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2006.03.22

受難

見る前は、邦題の『変態村』というタイトルの煽っている感じが決して嫌いではなかったのだが、映画を見たら、(これから見る人に)誤解されるだけだという気がしてきた……。ファンタでやって、これ、受けたのか? ファンタで受けるか?

ということで、記事のタイトルの「受難」は、原題《CALVAIRE》のことである。邦題『変態村』。2004年フランス・ベルギー・ルクセンブルグ合作のフランス語映画。2004年カンヌ映画祭の批評家週間で上映され、上映中には席を立つ人が続出だったという。監督は1972年ベルギー生まれの新鋭ファブリス・ドゥ・ヴェルツ。

で、その実は、立派なアートカルト系欧州映画。ホラーでは決してない。サスペンスでもない。そんなスリルや緊張感はほとんどない。退屈系アート映画が嫌いで、グロいのが嫌いな人には勧めない。監督自身もパンフレットで言っているが、詩――そう、最初から「詩」だと思ってみれば、違和感は少ないと思う。自分は後から、散文詩だと感じた。

歌手の青年(といっても中年に足をかけている男)が、ほとんど老人施設の慰問のような旅回りの巡業の途中で道に迷い、たどりついた村の宿屋で監禁される話だ。

オープニングは、主人公の男が鏡の前でステージ用のメイクをしている場面。ステージ用のメイクだが、「鏡の前での化粧」というのが、その後、くだんの村で自明のことのように、「あの女」呼ばわりされてしまったりする展開を暗示しているかのようだ。

話は十分B級で、何も満足のいく説明はされない。ギラギラした老人たちと、うつろな中年男たちしか出てこない中にあって、主人公の青年(しつこいようだが若く美しかったりするわけではない)は、最初から最後まで、キャラクター的にもビジュアル的にも、明らかに無垢な少女のような扱いで画面の中に収められている。

それでも、老人たちを演じている俳優の素晴らしい存在感と、その「想い」と、映画の至福(←大げさか?)をもたらす印象的な色彩を持つ美しい映像が、話の無茶苦茶さとグロさを吹き飛ばして、どこか説得力のある映画になっている。

当初、映画に対するスタンスの取り方がわからずやや戸惑っていたが、後半、クリスマスパーティの室内シーンでカメラがぐるぐる回り出すあたりから、俯瞰の暴力シーン、そしてパンフレットの中でタルコフスキーに例えられていた幻想的な森と沼の風景の中の終盤(じいさんと、血みどろ坊主頭でスカートをはかされた主人公との、せつない場面で、しかもその老人に関して映画では何の説明もなく、あるのは、ただ目の前の「女」(としての主人公の男)への「想い」ばかりだ)に至って、この映画がただの「変態村」なんかではなく、漆黒の夜空に見えるか見えないかの、密やかに輝く小さな星なのだと思い当たる(←大げさか?)。

ラストシーンはどうやら不吉な音がして終わるのだが、その、ラスト直前の森と沼のシーンの、映画における主人公最後の台詞には、「何でそんな言葉をかけるんだよ」と理性の方は叫ぶものの、感性が静かに納得する。いや、あれは『変態村』における"Jack,I swear"みたいなものだなと、もう、その場面と風景を見ただけで、「よかったよ」と言えるような……(←大げさか?)。

淡々と撮られた作品で、想いの重さと、人々の異様さの割りに、あまり主観的に入り込むような場面はないので、だから散文詩と言ったのだけれど、過度の期待をせずに、だまされたと思って見ていてください、見に行く人は。


【追記】
「話は十分B級」などと書いてみたものの、時を経るにつれ、説明をすっとばしているジャンル映画的な部分にこそ、かえって何か哲学的な、根源的な命題が含まれているような感じがしてきた。肉体と知覚が衰えた老人に残るのは、錯乱の形で発現する愛と、燃え残った欲望、そして嫉妬。それは歳月を重ねた人間の行き着く果てなのか。それとも人の本質なのか。煩悩の坩堝に投げ入れられた1人の男は、磔刑のキリストであり、いけにえの処女でもある。うーん、大げさか?

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