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2008.04.14

勇気がない"我々"

先週『パレスチナ1948 NAKBA』を見て、感想がまとめきれずにぐだぐだしているうちに、今週『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を見たら頭の中が混沌状態になった。ダブルパンチだ。特に後のは強烈。さっさとNAKBAのことを書くべきだったと悔やむ……。

『パレスチナ1948 NAKBA』と『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』は、世界と日本の今を考えるために絶対に見るべき映画だと思う。「見るべき」などと言わなくても、見れば釘づけとなる力を持つ凄い映画である。

『パレスチナ1948 NAKBA』はもちろん、イスラエルのパレスチナ占領問題をテーマとしたドキュメンタリーで、監督の広河隆一氏は、ジャーナリストとして長い間この問題を追い、写真と文章で世界に発信してきた人である。映画は、氏が中東で記録し続けてきた膨大な映像と写真を劇場公開用に131分でまとめたものだが、これとは別に、記録映像として整理した長尺のアーカイブ版(DVD)も作成中だという。

『パレスチナ1948 NAKBA』は、インパクトのある素晴らしいモノクロ写真の数々とナレーションと、インタビューや戦闘(といったって投石VS銃撃だ)の現場などの映像からなる。広河氏自身のイスラエルのパレスチナ占領の問題へ関わるきっかけ――1960年代に社会主義の理想の発現として、イスラエルのキブツに研修に行き、その地でパレスチナ人の村の残骸を見つけ、自分のいる場所がかつてパレスチナ人たちの住んでいた場所だったと気付いた――から映画が始まっていることは、見る側にも取っ付き易いはずだ。2007年の山形国際ドキュメンタリー映画祭での古居みずえ監督作品『ガーダ -パレスチナの詩-』の上映後Q&Aでは、作品の視点がパレスチナ側に偏っているという批判的意見がいくつか飛んでいたが(そんなことは当然折込み済みなわけで、古居監督はちゃんと「日本でほとんど知られていないパレスチナのことを、多くの普通の人に知ってほしい」から映画をつくったと挨拶していた)、キブツから話が始まり、イスラエルの人々もパレスチナの人々も登場する『パレスチナ1948 NAKBA』なら、「ドキュメンタリーは中立じゃなくちゃ」的バカも文句はつけにくいに違いない。とはいえガーダとNAKBAは、同じテーマを扱いながら、様式も方向性も全く違うのだが……。1948年のデイルヤーシーン村襲撃の記憶を語るイスラエルの元軍人の言葉は、まるでイラク(バグダッド)攻撃での米軍兵士の言葉のようだった。最も印象的な登場人物の1人、パレスチナの女性兵士として戦闘に参加し捕まって投獄されたキファー・アフィフィは、救出された後、(さまざまな拷問を受けた)獄中の方が、今自分のいる外の世界よりもましだったと言う。『パラダイス・ナウ』でも、「地獄で生きるより頭の中の天国のほうがマシ」と主人公の1人ハーレドが言っていた。ハーレドは架空の人物で、台詞は脚本に書かれたものだが、キファーは実在の人物で、彼女の心は、言葉ではなく声にならない頷きで表されたものだ。


連合赤軍とNAKBAの2本は、いろいろな意味で関連のある映画なのだが、そこに先月末からの『靖国 YASUKUNI』の上映にまつわる騒動―― 一部映画館側の自主規制(実際には映画館ではなくて、映画館の上にある大会社(大映画会社?)が自主規制を決めたらしい)と、政治家による介入(介入して、ついに完成作としての前提をぶち壊してしまったじゃないか!)――が加わって、頭の中は暗澹たる「ぐるぐる」となっている。(そういえば関係ありませんが、田原総一朗氏の『実録・連合赤軍……』と『靖国 YASUKUNI』で発表されていたコメントがほとんど同じようで、妙に印象的でした。何か違うこと言おうよ)

記事のタイトルは『実録・連合赤軍……』のキーワード的な台詞から。
後で、もうちょっと書き足してみたいと思います。

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