上映(といっても慎ましやかなキスシーンである)。それは、酔いつぶれた相手の寝込みを襲う……いや襲うなどという荒々しいものではなく、キスそのものへの好奇心と相手への想いを抑えきれずに、しかし目を覚まさないかどうかを恐れながらの、見ている方もドキドキする映画のクライマックスだった。初恋はお決まりのごとく実らずに終わるのだが、その恋によって生きる喜びを知った彼は変わる。母を看取った後も閉め切ったまま過ごしてきた暗い部屋の窓を開け、軽やかなカーテンを掛け、仕舞われていた沢山の美しい調度品を飾る。ラストシーン直前のその「きれいになった部屋」の情景は、彼の明るくなった心の中を映しているかのようだった。老境にさしかかった独り身(→って自分か)にも夢と希望を与えてくれる素晴らしい映画だと思う。主演のエディ・ガルシアはフィリピンの名優。「米国だったらクリント・イーストウッド、日本で言えば三国連太郎クラス」という紹介に、Q&Aに登壇された監督に対し、場内から「そういった俳優が今回の役柄を演じたことに対する観客の反応は?」という質問が飛んでいたが、エディ・ガルシアは過去にゲイの役を演じたこともあり監督をしたこともある経験豊富な俳優で、今回の役柄も彼の数多くある「引き出しの1つ」に過ぎないと回答されていた。このとき筆者が「張孝全も『同志役も引き出しの1つ』と言われるようになるまでがんばってほしいものだ」と考えたのは言うまでもない(→本当に)。

『NO』(チリ・アメリカ合作映画/パブロ・ラライン監督)。コンペティション作品は沢山見たいものがあったのだが、結局見たのはガエル・ガルシア・ベルナル主演のこの1本のみだった。1988年に行われたチリのピノチェト軍事政権の信任投票を、当時のニュース番組や信任選挙における体制側と反体制側の宣伝番組の実際の映像を織り交ぜながら描いた作品。タイトルのとおり、映画はピノチェト不信任(NO)陣営の活動を主軸に展開する。TIFF公式サイトでは「NO陣営は広告業界の若きエグゼクティブを採用して果敢なキャンペーンを展開する。(中略)本作では資本主義の象徴とも言える広告業界を通して独裁政権の終焉を見つめ、(後略)」と紹介されている。NO陣営の圧政との戦いは「信念」を動力としてはいるが、一般大衆に恐怖政治をはねのける(=「現体制に『NO』と言う」)勇気を出してもらうために「広告屋」の主人公が宣伝番組で伝えたのは、「信念」ではなく「NO」と言うところから始まる「明るい将来へのビジョン」だった。当時の実際の宣伝番組の映像がかなり面白い。NO陣営なのによく資金があったなぁと単純に思う。日本なら金を持っているのは体制側のYES陣営で、だからこそ、この国は何も変わらずにここまで来てしまっている。Q&Aで、若き米国人プロデューサーは、現在の世界におけるこの作品の意義について語っていた。目を覚まし、勇気を出してNOと言うべきは99パーセントの我々大衆であり、この映画が見せる「NO」キャンペーンはそのまま99パーセントに向けられているのだと思う。

『老人ホームを飛びだして』(中国映画/張楊(チャン・ヤン)監督)。アジア映画賞スペシャルメンション。これもまた「ご当地紹介映画」という感じの1本。ある意味、5年前にTIFFで上映された『帰郷』(《落葉帰根》)と「対」になるようなロードムービーでもある。老人ホームに暮らす様々な「事情」を抱えた老人たちが、テレビの視聴者参加番組(「仮装大賞」)に出演すべくオンボロのバスで老人ホーム(映画に出てくる門前の看板には「関山老人院」とあったが場所がどこなのか不明)から天津まで何日かをかけて旅をする。老人の「事情」の部分には、老いや病気の問題、家族との関係の問題などが丁寧に描かれている。それぞれの老人がそれぞれ問題を抱えている「個人」であるのにもかかわらず、老人ホームに「預けられている」がゆえに、彼らの現在の人生は、老人ホームの院長(経営者)と彼らを「預けている」家族たちの手中にある。主権者の反対に背いて「老人ホームを飛びだし」、一時的であれ自分の人生のハンドルを奪還した老人たちの姿は大変痛快であるとともに、人の尊厳や矜持といったことまで考えさせられる。廃車になったバスを調達して老人ホーム職員たちの目をごまかしながら大勢でバスに乗り込む作戦実行のくだりの高揚感は、終盤の「泣かせる」エピソードの俗っぽさを補って余りある。実際のところは、じいさんたちの仮装が一番面白いのだが……(麻雀のパイは可愛すぎる!)。ツイッターでも書いたが、ここに「職員と老人の家族との恋」などといった脇のエピソードを入れずに、老人話だけで突っ走るのがまさに「中国(大陸)の映画」。(台湾の《練戀舞》(張孝全主演の老人ホームを舞台にした映画)など、実際は公視人生劇展のような地味な物語でありながら、ラブストーリー的な仕掛けをちらつかせて観客を引っ張っている面が……)

『眠れぬ夜』(韓国映画/チャン・ゴンジェ監督)。子どものない30代の夫婦の日常。TIFFの公式サイトでは「格調高く」と評されていたが、それは単に使っている音楽がバッハ(のみ)だからではないのか。が、個人的には冒頭で挙げた3作の次に好きな作品。表面上は夫婦げんかが元のさやに納まって「ハッピーエンド」となってはいるが、この映画は、他人が夫婦となり家族となっていく中で忘れ去られていく、「人間は孤独で個別な存在である」という本質を切り取って見せてくれているような気がする。劇中の夫婦に子どもができれば、こんなささやかな諍いがあったことなど忘れてしまうだろう。そしてそんな諍いが今後あったとしても、日常に紛れて、それにこだわることを後回しにせざるを得なくなる。(とはいえ子どもがいようがいまいが、離婚する夫婦は沢山いるわけで、相性というのは(性(しょう)が合う合わないの2分割ではなく程度として)あるのだろう) 夫婦が室内で会話している場面にも大き過ぎるぐらいに外の物音をかぶせていることで、テレビドラマとは違って、夫婦のドラマを相対化しようとする意図が感じられる。絵面では2人だけの世界を映しているのに、音を聴いていると、2人だけの世界はズームアウトして集合住宅の窓の明かりの1つになってしまうかのようだ。


2013.1.3追記(今頃やっと……)
Icarriedyouhome
『帰り道』(タイ映画/トンポーン・ジャンタラーンクーン監督)。英題は《I Carried You Home》。2012年の東京国際映画祭で見た映画の中で最も好きな1本。バンコクで叔母の家に身を寄せて高校に通うヒロイン、パーン。南部の街で1人暮らす母がバンコクに遊びに来たが、事故が起きて重傷を負い危篤状態で入院する。父と母は離婚しているようで、身寄りといえば母の妹と、5~6年ほど前にシンガポールに行ったきりほとんど行き来のない姉のピンだけだ。パーンはピンをバンコクの病院に呼び寄せるが、姉を待たずに母は息を引き取る。そしてバンコクから足掛け2日の、母の亡骸を故郷に送り届ける姉妹の旅が始まる。ヒロインのパーンを演じるのは、タイの若手人気女優アピンヤー・サクンジャルーンスック。姉のピンを演じるのはテレビドラマで活躍し映画出演は初めてというアカムシリ・スワンナスック。どちらの女優も非常に美しく、その美しさは、リアルで抑制されたこの映画中「最もリアルでない」部分の1つであるといえるのでは……? 実はこの姉妹の間には大きな溝がある。バンコクから母の遺体を乗せて移動するバンの車中、母の枕元に座る姉に対し、顔をそむけるように遠く離れて座るパーン。座る位置そのものが2人の距離を示している。その理由は姉ピンが家を出てシンガポールに行ってしまったことにあるようなのだが、そういったことは最初から説明されているわけではなく、時を経て姉妹がほんの少しずつ溝を埋めていく過程で、観客にも何となく事情をわからせるような仕掛けになっている。目的地である故郷は、タイ本国での本作の原題でもある"パーダン・ベサー(ปาดังเบซาร์)"というマレーシア国境に近い街で、マレーシアに多いイスラム教徒も、もちろん仏教徒も、キリスト教徒もいるというエキゾチックで自由な個性を持つ地域のようだ。「タイといえば仏教国」といった固定観念を払拭する、この街の映像がとても魅力的である(→TIFFでのQ&A参照)。「葬式物」は、葬儀の「地方色」「お国柄」で一定の文化的好奇心と映像面での興味を満足させながら、大概はバラバラになった家族が1人の死をきっかけに人間関係を修復するというパターンで「いい映画」っぽく仕上げてくるに決まっている……という先入観が自分にはあり余り見ないようにしているのだが、この映画には安っぽい演出はなかった。姉妹は、大切な母が死んだからといって大きく取り乱したり騒いだりしない。最後まで、肩を抱き合って泣くような見え透いた和解シーンもない。映画の終盤で、姉妹が火葬場の煙突から立ち上る煙を眺めながら、「死者は煙になって自分の住んでいた家の方向に戻ってくるというが、そんなことは全然ないじゃないか」という意のことを話す場面があったかと思う。その後すぐに、2人は母の住んでいた自宅に戻る。妹のパーンは部屋の中でテレビを見ようとしている。アンテナがおかしいのかテレビの調子が悪い。ずっとよそよそしかった妹が、姉にアンテナを直してほしいと甘える。アンテナを直そうと外に出たピンが家の庭から空を見上げると、火葬場の煙突から出た煙らしきものが自宅に向かって流れてきている。ピンは多分それを自覚的に見ている(様な気がする)。でも、パーンを呼んで一緒に眺めたりしない。このクールさがいい。それは意地悪でも何でもない。「しっかり者の姉と甘えん坊の妹」という本来の関係を取り戻した2人のところに母が煙になって戻り、3人の家族がもう一度集まったという安堵感のようなものをピンは感じていたんじゃないか。このあたりで、パーンがあれほど姉を遠ざけようとしていたのは、自分を置いて遠くへ行ってしまった姉に対して「すねていた」だけなのではないかと思われてくる。ボーイフレンドがいて、煙草も吸って、いっぱしの大人のようにふるまう女子高生が、姉に頼り切った「女の子」だったのだ。監督は家族の物語だと言っており、姉ピンを演じたアカムシリ・スワンナスックもとても印象的だったが、この映画は幼い駄々っ子の妹パーンの成長の物語でもあると思う。ピンが結婚を取りやめてシンガポールに行き女性と暮らしている事情を直接確認し理解しようとするパーン。ピンに対し、姉と妹としてではなく人間として向き合おうというその第一歩が、母の死によってもたらされた姉の帰還で実現する。そして海への散骨の日、船の舳先から母の遺骨を撒いて「これでいいね?」というようにしっかり後ろを振り返るパーン。横には姉が座っている。後ろに立って頷く男性は、彼女たちが母の死を「連絡しようか」と語り合っていた「父」ではないだろうか?

« DVD発売情報 | トップページ | 2013年 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/9120/56046093

この記事へのトラックバック一覧です: とうにTIFFを過ぎて:

« DVD発売情報 | トップページ | 2013年 »