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2007.12.23

耳の位置

Lismo1  Kitty

おなじみのauのLISMOとソフトバンクモバイルのハローキティ携帯

別にこんなメジャーなものが気になっているわけではない。

片やauのLISMO。これの最もかわいいところは、ヒトに比べて耳の位置が高いため、イヤホンのコードが非常に高い位置から垂れているところだ。このイヤホンのコードの垂れ具合にいつもぐっとくる。

そして、もっとメジャーなキティ猫をなぜ並べたのかというと、ソフトバンクの携帯電話を持っているキティ猫は、自分が話す声は相手に聞こえても、絶対に相手の声は聞こえないはずだと思うから……。なぜなら、耳が電話から遠すぎて……。巨人軍のように鼻持ちならぬ王道なキャラクターのハローキティも、こんな不如意なストーリーを読み取ってみると(←バカ)、意外に興味深く見えてくるから不思議だ。

耳といえば、パンダのかわいさの7割ぐらいは、あの丸い耳のせいなんじゃないかといつも感じている。

ちなみに、耳とは関係なく、最近いちばん気になっているキャラクター(下)。

Tanaka_kp

この漫才コンビは、田中貴金属の純金積立とプラチナ積立のキャラクター、田中キントン&プラトン。この手のキャラクターでのピカイチは、何と言ってもJAのちょきんぎょだが、キントン&プラトンも、ちょきんぎょレベルに育ってほしいなぁ……。

2007.12.17

縁を結ぶのは難しい

中国語圏を席巻し、金馬奨でも主要な賞をかっさらったアン・リー監督の『ラスト、コーション』。原作の邦訳も発売されましたが、BBMに引き続き今回も、町山智浩氏がラジオで語り尽くしてくれています→「コラムの花道」。いやぁもう、これで本編見なくていいか……(笑)。

Persepolis1今、最も楽しみなのは、イランを舞台にしたフランスのアニメ『ペルセポリス』。このタイトルがついたらば、どんな映画だって見に行くだろうけれど、大王が焼き払った(と言われる)都市の名を冠するアニメは、まるちゃんのようにトボけた可愛さを持つ少女を主人公に、クレイグ兄貴が声で主演したモノクロ・アニメ『ルネッサンス』よりも(きっと)ハイセンスで、ALWAYSシリーズよりも(きっと)懐かしく、しかしノスタルジーや苦労や貧困や子どもの純真さなんぞを描いて観客の涙をふりしぼろうとするに(きっと)堕さない、(きっと)骨のある女性映画だろうと思う。……って、見もしないでここまで書くか。左の画像はイスラム革命後の「ヴェール着用」を義務づけられたイランで、"PUNK IS NOT DEAD"のジャケットを着て歩くヒロイン。声の出演も豪華。

東京フィルメックスのクロージングで見た『シークレット・サンシャイン』は、ストーリーにとらわれると、ただただ自分の子を失った女性の地獄の苦悶を描いた映画になってしまうだけだが、上映後のQ&Aで監督がヒロインの性格について語っていたように、他人との人間関係が築けない、心を開けない未熟な人間が成長しようとする話と見れば、誰にとって身につまされる、他人事ではない現代的なテーマの作品となる。Q&Aで聞けないかと期待したことの1つは、彼女が世間に心を閉ざして生きるようになった理由として考えられる、自分の勘違いかもしれない台詞のことだった。その一連の台詞に対する判断に全然自信はないけれど、彼女が夜道を歩きながら自身の過去を語っていると思われるシーンがあったと思う。あれは、彼女が父親に性的虐待を受けていた、というように聞こえたのだけれど……(みなさんはどう思われましたか?)。それは、彼女の生き方や、亡くなった夫の家族に疎まれていることや、薬屋のオヤジとのドライブを説明するのに十分なことのように思えて仕方ない。

太陽に天上の神の視線を込めながらも、もしかしたら天上の「父」たる神はヒロインに性的虐待をした男かもしれず、「神」なんてことを考えさせざるを得ない「宗教」というものを登場させながらも、「宗教」ですべての人間が救われるわけではないことを明確にし、それでも、映画中の"癒しキャラ"であり、ヒロインの人間関係における最初の他者であるソン・ガンホ(役名、何でしたっけ?)を使ってほっこりと宗教へのフォローを入れている(彼はヒロイン・シネに付き合って入信するが、そのうちに宗教が生活の一部になってしまう)。

具体的で下世話な児童誘拐殺人事件を描きながら、考えさせられるのは、人生のこと。ラストの、ヒロインの自宅の庭は、物が散乱して荒れ果ててはいるけれど、そこにやわらかな日差し(サンシャイン)がそっと降り注ぐ。庭はヒロインの心かもしれない。でも、太陽はオープニングのように閉ざされた車のフロントガラスごしに輝いているわけではない。ガサガサでボロボロではあるけれど、とりあえずは開かれた庭に、光を注いでいる。そこに至るために、ヒロインは自分のそれまでの生き方を全否定されるような罰を受けた。許せなかったのは、他人(犯人)ではなく、自分。えらい荒療治です。

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