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2007.11.24

チャン・ツォーチ新作上映

お寒うございます。台湾でも、金馬影展が始まっていたのですね。開幕作品の1つは、準備2年、撮影3年という、久々の張作驥(チャン・ツォーチ)監督の新作《蝴蝶》。昨23日に上映されました。残念ながら、金馬奨の方にはノミネートされなかったようですが、いずれにしても気になる監督の1人です。蝶が死者の霊魂を表すというと、ことしのTIFFで見た韓国映画『永遠の魂』を思い出しますが、紹介文を見た限りでは、こちらは相変わらずハードな感じの張作驥ワールド。見たいものです。

東京フィルメックスで18日から22日にかけてぽつりぽつりと見た映画は、『撤退』(イスラエル)、『13歳、スア』(韓国)、『最後の木こりたち』(中国)、『ジェリーフィッシュ』(イスラエル)の4本。ジョニー・トーとリッティク・ゴトクは、チケットを買ったのに行けず(涙)。でもリッティク・ゴトクは、25日にも行くつもりです。また、だらだらと感じたところを書いて見ます。

『撤退』で最も印象に残ったのは、冒頭の列車での、イスラエル人男性(リロン・レヴォ)とパレスチナ人女性(ハイアム・アッパス)との出会いからキスシーンまでのやりとりと、そのリロン・レヴォ演じるウリ(イスラエル軍?警察?)が、今回の「撤退」のモチーフである「ガザ地区におけるイスラエル入植者の撤退」のために、退出を拒否する市民たちを追い立てるために隊列を組んで人々の間を進んでいくときの「掛け声」でした。もたもたっとしたリズムのヘブライ語の特徴が際立っている感じで、単純に面白くて耳に残っているというだけですが……。

ガザからの撤退に際して、権力による強制退去が行われたというような報道は公にはなかったそうですが、監督は弟に呼ばれて現場を見た(聞いたのではなく、見に行った)、と言っていたかと思います。国家の決定の前には、自国民すら体制からの暴力にさらされる国。いわんや、他民族においておや、というか……。終盤の有名な「巨大ブルトーザー」などを見るにつけ、パレスチナ人たちの村々が同様に破壊されていった様が、頭の中に二重写しになりました。冒頭の列車のシーンがあったことで、余計にそれを感じます。

でも、ジェニンを撮ったモハメッド・バクリは以来ずっと社会的生命を危うくされているのに、これはOKなのかと不思議に思いました。そりゃ、あちらは生のビデオで、こちらは劇映画ってこともあるでしょうが、やはりそれは、アモス・ギタイ自体が既にイスラエルという国の誉だから、なのでしょうか? (地下電影の監督であっても、海外の映画祭で評価されればオールOKになっちゃうどこかの国みたいに……) この映画だって国内で上映したら、(左派は別として)喜ぶ人は少ないんじゃないかという気がしますが……。

一番気になったのは、Q&Aで脚本家のマリ=ジョゼ・サンセルムが、ヒロインのジュリエット・ビノシュ演じるアナの、自分が産んだ娘をイスラエルに捨ててフランスに移住しても、全く気にしていないように生きているという設定の裏づけとして、「アナは人間的に問題があった」と語っていた部分です。それによって、彼女自身も納得がいったのだと説明していたと思いますが、意味がとれませんでした。何か聞き逃しているのかもしれません。

『撤退』は面白かったですが、『それぞれのシネマ』のアモス・ギタイ(ハイファの悪霊……いや亡霊?)は、うーん、あれではスピルバーグも同じじゃないか、と思いました。

韓国映画『13歳、スア』は、苦しい生活環境の中で愛する父を失い、現実逃避の夢を見がちな13歳の少女スアが、現実を受け入れて1つ大人に近づいていくという成長記、かと思っていたら、最後にどんでんがえしが待っていました。これは、美人女優として人気を得てきたチュ・サンミの「母物」でもあります。とはいえ、母としての味とか深みを感じるところにまでは至っていないと感じましたが、小泉今日子か瀬戸朝香を思わせる美しいチュ・サンミが、夫に先立たれ1人で家庭を支える母をやつれメークで見事に演じていて、途中まで全く気付きませんでした。後半の歌はファン・サービスのオマケみたいなものでしょうが、ラストシーン、少女スアが朝早く起き出してくると、既に忙しく働く母の姿が見える――楽しみつつも淡々と見てきたところに、そのラストシーンが来て、図らずも自分を育ててくれた人の働く後姿を思い出し、胸が詰まりました。

少女の気持ちに寄り添って、ときにおかしな空想シーンをまじえながら、丁寧に進行する映画で、母側の個人としての気持ちの描写は不足気味なのですが、無言で働く母の姿がそれを補っています。そういう、ステレオタイプな母像を描いているという意味でも、「母物」であると感じたわけですが……。13歳少女の心理描写は素晴らしいです。

『最後の木こりたち』と『ジェリーフィッシュ』は、全く毛色の異なる2本ですが、こういうのが1度に見られるのがフィルメックスだよなぁと幸せになる作品でした。

『最後の木こりたち』は、2005年に撮影された中国東北部の昔ながらの木こりたちのドキュメンタリーです。タイトルどおり、この地域での木こりの仕事はこの年を最後になくなったそうです。最初ドキュメンタリーだと知らずに見てびっくりしたのですが、これはもう、山奥で伐採した大木を麓の貯木場まで馬に引かせて駆け下りる大迫力の映像に尽きるという感じです。真冬の寒さの中で、人や馬が吐き出す白い息と、土ぼこりと雪けむり、馬のいななきと馬具の金属音、男たちの掛け声と叫び声、切り倒した木のきしむ音、こすれる音……。何か物語性があるわけでもなくナレーションもなく、繰り返される仕事や馬の世話などの木こりの日常風景に、わずかに男たちの会話がはさまれているだけの映画なのですが、丸太を引いて雪の山道を駆け下りる馬の脚のように、がっちりと太く力強い作品です。

酷使され、2005年のひと冬で6頭も馬が死んだといいます。生きてはめいっぱい使役され、死んでも、皮をはがれ肉を分けられ、人間のために使われる馬を見て、実際には同じことが続いているにもかかわらず、そこが見えなくなっている現代の生活、「現場」が遠くなる現代社会の仕組みに対する複雑な思いを抱きました。彼らにとって、馬は道具であり財産です。めいっぱい使うけれども、なくてはならない大切なパートナーであり、木こり自身が死したときには、墓前で、中華おなじみの紙のお札とともに、大きな張子の馬も燃やされます。あの世でも、馬がなくては木こりは生きていけないからです。そういう感じは、同じように日々肉や鳥や魚を消費している我々には、もうなくなってしまっている部分です。

『ジェリーフィッシュ』は、どこかおかしな登場人物たちが皆可愛らしい。3組の無関係なキャラクターが、同じアイテムでリンクする不思議な群像劇です。5歳、水、船、写真、オフィーリア、結婚式等々……。ホロコースト生き残りの第2世代というのも、実は重要なキーワードかもしれませんね。海で拾われた5歳の少女は、つけていた浮き輪をはずされそうになると、まるで皮をはがれるかのような悲鳴をあげました。その5歳の少女を拾ったウェイトレスの若い女性が暮らすアパートは、天井から水が漏っていて、時折漏れ落ちてくる水の下に立ってそれを飲んだりしています。しまいにはプールのように、部屋中が水浸しになってしまうのですが……。フィリピンから出稼ぎにやってきた看護士(あるいは介護士)の女性は、街角で水漏れアパートに住むウェイトレスの女性にぶつかられ、「大丈夫ですか?」と声をかけられます。ところが、ウェイトレスの女性が交通事故に遭って入院し、意識を取り戻して廊下を歩き出したところで、ふらふらっと倒れこんだところを、手を差し出して「大丈夫ですか?」と同じ台詞で助けてくれるのは、別の女性につきそっていた、あのフィリピン人女性です。これもまた、特に一貫した物語性はないにもかかわらず、なぜか面白い。エンドロールに流れる「バラ色の人生」が、あの『ブエノスアイレス』での「HAPPY TOGETHER」のように、爽快感と明るさをもたらしてくれました。

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