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2006.03.08

スローエンタテイメント

ファザー、サン』の封切日は、4月29日に決まったそう。寝不足ででかけると、あまりの静けさとあまりの映像美に、爆睡必至の傑作が、それだけでも危険なレイトショー。よく寝てから行くべし。


米アカデミー賞の結果に、ブッシュ再選や小泉自民大勝のときの、砂をかむような思いを味わった向きも多かったと思う。自分が思い出したのは、オリバー・ストーン版『アレキサンダー』の米国での「公開失敗」に関する悔しい思いだった。『アレキサンダー』は、米国公開の前から知っていたわけではないのだが、でも、もう1度やり直せたら、もっと状況は違っていただろうか、もう1度、もっと別のやり方をしたら、あのとても公平とは思えない「酷評」はなかったんじゃないだろうか、と……。

そういう取り返しのつかない、何か「間違ったことが起きてしまった」感じが、今回のアカデミー賞についても感じられたのだ。もちろん、それまでの数々の受賞実績や、批評家による絶賛や、当のオスカーのほかの部門での評価(得賞)もわかっている。「賞なんかで作品の価値は左右されないよ」という意見ももっともだ。「ハリウッドなんてこんなもんだよ」というのもうなずける。それでも……。


さて、いつも読ませていただいている「映画館ブログ」という、映画の興行に関する話題を主なテーマとしたブログで2月に読んで以来、ずっと気になっている記事がある。

DVDの発売はなぜ早くなったのか?

この記事の筆者の方は次のように書いている。

「ウインドウの速さを歓迎する自称マニアな消費者さんを散見するが、別に歓迎するのはよいとして、外国映画の日本での公開が遅い!とか公開後のパッケージ発売が遅い!とプレッシャーをかける人は、それ本当に映画好きなの?早く見たり手に入れたりすることって本当に大事?」(原文より引用)

論旨は、映画公開→DVD発売というような商業展開サイクルが短いものになってきているのは、「別に消費者サービスでもなんでもなくて、単に投資回収を早めたいという製作サイドの需要にすぎませんよ」(原文より引用)ということで、そのサイクルの短さが、本来あるべき劇場売上や本来あるべきDVD売上を実は食いつぶし合ってしまっているのではないか、実は結果的に映画産業にとってマイナスなのではないか、という問いかけを行っているのだと思う。

まあ、売る側の勝手なんだから関係ないじゃん、と言ってしまえばそれまでなのだが、この文章が言っていることと別の部分で、「早く見たり手に入れたりすることって本当に大事?」という言葉がとっても引っかかったのだ。

自分自身は、気になるものについての情報を集めるのが好きで、この記事の冒頭でも、好きな作品の公開日決定のことを記したばかりなので、まったく「言っていることとやっていることが違う」ことになってしまうが、「早く見たり手に入れたりすることって本当に大事?」という言葉に照らすと、そんな「情報」すら、「物をすり減らす」という意味での「消費」に加担しているような気分にさせられる。

映画に関する制作情報を知る。完成した作品が海外の映画祭で公開されるという情報を得る。日本公開の日程をいち早く知ろうとする。海外発売のDVDを買う。公開された映画を劇場で見る。「次はDVDだね」。「発売はいつかな」。「こんな雑誌が出たよ」。――自分がいつもやっていることだ。

そんなふうに、ファンとして普通に行っていること、期待していることが、映画と出会い、味わい、心の中にしまわれるというシンプルで豊かな経験とまったく反対方向の、浅ましい行いに思えてくる。

『アレキサンダー』では図らずも抑えがたく夢中になったことをさらしてしまったが、「夢中になった」ことを表に出すのは恥ずかしいことだという、やせ我慢根性というか、ひねくれ根性が自分の中にはある。「江戸っ子」だからか?(←正確には自分の生まれ育ったところは江戸圏内ではない) 洋楽ファンの友人がかつて言っていたことには、好きなバンドの全国ツアーについてまわると、観客のノリに「地方色」があるのがわかるのだそうだ。東京公演はクールな反応。大阪公演は超ホットな反応。京都は「最初はクールだが、だんだん火がつく感じ」。だからアーチストは一般的に関西で行われる公演の方が嬉しそうだと……。

夢中になったものに対する熱烈な思い入れがあっても、その「もの」に対するマクロで相対的でクールな視点を、必ず同時に持っていたいと思うし、「思い入れた自分」を相対化する視点も持っていたいと思う。

ん? 何を言っているかわからない? 自分もわからない(笑)。(いちおう自分的には、筋は通っていないかもしれないけれども、めざす筋道はあるのです)

いや、BBMに対するアンビバレンツな想いを書きたかっただけで……。

つまり、ここまで見事で、ここまで本質的で、ここまでど真ん中で、ほとんどの映画ファンなら絶賛するだろう作品に、「ディープにはまる」のはかっこ悪いかなと思う。私ごときが思い入れずとも、応援しなくても、文句なしに素晴らしい作品であることはゆるぎない事実だ。見た人たちの中に、あの映画を愛する人たちがたくさん生まれるだろう。 (とはいえ、そういうことと一般に認識されているかどうかは別の話で、「県庁」や「ナルニア」は認知されていても、特定の映画ファン以外ではBBMのことを知っている人に会ったことなどない。アカデミー作品賞をとらなかったことで、日本で、「ミニシアター作品として以上に」ヒットする可能性は低くなったのではないかと思う)

でも、最初に見た5日の翌日の夜も、仕事をおっぽって映画館にいた自分もいるわけで……(でも、軽々しく何度もリピートできるような映画ではない)。

それでも今度ばかりは、「DVDの発売はいつだろう」とか「海外版のDVDの特典映像は」なんていう、餓鬼(←子どもではなく、飢えた亡者の方の意)のような振る舞いはやめようと思っている。コマーシャリズムや情報や自分の欲望に踊らされることなく、あの映画と、じっくり向き合っていたいと、醒めた頭で静かに蜜月を過ごしたいと思うのだ。(ってなことを、公開前にも書いたな)

「雑感3」はもうちょっとまともに、映画本体への感想を書きたいと思っている。

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コメント

ウーさん、みっともないのはみな同じですよ。

生きていることは「みっともない」し。すばらしいと同時にね。あなたの「熟成」を楽しみに待っていますよ。またいい具合になったら、話を聞かせてください。でも、「熟す」もよし、「腐る」もよし、「実らぬ」もよしです。

さて、私もみっともなくも作品賞ショックからいまださめずにいます。実際、google(US)のニュースを見てみても、「アン・リーはオスカーの結果に落胆している」という内容の関連ニュース昼に449もあり、今もそれに近いニュースが288あります。「BBBMが作品賞をとらなかったことが永遠に記憶される年になるだろう」という論調はあちこちで見られました。

「我々がいなくなり長い月日が過ぎて、BBMを見た未来の人々は、これほど胸をしめつけるようなすばらしい作品がオスカーに見落とされたことを不思議に思うだろう」とはやはりどこか海外のマスコミの言葉です。

でも作品評価だけの問題じゃないのです。まあ、私がこんなところで「粘着」していても何の役にも立たないのですけれどもね。米国では、ファンによる新聞広告掲載のための募金活動の動きも出てきているそうです。

どうもこんばんは。
まだまだ「山ショック」の渦中にあります。

映画の中の彼らよろしく、理屈じゃ説明できない事態に陥ったようなものだから、かっかしてるうちはどうにもならないです。自分がどう感じたかがすべてで、他でこの映画がどう評価されても、どうだっていいし、関係がないやー、という状態にまで陥ってます。
たしかに、そういう理性的でない状態を全開にしちゃってる自分は、おそろしくみっともないよなあ(こんなとこに書いていること自体が、ますますみっともないです)。
ただ、映画にかかわる環境とは物理的にも精神的にも距離があるために、その分ひとりでゆっくりじっくり消化することができるような気もします。
発酵をどんどんすすめてはやく熱を冷まし、きちんと熟成するためには、「映画を見ないでいる時間」が重要なのかもしれません。

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