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2012.10.07

ささやかなお土産を

台湾に出かけたもう1つの目的は、台鐵に乗るというものだった。行き先は特に理由があったわけではないが、時間の都合もあり南部の古都である台南に決めた。実は台南でも《女朋友。男朋友》を見るつもりでいたのだが、朝の食事に時間をかけ過ぎて予定の自強号(特急列車)に乗り遅れたため実現しなかった。ただ台鐵は運行時間に遅れが出ることが多いようなので、予定の列車に乗れたとしても、もしかしたら上映時間に間に合わなかったかもしれない。

Gfbf_e8台南駅前

映画を見るという目的を逸したため、炎天下の街中をぐるぐると歩きつつ古刹である大天后宮に行ってみることにした。寺に向かう途中「海安路」という大きな通りを歩いていくと、道路の中央に巨大な映画看板が次々と現れた。過去に行われた映画祭か何かの記念碑なのか、今上映している作品ではなく、過去の名作やヒット作の手書き看板である。『風と共に去りぬ』や『タイタニック』といった洋画の看板が続いたあとに、『恋恋風塵』やら『ラブソング』やらが現れ、その後に目に飛び込んで来たのが、さすが台湾というこれ(下)。びっくりして思わず写真を撮ったが、台湾で本作がいかに愛されたかがよくわかる。

Gfbf_e5手前の人と車で、大きさがわかるかと……


そして下は大天后宮。向こうではポピュラーな海の神様、媽祖を祭る古い寺。通りを1本奥に入ったところに参道もなくひっそりとあるが、中は意外と大きく、街中の不思議な異空間という感じだ。この媽祖という神様を初めて知ったのは、20年以上前に読んだ荒俣宏の小説だっただろうか。

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ひと通り本堂の中を見てまわり、入口の門をくぐって帰ろうとすると、門の脇で本尊に供える花を売っていた女性が、「日本人ですか?」とよどみない日本語で声をかけてきて、この寺院と日本との深い縁を話してくれた。とても優しい雰囲気の人だったので、彼女が売っていた花を1皿買って(100元だった気がする)やり方を教わり、引き返して祭壇に供えることにした。馬鹿丸出しで「この花は何という花ですか?」と尋ねたら「玉蘭」と……。前夜に見た映画で孝全クンが摘んでいたのは何だったというのだ、おまえは一体どこを見ていたのだ。

Gfbf_e6中央は胡蝶蘭ですね

花を供えてもう一度門まで戻ってくると、帰り際に先ほどの花売りの女性が寄ってきて、自分が肩から掛けていたカバンに針金に通した玉蘭の花をつけてくれ、「また来てくださいね」と言った。思わず正直に「台南は遠いです」と答えたが、何で「また来ます」と言えなかったのかと後で後悔した。ひりつく晴天は寺にいるうちに一転して雨となり、ほっとする涼しさをもたらした。

Gfbf_e7 Gfbf_e10玉蘭

台南からは区間車(鈍行列車)で新左營まで行き、左營から台灣高鐵(台湾新幹線)で台北に戻るごく普通の帰路をたどる。駅弁は食べられなかったが、特急に鈍行に新幹線と各種の列車に乗れたのでひとまず満足だ。「家に帰るまでが遠足」ならぬ「切符を買うところからが電車乗り」だ。カバンにぶら下がった玉蘭は、台北に戻ってもなお芳香を放ちつづけた。

さて、前の記事で映画を見た後に祝杯を挙げたと書いた。その2日分の図。左は1日目、右が2日目。

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映画館は、台北でもほかの街でもほとんどがシネコン化していてデジタル上映である。フィルムでの上映館はどこの街でも、多数ある映画館のうち1つか2つといったところのよう。たまたま泊ったホテルから歩いて10分ほどだった長春國賓影城というシネコン(デジタル上映)で2回とも見たのだが、この映画館、何度か監督やキャストが宣伝に訪れていて、出かけた前日にも楊雅[吉吉](ヤン・ヤーチェ)監督と鳳小岳(リディアン・ヴォーン)が来ていたらしい。台北のうちでも、かなり長い間《女朋友。男朋友》を上映していた映画館である。見たのは土曜の19時30分の回と日曜の21時30分の回だったが、土曜はともかく、日曜の遅い時間帯でも6~7割は観客がいたのに驚いた。

写真のビールの後ろに写っている雑誌は、左が張孝全表紙の台湾版『GQ』8月号。わざわざ買いに行ったわけではなく、ビールを買おうと入ったコンビニの雑誌の棚に普通に陳列されていたもので、どうしても素通りできず購入することになった。この『GQ』の張孝全インタビューはそんなに長くはないが、演技についてかなり突っ込んだ質問をしていて面白い(前の記事にも書いたように、ウェブ上に公開されているインタビューは抜粋で全文はない)。インタビュアーが、ニエズのときの呉敏の声と表情と、メイキング映像のインタビューでの素のそれとの違いについて話を向けると、彼は(ニエズを見て)、「自分の声は、どうしてこんなに軽く柔らかい声に変ってしまったのか」とびっくりしたと言っている。

右は『cue』という映画雑誌の7月号。コンビニで売っていたのはもう8月号だったが、7月号が桂綸[金美](グイ・ルンメイ)と鳳小岳のインタビューだと知って、SPOTまで行って買ってきたもの。


※写真はすべて携帯電話のカメラで撮影 (でも、ピンボケ部分は撮った人のせいです)

2012.10.01

フライング・ザ・《女朋友。男朋友》

馬鹿な奴だとお思いでしょうが、待ち切れず8月下旬に台北で楊雅[吉吉](ヤン・ヤーチェ)監督の最新作《女朋友。男朋友》を見てきました。映画の紹介記事や予告編映像を見る限り、また前作の好評を受けての監督作品の注目度と配役の話題性によって、映画祭にしろ一般公開にしろ日本でも必ず上映されるだろうと信じていましたし、現在でもそう信じてはいるのですが……。

Gfbf_e1現地に行ってでも見たいと思ったのは5月の終わりごろでしたか、台北電影節でこの映画が開幕上映されると知ってからですが、映画祭で2回ある上映は「秒殺」でチケットが売り切れてニュースになっているくらいでしたし、そうでなくとも海外の一般人がこの映画祭のチケットを買えるのかどうかわかりませんでしたので、そこで見ようというのは自分にとっては難易度の高い望みでした。それで一般公開が始まったら考えようと、8月3日の台湾での封切り以降、台湾の映画情報サイトで上映館と上映時間をチェックしていました。かろうじて行けることが決まった公開4週目ともなると、各館上映回数が減ってきていて、当初は3回ぐらいは見たいと考えていたのですが、実際に見られたのは2回。しかも目論んでいたように複数回見たからといって内容がよくわかったかというとそんなことは全くなく、せいぜいが50パーセント程度の理解度といったところに終わりました。自分の能力では、聞き取れる中国語はごく簡単な単語程度で、字幕の理解力も同程度です。劇場で観るのは、再生をストップして字幕を辞書で確認できるDVDでの鑑賞とは勝手が違うことを思い知りました。中国語字幕の下に小さな文字の英語字幕まで付いていたにもかかわらず、です。(右の画像は、映画館入口にあった大きなライトボックス型の映画看板@長春國賓影城)

とはいえ、楊監督の映画は説明的なものではないため、そんな不完全な状態であっても十分に楽しむことができました。しかも、3人の主役の中で特に重要な役柄であると言える陳忠良(張孝全)は、内向的で台詞の少ないキャラクター。今回の彼の演技の見せ場の多くは、無言あるいは静かな台詞まわしとともに動作や表情によってじっくりと表現されているため、言葉のわからぬファンであっても「何回見ても飽きないよ」状態になることは必定。5年前から切れたままだったパスポートを再発行してまで見に来た甲斐があったと、ホテルに戻って1人ほくそえみつつ祝杯を挙げました(×2回鑑賞分)。もちろん、台詞が非常に重要な場面もあります。「あの場面をきちんと理解したい」と思っても、もう今のところは日本での上映またはDVD発売を待つしかないのが辛いところです。

この状態で感想などを書くのはいかがなものかと、一度書き始めた感想をストップしたまま4週間以上が経ってしまいました。「言葉がわからず映画が理解できませんでした」というのは体の好い言い訳に過ぎず、実際にはたとえ台詞が理解できていたとしても、映画そのものを読み解く力の方こそ、自分にはないかもしれません。決して小難しい映画ではありませんが……。

しかし、映画の本当のテーマの部分を考えるのは日本語できちんと見てからということにして、これまでにインターネット上で目にしたさまざまな記事なども踏まえながら、今の状態で感じていることを取りあえず出してみることにしました。(何と理屈をつけようとも、要は、映画が非常に良かったので何か言わずにいられない、ということなだけですかね)

「ネタバレはダメ」とかそういう話は好きではないのですが、作品を見る前に前知識を入れたくない方は、ここでストップしておいてください。

何が「ネタ」かというあたりもいろいろ言いたいことはあるのですが、自分自身この映画を見る前からかなりな量の情報を入れてしまっていた(つもりだった)にもかかわらず、見てみたら全く予想外の成り行きであったことに驚いたと同時に、そのテーマの広がりに深く考えさせられるところがありました。台湾の観客の感想を検索すれば「ネタ」などすぐにわかってしまう文章が、今では沢山書かれています。でも映画の筋立てがわかったところで、「誰がどうしてどうなった」という部分はこの映画の本質ではなく、監督自身がインタビューや観客との質疑応答の中で、結末をはじめとするいくつかの重要な場面の解釈を観客に委ねており、固定的な見方を断固として否定しています。

いずれにせよ、以下では、自分が作品を見る前にあらかじめ知っていた以上のことには触れないつもりではおります。書いていることに間違いがあったら、それは筆者が「中国語を理解できていない/台湾の歴史を知らない/映画の読解力がない/誤記・勘違いの多いまぬけである」のどれかだと思って、「冷やかに笑う/こっそりメールで教える」等あなたのお好きになさってください(→できれば後者を歓迎します)


◆◆◆

『Orzボーイズ!』〈2008年〉の楊雅[吉吉](ヤン・ヤーチェ)監督の最新作《女朋友。男朋友》は、およそ30年にわたる現代台湾の社会情勢を背景に、林美寶(桂綸[金美](グイ・ルンメイ))、陳忠良(張孝全(ジョセフ・チャン))、王心仁(鳳小岳(リディアン・ヴォーン))という3人の高校の同級生が大学生から社会人へと人生を歩んでいく中での「友情」と「愛」の変相を描く「ポスト・青春ムービー」である。

主役たちの時空は、高校時代(1985年)から大学生(1990年〉、社会人(1997年)を経て現在(2012年)に及ぶ。

高校時代は、彼らの出身である南部の大都市高雄の、高校と夜市と緑色濃い自然の中で繰り広げられる。「夜明け前」の台湾の自由を求める世の中の空気は高校生の彼らにも決して無縁ではないらしく、林美寶は学校が終わると夜市の露店で古本を売りながら、こっそりと禁書である民主化運動系の雑誌も売っている。陳忠良(阿良)はその本屋を手伝っている。学校は全体主義的な統制を方針とした教師たちによる高圧的な指導が行われており、校内誌の編集長として威勢よく反抗を示しているのが王心仁(阿仁)。学校側が主催する全校集会で、教師の講話を拡声するマイクの元電源を切り、爆薬を職員室に仕掛けて放送設備を乗っ取り流行歌(『河堤上的儍瓜』→「儍」が表示されない方、すみません。的と瓜の間に[sha](第三声)という音の文字が入ります)のカセットテープをセットして校庭に響き渡らせた上、学校側にダメ出しをくらった校内誌の新刊を生徒たちにばらまく。教師に何度しぼられようとも懲りない強い信念と、周りを巻き込むカリスマをもった破天荒な少年だが、ただ1つなかなか彼の意のままにならないのが、彼の上を行く強さでしなやかに生きる美寶との関係だ。

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 高雄の夜市("商展")で古本を売る美寶&阿良のところに後からやって来る阿仁

映画は、高校生の3人が玉蘭を摘む何とも美しい夜の場面から始まる。この玉蘭の棚畑は阿良の家のものという設定とのこと(実際の撮影は新竹だそう)。玉蘭は、本作における監督こだわりの要素の1つであるようで「無音で香りのある映画がつくりたかった」と言っているインタビューもある。玉蘭は主に台湾の中南部で生産され、夜に摘花されて台北などの都市に運ばれて消費される「農産物」である。上品な芳香を放つ白く細長い清楚な花で、街中で売られたり、寺院で供花として売られていたりする。その香りは台湾の人々にとって、花売りの「おばちゃん」や、花を買う祖母を思い出させる懐かしいものだという。6月29日の台北電影節オープニング上映時には3D映画の向こうを張って"2D+玉蘭の香り"上映(「2D香氛放映」)と銘打ち、スタッフにより本編上映中、劇場内を香りで満たす試みがされた。

特定の香りを感じたときに、その場とは全く無関係な記憶が瞬時によみがえり、その鮮やかさに驚かされることがある。きっと嗅覚は、視覚や聴覚よりも原始的な力強さを備えているのだろう。《女朋友。男朋友》において玉蘭は、台湾の人に自身の出自とその歴史を頭ではなく体で感覚的に意識してもらおうという役割を担っているのではないか。

この冒頭のシーンにはもう1つの意味が込められている。監督によれば、この場面が表象するのは「3人の関係性の曖昧さ」だという。頭にライトをつけ暗闇の玉蘭の棚畑をうごめく高校生たちの姿はのどかで微笑ましい。単なる「友人の家業の手伝い」なのかアルバイトなのか。美寶を好きな阿仁が彼女の気を引こうとして何か話しかけている気配を、少し離れたところで背を向けて花を摘んでいる阿良が感じ取ってにっこり、いやにんまり笑う。はっきりとした台詞があるわけではない、たったそれだけの場面。

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 陳忠良は呉敏(ニエズ)と似たタイプで新鮮味がないという感想もあったが
 彼は呉敏よりももっと内にこもるタイプのように思える 最も大きな違いは
 本作においては、少年は成長し大人になるのである

阿良と美寶は幼馴染として一緒に育ち、美寶はおそらく映画で描かれる時代より前から阿良に対して幼馴染以上の深く強い想いを抱いている。2人は高校では同じ水泳部で、なぜかその部室らしき部屋の奥にある大時計(タイムを明確にするための試合用の時計だろうか?)の陰に、美寶は阿良へのちょっとしたプレゼントを隠している。それは食べ物だったり手紙だったり……。美寶はいつも実はけなげに阿良のことを想っているのだが(お笑いコンピよろしく阿良の頭をパカパカはたいているのは、彼女なりの親愛と占有の表現なんだろうかと思う)、阿良にとって美寶は姉であり妹のような大切な存在ではあるものの、恋愛感情に転じる余地は全くない(美寶と阿良と阿仁の3人が滝のある山中の川で遊ぶ場面で、観客はそれを理解させられる)。同級生たちと集まっていても、美寶が呼びに来るとついて行って美寶の運転するバイクの後部座席にまたがり一緒に帰宅する阿良。そんな風だから周りは皆、彼らが恋人同士だと思っている。

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 この2人乗りの場面の撮影中に、転倒して
 しまうメイキング映像(動画の中ごろ)

2人の関係を表していると思われる場面がある。美寶の腹痛のときに阿良が痛みを癒そうと寄り添う場面で、それは何度か繰り返され印象深いものになっている。美寶が腹痛で苦しんでいると、それはもう「いつものこと」とでもいうようにごく当たり前に、阿良は薬草である樟(クスノキ)の葉を揉んで彼女にその香りを嗅がせ、その手を取って痛みのツボでも押すかのように親指と人差し指の間をマッサージをする。スクリーンには彼の手の所作と2人の寄り添う姿が無音で映っている。美寶は複雑な家庭環境で育ったのだという(実はそのあたりの事情がよく理解できなかった)。彼女の腹痛に対するのと同様に、現実の人生の「痛み」をも分かち合い慰めてきたのが阿良なんだろうと想像する。活発で自立した(ように見える)美寶が、優しい阿良をどれほど頼りにし、どれほど想っているかを観客の心に刻む場面である。

高校時代の阿良の気持ちが、一体どこに向かっているのかということが明確に描かれる部分はほとんどなかったのではないか。ただ同級生たちと同じように、面白くて明るくリーダーシップのある阿仁に心酔しているのはわかる。もしかするといくつかの2人の会話の場面に、彼の気持ちを読み取れる部分があったかもしれない(が、理解できなかった)。高校の校内誌の編集室なのか何か特別教室なのか、男の子たちが集まってしゃべっている。もちろん阿仁も阿良もそこにいて、阿仁は阿良の腕に「我[イ門]是波……」で始まる詩を、タトゥーよろしくペンで刻んでいる。阿良は大人しく阿仁に腕を投げ出して、いたずら書きされるがままになっている。いやむしろ喜んで腕を差し出しているかのように見える。

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 女子(たぶん張心如という名前の役)もいた
 左奥が腕に詩を書かれる陳忠良

一方、阿仁は美寶が気になっている。だから、腹痛の美寶に寄り添って手を握る阿良を見て2人は恋愛関係にあると思いこみ、阿良に尋ねる。阿良はそれをきっぱり否定する。美寶が本当は阿良を好きなのをわかってはいて、それでも彼女に告白する阿仁。

友達とも恋人ともつかない曖昧な三つ巴の仲間としての「夜」は明けてゆき、大学から社会人になるにつれ、「友達」「恋人」……と定義される関係に変わっていく。

阿仁と阿良の大学進学とともに、舞台は1990年の台北に移る。1987年に戒厳令が解除され、台湾社会全体の動きと相まって「学園」にも体制への抗議の波が押し寄せている。阿仁はここでも学生運動の中心的人物として壇上で檄を飛ばしている。3人の主役たちをはじめ大勢の学生が集う抗議集会は体制側のバリケードに囲まれた緊張の中で行われている。1990年3月、台湾中の学生たちが台北の中正記念堂に集まり、国民党政権の在り方に反対して座り込みやハンガーストライキを行った「野百合運動」という実際に歴史に刻まれた事件である。監督もまさにそれを体験した世代とのことだが、映画の感想の中には、やはりこの事件の現場にいた人の「映画での描写とは違って、もう少し気軽な雰囲気だった」といった声もあった。大きな事件であればあるほど、個人の体験はそれぞれに異なるだろうが、社会的な抗議行動における体制の圧力の不気味さ怖さというのは、どんなにカジュアルな(ように見える)運動であっても存在するというのが、311以降の反原発運動を僅かに垣間見た中で得た自分の実感である。

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 中正紀念堂ロケ→記事

人生の転機とともに、3人の関係の転機もこの大学時代に訪れる。美寶と阿良の間に飛び込んできた阿仁という形で高校時代に始まった3人の関係は、故郷を出て大学に入学した阿仁とその恋人となった美寶との間から阿良が飛び出す形で終わりを告げる。阿良と美寶のプールでの悲痛な別れの場面はこの映画の前半の山場であり、2人が互いの手のひらに指で文字を書く場面もまたとても心に残る。その撮影風景は公式サイトの何本もの動画の中に編集されて使われており、「(撮影シーンの最後に泣き出し)『カット』の声がかかるとそのままトイレに飛び込んだが涙が止まらなかった」と張孝全自身が語っているほど真に迫った演技が見られる(撮影裏話としてはよくあるタイプのものではある)。

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 このスチールには
 「張孝全《女朋友。男朋友》劇照,神似張國榮」
 などという報道もあった

主人公たちが成長するにつれて、映画も、明るい若者たちの時代から大人の重苦しい世界へと次第にトーンを変えていく。香港映画界から「台湾映画なんてただの青春学園物ばかりじゃないか」と言われるのに反論したかったという監督が、青春を終えた世代に焦点を当てて作った映画。曰く「『あの頃、君を追いかけた』は若い人たちを笑わせるけれど、この映画は大人を泣かせるんだ」と(でも、いわゆる「泣ける映画」的安直さなど全くないので安心を)。だから、予告編の明るさ(主に高校と大学の学生時代の場面)を信じて見に行った人は「騙された」と感じるかもしれない、若い人は特に……。監督の映画作法はキャッチーでありながらストイックで、先に書いたように物語の重要なポイントの解釈を観客の想像に任せている。監督が「映画とは別のもの」との注釈付きで上梓したノベライズ本(楊監督と萬金油(作家)の共著)に見られるともすればメロドラマ的になりそうな物語性は映画では見事に排除されていて、登場人物の心理もモノローグや台詞などによる説明はない。台湾の観客層がどうかは知らないが、テレビドラマの懇切丁寧な「物語り」に慣れてしまうと、こういった形のフィクションを味わうことに違和感を覚えるかもしれない。台湾国内の興行成績は良かったようだが、億の単位には届かなかったのではないか(→未確認)。9月半ばからはシンガポールでも封切られ、今後は大陸でも上映されるという話(←本当か? でも大陸資本が入っているから上映もありか?)。釜山国際映画祭でも上映予定。いずれにせよ、意欲的で古くかつ新しい魅力的な映画であることには違いない。

大学を出た後にスキップするのは30歳を目前とした時代である。以降の内容をあまり細かく書く気はないが、この一区切りの中で最初に登場するのは、高校の同級生だった許神龍(演じているのは張書豪(ブライアン・チャン)。台北電影奨で最佳男配角奨(最優秀助演男優賞)を獲得)の同性婚披露パーティである。元々はシンプルな背景の中で撮影される予定だったこの場面を、プールと泡とダンスミュージックの派手なパーティシーンに変えたのは張孝全の提案によるものらしい(報道によると、彼が気に入っていた蕭亞軒(エルパ・シャオ)のMVの趣向を取り入れたとのこと→記事)。この場面は突飛に挿入されているわけではなく、パーティに参加した美寶が、その場の主役の許神龍から背中を押されるようにして、不参加だった阿良に電話して7年ぶりに話をするというエピソードを導くことになるわけだが、阿良の生きる「現実」との対比として、1996年台湾で初めてオープンに挙行された男性カップルの結婚式という実際の出来事を踏まえて提示された、もう一方の「現実」世界という位置づけになるのだろうと思う。

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 作中で印象的な張孝全の手&足
 演技のうち主要な場面の1つ

そして2012年の「今」の世界に登場するのは、40代半ばになった阿良と彼の双子の娘たちである。この2012年と1997年との間を結ぶ説明らしい説明はない。小樹が女子生徒たちを扇動して繰り広げる「スカートいらない。ショートパンツはかせろ」という抗議運動は、これもまた2010年3月に台南の女子中学生たちが厳しい服装規定に抗議して行った実際の事件を下敷きにしているという。自由への闘争は、社会的なものから個人的なものへとターゲットを変えてきてはいるが、今となってもまだ戦い取らなければならないものが存在する。国という観点においても、台湾は確かに中国語圏ではあるが、「中華圏」というくくりで大雑把にとらえるにはあまりに複雑で独自の背景(歴史)があることを、過去から現在に連なる台湾映画が教えてくれているように思う。

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 45歳の陳忠良と小樹&小雲(双子の娘たち)


監督や本人が何度も語っている話だが、張孝全は脚本を読んだ段階では鳳小岳が演じた王心仁役を望んでいたのだという。しかし、監督は脚本執筆の初期の段階から彼を陳忠良役にと考えていたと公式サイトのメイキング映像の中で語っている。楊監督は易智言(イー・ツーイェン)監督の助手として『藍色夏恋』の準備段階からその制作に携わり、ヒロインの桂綸[金美]は無論、高校生だった張孝全を易監督とともに発掘した人である(高校時代に台北MRTの忠孝敦化駅から忠孝復興駅間の車内でスカウトされたというエピソードは何度聞いても面白い)。この陳忠良役を振った監督は、張孝全の魅力を「さすがに良くわかっていらっしゃる」としか言いようがない。彼の男性的な外面の奥にある柔和と繊細を……。

張孝全が陳忠良を演じたくなかった理由は詳しくはわからないが、彼の経歴や日頃の発言から考えてもそれが「ゲイ男性の役だから抵抗があった」というようなものでは決してないだろうと思われる。彼はインタビューでゲイ役が多いことを問われるとよく「わかっていないから恐れたり抵抗感を持ったりするのであり、理解できれば恐怖や抵抗は小さくなる」と答えている。最近の雑誌インタビューでは「人と人との感情に男性女性の区別はない」とも言っている。

単なる憶測ではあるが、この論理から言うと彼は当初、陳忠良という「考えていることを表に出せない」性格のキャラクターを、脚本を読んだだけでは理解できず「何を考えているかわからない面白味のない役だ」と判断したのではないか。そこで監督は張孝全に陳忠良役を演じさせるために、役に似たプロフィールの男性を彼に引き合わせ、その人自身のことを語ってもらったのだという。そして、陳忠良という人がどのような人間かを理解したからこそ、彼はその役を引き受けたのだろう。それは「ある種の使命感」だった、とは本人の弁である。

その"リアル陳忠良"の名前こそ、台北電影奨での最佳男主角奨(最優秀主演男優賞)受賞の際に彼が謝意を表した「阿仁」である(王心仁ではない)。あの「自分とは無関係な人生が、自分の人生の一部分となった」という言葉(→報道記事)は、陳忠良という役が彼にとってどれだけ大きなものだったかを示していると思う。撮影が終わって2~3カ月後、撮影中に役作りのために聴いていた曲を耳にした張孝全は、自分の中にまだ陳忠良がいるのを発見して電話で監督を罵ったというエピソードがある(→報道記事)。陳忠良を演じたことの彼の内面への影響とともに、監督と張孝全の関係を物語るものとしても面白い。


【画像】以下のウェブサイトより
  ・公式フェイスブック
  ・MSN映画紹介ページ

【断りもなく参考にさせていただいた記事】
  ・"When Coming-of-Age Has Already Gone By"(ウォール・ストリート・ジャーナル)
  ・「放映週報」監督インタビュー(臺灣電影網)
  ・監督&桂綸[金美]インタビュー(『小日子』 BIOS Monthly)
  ・ブログ感想「電影《女朋友。男朋友》」(著者:Multipotent Womanさん)
  ・ブログ感想「為什麼我喜歡《女朋友。男朋友》?」(著者:Ryan Chengさん)
  ・雑誌 台湾版「GQ」2012年8月号 張孝全インタビュー(記事全文はウェブ上になし。公式サイト記事抜粋
ほか多数

【おまけ】
  ・YouTube「 《女朋友。男朋友》《愛》《星空》聯合慶功宴
台北電影奨授賞式後の祝典(というか宴会というか……)の映像。終盤で、郭采潔(アンバー・クオ)と張書豪の間にはさまれて鈕承澤(ニウ・チェンザー)の話を聞きながら、間がもたないのか何なのか、割り箸で思わず「ペン回し」を始めてしまうというナマな孝全クンが見られますw

  ・YouTube「電影【女朋友。男朋友】張孝全坎城影展初體驗
今年のカンヌ映画祭フィルム・マーケットに《女朋友。男朋友》で参加した際の取材映像。監督と張孝全が、カフェで陳忠良役の演技について語っています。個別のインタビューではなく、2人で話しているというところが面白いです。

  ・YouTube「 TVBS 看板人物 熱愛燃燒 10年星路 張孝全
45分に及ぶ個人インタビュー番組で、今年5月に放映されたもの。デビューから現在、未来までを語る孝全クン、「省話哥」の称号はどこへやら。この番組は、記事を書くのに毎度参考にさせていただいています。楊監督も何度も出てきます。

  ・監督インタビュー前篇および後篇(アジアンパラダイスPodcast)
通訳の方により日本語で聴けるアジアンパラダイスさんの有難く興味深い《女朋友。男朋友》についての監督インタビュー。音楽について上では触れませんでしたが(触れられるほどの知識がないためです)、この映画で音楽はとても重要な意味を持っています。そのあたりの深い話をこのインタビューで聴くことができます。映画中で使用されている楽曲は、書き下ろされたものも、時代に合わせて選ばれた当時の流行歌も素晴らしく、映画を見るとサントラ盤をぐるぐると聴くはめに……。

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