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2008.03.17

この世がなければあの世がある

ノーカントリー』を見てきた。パンフレットは売り切れていて買えなかった。

この映画のことを書いた文のほとんどが触れている原題《NO COUNTRY FOR OLD MAN》は、コーマック・マッカーシーの原作を訳している黒原敏行氏のあとがきによれば、「老人の住む国にあらず」。イェーツの詩の一節だそうだ。

だが、この作品で最後まで残るのは「老人」ばかりだ。

山ではなく砂漠だが、『ブロークバック・マウンテン』同様、荒涼たる土地が舞台となるこの映画もまた、風のふきすさぶ音で幕が上がる。麻薬取引にまつわる殺人現場に残されていた現金を、ハンティング中にたまたま見つけ持ち逃げしようとする男モスと、それを追う殺し屋シガー、さらにその2人を追う保安官ベルの様子を、見事原作どおりに説明的台詞も最低限に押さえて、映像で綴る。ここまで忠実に再現してくれたら、原作者は嬉しいに違いないと思う。アカデミー賞のセレモニー番組で客席に映っていたマッカーシーの満足そうな笑顔に納得する。舞台は1980年代。映画では説明されていた記憶がないが、トミー・リー・ジョーンズ演じる保安官ベルは、第2次世界大戦に出兵し最前線で仲間を置いて逃げ帰り、自分だけ生き残ったという深い罪悪感を抱いて生きている。逃げる元・溶接工モス(ジョシュ・ブローリン)もベトナム帰還兵で、これも映画には出てこないが、復員後、戦死した同僚の家族を訪ねて回ったことがあるという。シガー(ハビエル・バルデム)にコインの表裏で生殺与奪を握られるのと変わらぬ、不確かな運命を生き延びて来た人間たちなのである。

映画でも原作中でも、非常に皮肉でユーモラスで好きな場面の1つが、メキシコからアメリカへ入る検問での国境警備員とモスとの会話だ。怪我をして入っていたメキシコ側の病院を抜け出して、病院で着せられた寝巻のままアメリカ側に入ろうとするモスを当然不審に思って止める警備員は、モスがベトナム帰還兵だということを知って、ころっと態度を変え、丁重な扱いで入国させてくれる。ベルが戦争でもらった勲章も同じで、個人的には辛く忘れたい体験が、社会的には信用となり評価される経歴となるギャップ。マッチョな国アメリカ、「厳しい国」アメリカの現実のを端的に表している1つの部分だと思う。

その国境もまた象徴的である。メキシコから麻薬を運んできて、テキサスの砂漠で車の外から撃たれて意識の残っていた男は、「水(アグア)」と言ってモスに助けを求めた。求めに応じようとしたモスは、しかし男を助けられなかった。メキシコ人に水を届けようと思ったことが災いして、その後モスは命を狙われることになるが、撃たれて、傷ついて逃げ込んだメキシコ側の街頭で、「病院(メディコ)」と言って助けてもらう。向こうから来た人、こちらから行く人。助けてもらえなかった人。助けられてた人。生と死の境目か、天国と地獄の分れ目か。原作者が国境に、そして国境の向こうに何を象徴したのか。国境3部作(映画化された『すべての美しい馬』、『越境』、『平原の町』だそうだ)には何かヒントがあるだろうか。

マッカーシーの邦訳を全作手がけ「専門家」とも言うべき訳者の黒原氏によると、原作はギリシャ悲劇や神話的な人間と世界の関係を描いているという。かつ、マッカーシーはアメリカという国を描いてきた作家でもある。

(映画『ノーカントリー』のことを書こうとしているのか、小説『血と暴力の国』のことを言っているのか、すでに渾然一体となってしまっていてすみません……)

作品から教訓めいたものを読み取る必要は断じてないと思う。ただ、死に向かって生きている人間(=すべての人間)についての物語だということはわかる。ハビエル・バルデムのシガーは、まさに「死神」のような顔をして、部屋の薄暗がりに座っていたり、我々の正面に立ったりする。

作品から現代社会アメリカを読み取ろうとすれば、シガーは、ベル保安官の嘆く「理解できない人種」(犯罪者)の代表であり、人間性や情といった価値観では既に捕らえきれない現実を象徴していると言えるだろう。神話的、ギリシャ悲劇的な構図を読み取るなら、黒原氏が書かれたようにシガーは「純粋悪」(←マッカーシーの言だそうだ)ということになるのだろう。そして、死(つまりは人生)いうものを考えるなら、シガーは「死神」、我々の人生の一本道のいたるところに転がっている死(の危険)と言えるのではないか。

神は来ないとベル保安官は言ったが、神は来ないけれども、死神は来るのだ。

けれど死は、死への恐怖の終わりであり、生への罪悪感(あるいは生の罪そのもの)の終わりでもある、とも言える。

映画は、原作よりも重苦しい。テキサスの風景のせいかもしれない。エンドロールで耳をすますと、バックにテキサスの風の音がする。それがいつしか、シガーの足音と受信機の音に変わる。少しずつ近づいてくる音。原作よりも、怖い。

少し前に、酔っ払ってことし2個めのカバンを落とした。幸い、もう携帯電話は落としてしまっていたし、クレジットカードもキャッシュカードも持って歩かないようにしているから、入っていたのは現金のみの財布と、細々とした物だけだった。が、その中には扶桑社ミステリーの文庫本『血と暴力の国』も入っていた。本自体は翌々日に買い直したが、警察に落し物の届け出をしに行き、カバンの中身として本の名を書くときに、「こんなタイトルの本を読んでいたら、逆に警察に目を付けられるんじゃないか」と思い、わずかに冷や汗が出たりした。

いや、バッグに発信機さえ入っていれば……(笑)。


※『ノーカントリー』と一緒に、『スルース』も見てきました。リメイクの本作、映画そのものあるいは脚本に賛否はあるものの、役者の演技とその緊張感は『ノーカントリー』に匹敵するものがありました。ここを読んでくれている方なら、絶対に見て損はないと思います。

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