OPPAI星人 バビー
京橋のフィルムセンターで、1994年のオーストラリア映画『バッド・ボーイ・バビー』を見る。オーストラリア映画祭最終日。フィルムセンターのホームページに掲載されている、同映画祭での作品解説はこうだ。
バビーは「悪い子」だからと、母親に命じられるままに地下室に閉じこもったまま、母親と二人で30年以上暮らしていた。外に出ると空気中の毒で死んでしまうと信じ込んでいたバビー。父親が戻ってきたことから、外界へ出ることとなるが、そこは地下の密室以上に奇妙な世界だった…。オーストラリア映画界の鬼才、ドゥ・ヒーアの映画のなかでも特にカルトな作品。ヴェネチア映画祭審査員特別賞など多数受賞。
30がらみの、前髪の薄くなりかけた、ぼさぼさ頭のバビー。なぜ、地下で暮らし続けたのかは説明されないが、強烈な母権の下、あくまでも「子ども」として扱われている。遊び相手は、猫とゴキブリ。母が外界へ出かけている間も、「動いてはいけない」と母に命令されるがままに椅子に座ったきりで、小便をもらしてしまう。母とは性的な関係もある。もちろん母親主導の形で……。そんな異常な環境下で生きてきた男が、突然現れた父と愛する母との2人が亡くなってしまった後、好きだった猫のラップにくるんだ死体をバッグに詰めて、生まれて初めて外に出る。
そこからは、ホラー映画のようなおどろおどろしい雰囲気は一変。子どもが世界を発見していく、コミカルなロードムービーとなる。バビーは子どもである上に、何の教育も受けていないから、見るもの聞くものがすべて初めてだ。出会う人の言葉使いをすべて真似する。聖歌隊に出会えば、一緒に並んで歌ってしまうし、女性を見ればすぐに胸に手を触れる、母にしていたように、あるいは父が母にしたのを真似て……。女性に対する言葉は、父が母を口説いた台詞そのままで、ケーキ屋でエクレアを買っている人を見れば、(そうすれば食べ物が手に入ると思い)全く同じ口調で同じ物を注文する(金を払うことは知らない)。下手な文章では伝えられないが、このあたりは、場内、笑い声が絶えない部分だったりする。
酷い目にも遭うが、優しい人にも助けられる。特に運命的な出会いをするのが、売れないハードロック・バンドの気の良いメンバーたち。最初は「雑用見習い」として仲間に加わり、ある事件でバビーが投獄されてしまうことで離れるが、彼らのライブステージが行われていたバーで、運命の再会をする。ふらふらとステージに上っていったバビーは、面白がったバンドのメンバーにマイクを渡されるままに、曲の間奏で、覚えた言葉を片端から叫ぶように吐き出し、それが観客に受けて、一躍人気者となる。いつしか映画は、ロードムービーからロックバンド物に成り代わっている。また、そのバビーの、歌とも語りともつかないボーカルが良い。アルバムがあったら買いたいぐらいに良い(笑)。(全然違うけれど、何だかクラウス・ノミのステージを思い出したりした)
そのころ、バビーにはもう1つの出会いがある。バビーが座っていた公園のベンチの前を、障碍者と施設の係員が散歩で通りかかった。重度の障害を持つ女性(レイチェル)の発声が、バビーには理解できることがわかり、バビーは施設に招き入れられる。バビーは、レイチェルを担当していた係の女性(エンジェル)が好きになる。母のようなふくよかな胸を持つ彼女が……。そして、エンジェルを「美しい」と心から思うバビーとエンジェルとの間に、通い合うものが生まれる。
そんな映画の感動的な主旋律をあざ笑うかのように、例えばエンジェルの、ある意味サイコホラーまがいに悲惨な家庭での場面がある。バビーが、放浪の時代に出会った教会のオルガン奏者が説く過激な無神論の場面もある。バンドのメンバーがバビーに語る、宗教と戦争の歴史の話もある。宗教、哲学、死体、おかしな人々と、カルト映画の要素はてんこ盛りだ。
だがそれでも、映画はこれ以上にないぐらいの、明るいハッピー・エンディング。こんな結末が待っているとは、冒頭の地下室での髭剃りシーンからは、誰だって思いも寄らないに違いない。
この豊かで不気味でおかしな映画は一体何なのか。見事に作り込まれた脚本と、深い内容は何なのか。舞台俳優だったという、バビーを演じた俳優(ニコラス・ホープ)の凄みもすさまじい。今回のオーストラリア映画祭では、この作品の監督であるロルフ・ドゥ・ヒーア氏が2006年の新作をひっさげて来日していたという。知らなかったのが悔やまれる。
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