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2007.03.26

His name is Perry

「びっくり」な初見の印象は、寝ぼけていた割には、さほど的はずれでもなかった。

ジョージ・プリンストンの『トルーマン・カポーティ』を原作として表看板に出しながら、自分なりの答えを出したのが 《Infamous》。その肝をすえた「オレ流」が、見事な脚本に結実した。ユーモラスで、胸を打つ台詞の数々。構成も冗長なようでいて、無駄がない。

映画は、小説『冷血』とクラッター事件そしてトルーマン・カポーティに関して、我々の多くが最も気にしながら見ない振りをしてきた部分を、「答え」として取り出して、納得できるよう丁寧に描いている。

クラッター事件で4人を殺したのは誰なのか? 
殺害の直接的なきっかけは何だったのか?
カポーティが『冷血』の後に作品を完成できなかったのはなぜか?

ベネット・ミラーの『カポーティ』とは何度も比較されてきたし、この作品自体、『カポーティ』より後に完成し公開も遅かったことで、「こっちが本物のカポーティ」という、はったり半分の煽り文句を打ち出していたりもしていたようだが、要は好みの問題で、例えば『カポーティ』冒頭の見事なホルカムの田園風景の荒涼、それが《Infamous》では、突飛で都会的なシルエットのトルーマン・カポーティ自身がその風景のど真ん中に立つことにより、ユーモラスなものに変わる。『カポーティ』の中で、ペリー・スミスと自身に関して「同じ家で育ち、彼は裏口から出て、ぼくは表から出た」というカポーティの重要な台詞があるが、これは『カポーティ』と《Infamous》にも言える気がする。

『カポーティ』が、作家としての苦悩を描き出したカポーティ自身の映画だとすれば、《Infamous》は、カポーティとスミスのコミュニケートを克明に追い、関係が深化していく様子を見せながら、ヒコックとスミスの処刑後、カポーティの世界に開いた穴(スミスの喪失)の巨大さを観客に実感させる映画で、スミスの比重が大きくなっている。ダニエル・クレイグを見たい観客には堪えられない、嬉しい作品だ。

Infamous_perry
(懲りずにまた貼る) 

そんなわけで、今やジェームス・ボンドが英国の霧の彼方に吹っ飛んでしまった感あり(笑)。いや誰だって、銃を構えてタキシードひるがえし、スリリングに戦って敵を倒すなんていうお膳立てがあれば、ある程度格好良く見えるに決まっている(まあ、22作目を楽しみにはしています。いますが……)。 カポーティを演じるトビー・ジョーンズもダニエル・クレイグも、共に英国俳優で、それが、非常にアメリカ的な2人の人物を演じることになったのが面白いと監督のダグラス・マッグラスが言っていたが、ダニエル・クレイグにとっても、出演映画の中では格別にやりがいのある役の1つだったのではなかろうかと思う。おなじみの犯人系の役柄ではあるにしても、主役の鏡像とも言える重要人物であり、共演者にだって不足はない。

ペリー・スミスが芸術を志向したのは、悲惨な境遇による学歴コンプレックスのゆえか。絶望的な孤独からくる、他人に受け入れられたい、関係を築きたいという渇望。その上に、常識の壁を乗り越え、凶悪犯罪の世界に足を踏み入れてしまうほどのポテンシャルを持つ。どの作品だったか忘れたが、ダニエル・クレイグの出演映画の監督が、俳優としての彼を評して同じようなことを言っていたと思う。俳優としての技量の内側に、大きなエネルギーのようなものの存在を感じさせ、それが正義感として表出するにせよ、怒りや暴力のようなものに変わっていくにせよ、説得力のあるものとなる。

カポーティがスミスに抱いた親近感の理由の1つに、カポーティ同様の小柄な体格があったことは明らかだろう。「こびとのような半おとな」。小説『冷血』の終盤の処刑シーンで、吊るされたスミスを表現したこの言葉は、カポーティ自身を表した言葉でもあり、自己を客体化し突き詰めていく作家の厳しさを感じさせ、とても印象深かったのだが、この点に関してダニエル・クレイグがスミス役を演じるに当たり背負ったハンディは大きかったはずだ。

『カポーティ』の中で最も好きなシーンは、先に述べた冒頭の田園風景ともう1つ、カポーティが保安官住宅の女囚用の監房に入れられたスミス(クリフトン・コリンズ・ジュニア)を最初に訪ねる場面だ。スミスが壁際から振り返って、脚の痛みを止めるアスピリンを要求するあたりは、『カポーティ』におけるペリー・スミス像――小柄で繊細で孤独で、世の中に対し静かな苛立ちを感じている、そんな面が良く表されていたと思う。

ダニエル・クレイグは決して大男ではないが、スミスの人となりに関する重要な要素である「小柄さ」はない。それをカバーするのは、演技の技量は言わずもがな、役づくりと言う面では、やはり彼の中からにじみ出る熱のようなものしかない。金髪を黒く染めダークなコンタクトをつけた彼が、場面によっては誰なのかわからない(ぐらい別人として役になりきっていた)という声を、監督は多く聴いたそうだ。スミスの内面を表側に出していくことによって観客を納得させようとする、「こびとのような半おとな」的なスミスのイメージとは全く違う、新鮮で力技なペリー・スミス像。

自分の中では、コリン・ファレルのボビー・モロー役と張りますね(笑)。

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コメント

「冷血」今日レンタルのが届きました。すぐにでも観たいのですが順番があるので、もうちょっと後になります。
レンタルのでもカポーティ見れるといいんですけど。
『名探偵登場』テレビで観ました。おかしくて大好きでしたが、カポーティ、あれに出てたんですねー。まったく意識してなかったです。これもまた観てみたいです。

フェイユイさん、こんにちは。

昨晩帰宅したら、『カポーティ』&『冷血』のDVDのセットが届いておりました。さっそく『冷血』を再生したまま、数分で爆睡して朝を迎えてしまったので、中身までは語れませんが、ペリー・スミスは、写真で見た実物のスミスによく似た、低い背丈&がっしりとした体型、黒髪&太い眉の俳優さんでした。

『冷血』のDVDには『名探偵登場』の、おそらくは米国版の予告編も収められていて、晩年のカポーティ実物があの独特の喋りを見せています。劇場で見たのは大昔なので、『そして誰もいなくなった』のパロディで、有名な推理小説の探偵キャラを模したキャラクターが登場するという以外、内容はよく覚えていませんが……。

お久しぶりです。といっても毎日見に来てますが(笑)
最近エントリが多くてうれしいです。

映画「カポーティ」やっと観ましたが、自分的にはいまいち突っ込まれてなかった気がして、面白かったのですが、不満もありました。石公さんの《Infamous》レビューを読んでるとその辺の求めてるものがあるような気がしてちょっとどきどきします。ただし内容的に日本語字幕なしには私には無理のようでこちらも待ってみます(ってそういうのが出るといいんですけど)私はそれほどカポーティ・ファンじゃなかったんですが気になる存在になってしまいました。
「コリン・ファレルのボビー・モロー役と張りますね」という説明でダニエル・クレイグ、観ないわけにはいきませんね!

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