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2007.11.26

消した

24~25日に見た『シャシャ・ザトゥーナ』と『テヒリーム』と『食べよ、これは我が体なり』の感想を書き終えたのに、消しちゃいまして、ショックです。眠いのに……。『シークレット・サンシャイン』まだで良かった。気を取り直したら、また書いてみます。

2007.11.24

チャン・ツォーチ新作上映

お寒うございます。台湾でも、金馬影展が始まっていたのですね。開幕作品の1つは、準備2年、撮影3年という、久々の張作驥(チャン・ツォーチ)監督の新作《蝴蝶》。昨23日に上映されました。残念ながら、金馬奨の方にはノミネートされなかったようですが、いずれにしても気になる監督の1人です。蝶が死者の霊魂を表すというと、ことしのTIFFで見た韓国映画『永遠の魂』を思い出しますが、紹介文を見た限りでは、こちらは相変わらずハードな感じの張作驥ワールド。見たいものです。

東京フィルメックスで18日から22日にかけてぽつりぽつりと見た映画は、『撤退』(イスラエル)、『13歳、スア』(韓国)、『最後の木こりたち』(中国)、『ジェリーフィッシュ』(イスラエル)の4本。ジョニー・トーとリッティク・ゴトクは、チケットを買ったのに行けず(涙)。でもリッティク・ゴトクは、25日にも行くつもりです。また、だらだらと感じたところを書いて見ます。

『撤退』で最も印象に残ったのは、冒頭の列車での、イスラエル人男性(リロン・レヴォ)とパレスチナ人女性(ハイアム・アッパス)との出会いからキスシーンまでのやりとりと、そのリロン・レヴォ演じるウリ(イスラエル軍?警察?)が、今回の「撤退」のモチーフである「ガザ地区におけるイスラエル入植者の撤退」のために、退出を拒否する市民たちを追い立てるために隊列を組んで人々の間を進んでいくときの「掛け声」でした。もたもたっとしたリズムのヘブライ語の特徴が際立っている感じで、単純に面白くて耳に残っているというだけですが……。

ガザからの撤退に際して、権力による強制退去が行われたというような報道は公にはなかったそうですが、監督は弟に呼ばれて現場を見た(聞いたのではなく、見に行った)、と言っていたかと思います。国家の決定の前には、自国民すら体制からの暴力にさらされる国。いわんや、他民族においておや、というか……。終盤の有名な「巨大ブルトーザー」などを見るにつけ、パレスチナ人たちの村々が同様に破壊されていった様が、頭の中に二重写しになりました。冒頭の列車のシーンがあったことで、余計にそれを感じます。

でも、ジェニンを撮ったモハメッド・バクリは以来ずっと社会的生命を危うくされているのに、これはOKなのかと不思議に思いました。そりゃ、あちらは生のビデオで、こちらは劇映画ってこともあるでしょうが、やはりそれは、アモス・ギタイ自体が既にイスラエルという国の誉だから、なのでしょうか? (地下電影の監督であっても、海外の映画祭で評価されればオールOKになっちゃうどこかの国みたいに……) この映画だって国内で上映したら、(左派は別として)喜ぶ人は少ないんじゃないかという気がしますが……。

一番気になったのは、Q&Aで脚本家のマリ=ジョゼ・サンセルムが、ヒロインのジュリエット・ビノシュ演じるアナの、自分が産んだ娘をイスラエルに捨ててフランスに移住しても、全く気にしていないように生きているという設定の裏づけとして、「アナは人間的に問題があった」と語っていた部分です。それによって、彼女自身も納得がいったのだと説明していたと思いますが、意味がとれませんでした。何か聞き逃しているのかもしれません。

『撤退』は面白かったですが、『それぞれのシネマ』のアモス・ギタイ(ハイファの悪霊……いや亡霊?)は、うーん、あれではスピルバーグも同じじゃないか、と思いました。

韓国映画『13歳、スア』は、苦しい生活環境の中で愛する父を失い、現実逃避の夢を見がちな13歳の少女スアが、現実を受け入れて1つ大人に近づいていくという成長記、かと思っていたら、最後にどんでんがえしが待っていました。これは、美人女優として人気を得てきたチュ・サンミの「母物」でもあります。とはいえ、母としての味とか深みを感じるところにまでは至っていないと感じましたが、小泉今日子か瀬戸朝香を思わせる美しいチュ・サンミが、夫に先立たれ1人で家庭を支える母をやつれメークで見事に演じていて、途中まで全く気付きませんでした。後半の歌はファン・サービスのオマケみたいなものでしょうが、ラストシーン、少女スアが朝早く起き出してくると、既に忙しく働く母の姿が見える――楽しみつつも淡々と見てきたところに、そのラストシーンが来て、図らずも自分を育ててくれた人の働く後姿を思い出し、胸が詰まりました。

少女の気持ちに寄り添って、ときにおかしな空想シーンをまじえながら、丁寧に進行する映画で、母側の個人としての気持ちの描写は不足気味なのですが、無言で働く母の姿がそれを補っています。そういう、ステレオタイプな母像を描いているという意味でも、「母物」であると感じたわけですが……。13歳少女の心理描写は素晴らしいです。

『最後の木こりたち』と『ジェリーフィッシュ』は、全く毛色の異なる2本ですが、こういうのが1度に見られるのがフィルメックスだよなぁと幸せになる作品でした。

『最後の木こりたち』は、2005年に撮影された中国東北部の昔ながらの木こりたちのドキュメンタリーです。タイトルどおり、この地域での木こりの仕事はこの年を最後になくなったそうです。最初ドキュメンタリーだと知らずに見てびっくりしたのですが、これはもう、山奥で伐採した大木を麓の貯木場まで馬に引かせて駆け下りる大迫力の映像に尽きるという感じです。真冬の寒さの中で、人や馬が吐き出す白い息と、土ぼこりと雪けむり、馬のいななきと馬具の金属音、男たちの掛け声と叫び声、切り倒した木のきしむ音、こすれる音……。何か物語性があるわけでもなくナレーションもなく、繰り返される仕事や馬の世話などの木こりの日常風景に、わずかに男たちの会話がはさまれているだけの映画なのですが、丸太を引いて雪の山道を駆け下りる馬の脚のように、がっちりと太く力強い作品です。

酷使され、2005年のひと冬で6頭も馬が死んだといいます。生きてはめいっぱい使役され、死んでも、皮をはがれ肉を分けられ、人間のために使われる馬を見て、実際には同じことが続いているにもかかわらず、そこが見えなくなっている現代の生活、「現場」が遠くなる現代社会の仕組みに対する複雑な思いを抱きました。彼らにとって、馬は道具であり財産です。めいっぱい使うけれども、なくてはならない大切なパートナーであり、木こり自身が死したときには、墓前で、中華おなじみの紙のお札とともに、大きな張子の馬も燃やされます。あの世でも、馬がなくては木こりは生きていけないからです。そういう感じは、同じように日々肉や鳥や魚を消費している我々には、もうなくなってしまっている部分です。

『ジェリーフィッシュ』は、どこかおかしな登場人物たちが皆可愛らしい。3組の無関係なキャラクターが、同じアイテムでリンクする不思議な群像劇です。5歳、水、船、写真、オフィーリア、結婚式等々……。ホロコースト生き残りの第2世代というのも、実は重要なキーワードかもしれませんね。海で拾われた5歳の少女は、つけていた浮き輪をはずされそうになると、まるで皮をはがれるかのような悲鳴をあげました。その5歳の少女を拾ったウェイトレスの若い女性が暮らすアパートは、天井から水が漏っていて、時折漏れ落ちてくる水の下に立ってそれを飲んだりしています。しまいにはプールのように、部屋中が水浸しになってしまうのですが……。フィリピンから出稼ぎにやってきた看護士(あるいは介護士)の女性は、街角で水漏れアパートに住むウェイトレスの女性にぶつかられ、「大丈夫ですか?」と声をかけられます。ところが、ウェイトレスの女性が交通事故に遭って入院し、意識を取り戻して廊下を歩き出したところで、ふらふらっと倒れこんだところを、手を差し出して「大丈夫ですか?」と同じ台詞で助けてくれるのは、別の女性につきそっていた、あのフィリピン人女性です。これもまた、特に一貫した物語性はないにもかかわらず、なぜか面白い。エンドロールに流れる「バラ色の人生」が、あの『ブエノスアイレス』での「HAPPY TOGETHER」のように、爽快感と明るさをもたらしてくれました。

2007.11.18

寒くて熱い日

2007年のフィルメックスが始まりましたね。このところ、ちゃんとした感想文が書ける自信など全くないので、適当におしゃべりしてみます。

オープニングは、カンヌ60回記念で制作された世界の監督35人による各3分間のオムニバス『それぞれのシネマ』。これは面白かったですね。気楽に楽しく見ていられるのが何よりも良いですが、見た後にあれやこれやと好みを語るのも楽しいでしょう。当方は1人で見に行っているので語りあう相手もなく、まあ、こんなところでつぶやいてみているわけですが……。個々の作品の多くは、劇中映画として古典的な名作を、舞台となる映画館で「上映」していたりするわけで、それらの作品を知っていればなおさら面白かったり、納得がいったりするのでしょうが、フランスやイタリアの古典的な名画をほとんど知らない恥ずかしい奴なので、わかりません。でも、知らなくても十分楽しく見られます。

最も好きなのは、キアロスタミの、ロミオとジュリエットを見ながら涙する女優たちです。素晴らしいイラン女優たちの表情を見ているだけで、こっちも涙が出そうに……。映画館へのオマージュと、俳優のすばらしさをシンプルに見せただけでしたが、感動しました。ウォルター・サレスの、土着な掛け合い漫才いや掛け合いラップ(?)も受けていましたね。楽しかった。最後の監督名のクレジット自体がオチみたいで、「なるほど~」と微妙な笑い(←失礼な)を誘っていたのはラース・フォン・トリアー。ケン・ローチもですか? まあ見ている側からすると、どの作品も監督名が「答え」というか、見ながら「誰の作品だ?」とクイズをやっているような気分になります。スレイマンとか、カウリスマキみたいに、おなじみの俳優さんが出てきてにっこりというようなものもあれば、劇中劇となる映画が楽しいこともある。エマニエル夫人の航空機内の濡れ場とか、とても久しぶりに見て懐かしかったです(昔はテレビでしょっちゅう放映されていたような……)。コーエン兄弟の作品も面白かった。ジョシュ・ブローリン(あれは『ノーカントリー』と同じ役柄でしょうか?)、昔テレビドラマでファンだったんですね(←吹き替えが鈴置(洋孝)さんだったからというのが最大の理由でしたが)。

俳優といえば、ここで絶対に挙げておかなければならないのが、王家衛の作品。作品自体はさっぱり面白くなく、専門的に何と言うのか知りませんが、お得意の一部画面から切れた大写しの顔で、劇中映画と音楽と、時折の女性との回想シーンをはさみながら、ほとんどずっと若い男が映っているだけです。張震かと思えども全く違う。陳坤かとも思ったけれど、王家衛と関係あるなんて話は聞いたことはあったっけ? と……。で、エンドクレジットになって、監督名の後に出てきた出演者名が「范植偉」。びっくりしました。門下(?)に入って、やっと主演で使ってもらえたのか~という感慨もありましたが、このところ王家衛の方も、范植偉の方も作品情報をチェックなどしていなかったので、ひたすら驚いて、目をこすりました。この作品、元祖動画アップロードサイトでも丸々見られるみたいです。このほか東アジア圏の監督作品は、北野武を除くと全て華語片だったのですが、最もきれいごとにまとめていなかったという理由で、蔡明亮の作品が好きです。李康生は、子どもの蔡明亮のおとっつぁん役(笑)。すっかりおとっつぁんです。

『無用』、『私たちの十年』、『東(Dong)』の賈樟柯特集。きょうの最大の発見は、『東』に「Dong」と付けられている理由でした。これは「East」の東ではなくて、この作品の対象である画家の劉小東の名前だったんですね。タイトルバックを見ていて、ふと、「『無用』には「Useless」とついている。『私たちの十年』には「Ten Years」とついている。なのに『東』にはどうして「East」とつかずに「Dong」とついているのだろう」と思い、気付きました。皆さんはすでにご存知だったのでしょうが……。タイトルについて言えば『無用』も、実際はこの映画のテーマである馬可という服飾デザイナーのブランド名なのですが、後半から切り替わるおなじみ汾陽の、最先端のファッションとは無縁の鉱山労働者の人々の姿を見ながら、現実の生活からは全くかけ離れたファッションの「無用」さ、無力さを皮肉に感じたりしました。Q&Aを聞く限りでは、監督にそんな意図はなさそうでしたけれどもね。自分の作品は、批評家には、ドキュメンタリーをとればフィクションみたいだと言われ、フィクションをとればドキュメンタリータッチだと言われる、と「フィクション」と「ドキュメンタリー」に関する質問に対し、ちょっとうんざりするように語っていました。実際、監督にしてみれば「フィクション」だろうが「ドキュメンタリー」だろうが、自分の創り出すものという点では変わらないのでしょうからね。後半に流れた、大陸の荒くれたフォークソングのようなロックの歌声(左小祖咒『愛的労工』)が非常に印象的です。

実は『無用』は前半をほとんど寝てしまったという……(←また直前にビール飲みました。懺悔)。でも後半に入って、汾陽の風景と、王宏偉を彷彿とさせる地元の男たちの姿を見て一気に目が覚めました。

とはいえ、作品としては『東(Dong)』の方が強烈で濃厚で、それはやはり劉小東その人が発散する熱と、彼の絵画の持つ力から来るものなのだろうと思います。三峡ダム建設のために長江河岸の建物を取り壊す仕事をしている労働者たちを描く劉小東の制作の工程がそのまま映っている。描いた絵もまた凄いです。カメラの前で武術の所作を始めたり、とつとつと繰り返し芸術観について語る、曲者です。賈樟柯が劉小東のエネルギーに孕まされて、産んだ子どもが『長江哀歌』なんじゃないか、なんて思えてくるほど劉小東も『東(Dong)』も濃いです。ものを表現しようと思う人々には、非常に刺激的な作品だと思います。(でもまだ、『長江哀歌』を見られていません。かならず、どこかの映画館で見ようとは思っているのですが……(高崎に行くしかないのか?)。昨年のフィルメックスのオープニングは、仕事のためにチケットを無駄にしてしまったのです)。

『私たちの十年』は、ナンファンデイリーこと「南方都市報」という、中国大陸の新聞紙の創刊10年を記念して制作された8分の短編。南方都市報が報道してきた10年を、同じ列車を利用する客の10年の日々に重ねて、趙涛と田原(←私が見たのは『蝴蝶 羽化する官能』以来。大分活躍しているようですが、相変わらす可愛いです)が演じています。終盤の、いるはずの家族が側にいない趙涛に対する田原の「どうして1人なの?」と、登場からここまで1人でしか電車に乗っていない田原に対する趙涛の「どうしていつも1人なの?」という台詞は、その場の会話以上に何か深い意味があるのでしょうか。賈樟柯は、南方都市報について、その報道姿勢を日頃から評価していたので依頼を引き受けたと語っていましたが、私も大陸芸能情報を必死で追いかけているころには、ずいぶんお世話になった馴染みのメディアの1つです。日本の一般紙などでも、世界情勢のページの中国大陸情報には南方都市報発のものがよく出ていますね。この南方都市報、本サイトもさることながら、確か「南方周末」という週に1回出る新聞(雑誌か?)のウェブ版も、映画の話題や作家論らしきもの(中国語が読めるわけではないので詳しくはわからない)が文化面に載るときがあり、アカデミックでなかなか良い感じだったことを記憶しています。もちろん今もあるサイトです。

ちなみに、あの2両列車は、南方網の記事によると、汾陽と同じ山西省の省都、太原郊外の化学工場(とどこか)を結ぶ鉄道らしいです。鉄道の画面はちょっと『鉄西区』みたいな風景でした。

2007.11.05

映画祭シーズン折り返し

きのうきょうと、NHK アジア・フィルム・フェスティバルで『京義線』、『ガレージ』、『予感』を、浅草で『イラク-狼の谷-』を見てきました。

毎年同じなのかどうか例年は気にしていないのでわかりませんが、今回のアジア・フィルム・フェスティバルのキャッチは「映画で体感するアジアの青春 ラブストーリー×5」というもので、青春もラブストーリーも映画にはつきものとは知りながら、このキャッチのおかけで、このイベントへ出かけるのに二の足を踏んだりしていたのですが、さすがはお上品なNHK様というか何というか、「ラブストーリー」と言うにはおこがましい「淡さ」「苦さ」のラブストーリーで、意外と好感を持ちましたです。


韓国映画『京義線』は好きなタイプの作品。――心に傷を抱えた男女が偶然出会う。けれども、出会うだけであって、その男女が恋人同士になっていく話ではない。映画自体は、出会って終わる。「ラブストーリー」は出会った男女のそれぞれの心の中に、抱えた傷と深く関連する形で、別個の相手との思い出として存在する。出会った2人の恋愛劇に発展しないことで、男女それぞれの過去の出来事、淡々とした日々の小さな幸せと、孤独と、苦しみが浮かび上がる――基本的には、ある一夜の話である。傑作とは呼べないし、佳作と呼ぶにも後一歩という気がしなくもないが、登場人物たちの重苦しい日々をさんざん見せながらも、さらっとした本筋が、最近の韓国映画にない爽やかな後味を残してくれて、心の片隅で時折思い起こしたい愛すべき映画になっている。大々的には無理だろうが、公開できる作品だと思う。

上映後に、監督とヒロインが登場しての質疑応答。主人公の男女が偶然出会うのは、京義線という、ソウルから北朝鮮側に至る鉄道の、韓国側の終点「臨津江」駅(実際にはその次の「都羅山」が韓国側の終点だが、民間人は行けないのだそう)で、2人とも、最終列車で寝過ごしてしまい終点で降ろされる。監督によると、寝過ごした理由は、どちらも酒を飲んでいたからだとのこと。世の中には、浮かれた酒呑みばかりではない、こんなに辛い酔っばらいもいるのである。無論、この路線を舞台としたからには、そこかしこに南北統一への思いも込められている。脚本は監督の手によるものだが、映画のラストで、ヒロインが作家として書いた同名小説として登場する。よくあるパターン。でも一瞬、本当に原作は小説なのではないかと思った。こんな小説があってもいいな、あったら読みたいなと……。

インドネシアの『ガレージ』は、ボーカルの少女と、男の子2人の「ガレージ」というバンドの活動を中心に据えたバンド物の青春映画。少女の母は、妻子ある男との恋愛によって未婚で彼女を産み、勘当状態で実家を出て苦労して彼女を育てた。世界最大のイスラム人口を抱えるインドネシアという国では、それは大変なことに違いない。少女自身も、小さい頃からそのことで差別され、いじめられれながら成長してきたし、成長した今でも、周囲に知られれば、生活するのさえ困難なほどの差別にさらされることに怯えながら暮らしている。でも、無慈悲な社会への怒りと悲しみを乗せた少女のボーカルが、聴く者の胸を打つ。かなえられない愛や、恋しい人へのあふれる想いを歌うそのメロディは、アジア圏お得意のバラードではなく、ハードロック。シャウトというよりは泣きに近いファルセット。メンバーは皆若いので、ドロドロとしたバンドの人間関係なんてところには至らず、互いに青春特有の頭でっかちな悩みを抱えてすれ違い、また集うという他愛ないバンド物だが、見辛いほどに暗い画面の多用や美術、ヒロインの性格設定などに、東南アジアの映画らしからぬ新鮮さを感じた。

最も見たかった『予感』というイラン映画は、東京国際映画祭で見たイラン映画『数日後』と同じく不倫が大きなファクター。『数日後』は妻子ある男性と恋愛関係にある女性の心理をじっくりと追った映画だったが、『予感』の方は、若い独身女性と恋に落ちて浮かれる夫と、死産による心の傷が癒えぬまま冷えていく夫婦関係に悩む妻を描いている。こちらは『ガレージ』とは違い、大人の泥沼的人間関係がこれでもかと描かれているが、登場人物たちのリアルな末路には何か寓意的なものも感じられる。独身女性を見つめて、幽かに微笑む妻の表情も印象的だ。中東の映画を見てると、どこか哲学的、形而上的な感じがするのは、台詞はもとより、ちょっと車を飛ばすと荒涼たる砂漠の風景が出現するのも一因かもしれない。砂だらけの、何もない景色の中にたたずむ人を見たら、人間とは何か、人生とは何か、なんて考えてしまうのも人間である。


『イラク-狼の谷-』は、悪役の米軍のリアリティのなさこそが、逆に、ハリウッド映画における「テロリスト」「イスラム過激派」が実はどれだけいい加減なステレオタイプか、ということを表している気がして、とても面白かったです。

東京国際映画祭が終わって感想を書ききらぬうちに、期間中に午後半休を2回もとってしまったツケか、怒涛の残業ウィークに入り、それが終わったら東京フィルメックスのチケット発売で慌しいことしきりです。フィルメックスは、前売りを買わないとやばそうなチケットだけは辛うじて入手しました。ほかは近くなってから準備すれば大丈夫だと、たかをくくってはおりますが……。

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