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2006.02.20

全国超拡大公開

ということで、米オスカーは『クラッシュ』が終盤形勢逆転してきているとは言われつつも、まだまだ本命であるには変わりない『プロークバック・マウンテン』。日本でも公開館が増えている。→公式サイト参照。"シブヤで単館公開"なんて言っていた大昔が嘘のように、ウチの地元なんぞにも来てしまうことがわかった。きっとあなたの街にもやってくるはず。

で、3月号の「CUT」、本屋でパラパラとめくっていたら膝が崩れ落ちそうに……。いや、見ればわかる。2月号もなかなかだったのだが、今回もきっちりと載ってます。でかい雑誌は置き場に困るので買いたくないのだけれど、これはやはり、いつも見ているスチールとはいえ、大判ならでは。立ち読みの際には、覚悟してご覧ください(→そして一目見たら、いつのまにかレジに並んでいる自分が)。

ちなみに「キネマ旬報」も、次号(封切日の3月4日発売)はBBMが巻頭特集だそうで……(まあ、映画雑誌・情報誌などあちこちに出るのだろうけれど)。

しかし、自分がかなり楽しみにしている『変態村』、公式サイトと上映館サイト以外は、雑誌などでも何も見ないのだが……。

2006.02.19

ベルリン2006閉幕

もう少しで保存、というところで間違って記事を消してしまい再現不可能。がっくり。もともと近況に書いていたものを、リンクなどが増えたのでこちらに移動してきたのだったが、気を取り直してもう一度やってみる。近況的には、このところ2冊の本の間を永久ループ状態で、見たい映画もあるくせに足がなかなか外に向かない……という。で、きょう19日は英アカデミー賞の発表。

ベルリン国際映画祭の2006年の金熊賞は、欧州4カ国合作の《GRBAVICA》が受賞した。ついさっきラジオのニュースでもアナウンスされていたが、ボスニア紛争の際に暴行を受けた女性とそれにより生まれた子供のその後の人生を描いた物語とのこと。こちらのサイトでもレポートされている。

リンクしたサイトによると、アウグスト・ディールの 《SLUMMING》もなかなか面白いよう。ドイツ映画祭あたりでやらないだろうか。

テディ賞は、フィリピンのオリオス・ソリト監督の 《ANG PAGDADALAGA NI MAXIMO OLIVEROS(The Blossoming Of Maximo Oliveros)》。マニラのスラム街の貧困と腐敗の中で生きる12歳の少年の初恋のお話。これもどこかの映画祭か何かでぜひ見てみたい作品だ(ベルリンの公式サイトに出ている作品紹介ページの写真がとてもかわいい)。監督によれば、デジタル革命は映像の世界における国家間の貧富の壁を突き崩す可能性を持っているとのことで、インドや香港や日本、韓国といった映画制作の盛んな国以外の、アジアの国々の映画が近年勢いを増してきているのは、デジタルカメラという、フィルム撮影より低コストの撮影技術が広がったからなんだろう。振り返れば、昨年の東京国際映画祭のフィリピン映画や東京フィルメックスの中国映画、カンボジア映画など、個性的で圧倒される作品がいくつもあった。

公式サイトの結果ページ

2006.02.16

文庫の美観

E・アニー・プルー『ブロークバック・マウンテン』(集英社文庫)。昼休みに職場近くの小さな書店で発売されていた。

まあ、表題作1編しか収録されていないのは、原書ペーパーバックも同様だし、著者も承諾していることなのだろうから仕方ないけれど、やはりワイオミングの11のランドスケープの中の1つとして見てみたかったなあと……。待っていますので、いつか必ず"Close Range"を出版してください、集英社さん。

それにしても、あの字のでかさは、書物の美学に反するかと……(←大げさな)。本来の作品の分量の問題は理解するけれど、「短編小説」ではなく、まさに「映画の原作本」です、という仕様だね。

というようなことで。でも、出版されただけでありがたいと思おう。

2006.02.13

祝・退役

いや、2006年1月号のUS版「GQ」のヒース・レジャーのグラビアを見たとき、「あー、孝全くんみたいだ」と思ったのだ(←おいおい、またかよ)。「グラビア」の文字のリンクが切れないうちは、開いた画面右下のNEXTを押すと、グラビアのスライドショーが見られる(GQのサイト)。

その張孝全くんも、今月、いよいよ徴兵期間が終了するという。休暇の夜遊びを、また過激なタイトルの記事にされている。早くも、映画の仕事なども予定にあがっているようで、出演作の情報の聞こえてくるのが待ち遠しい今日このごろ。しかし、顔つきなんかもまたまたさらに変わっちゃてるんだろうなあ。育ち盛りだし。

2006.02.12

ベルリン

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ベルリン国際映画祭でコンペに出ている彭浩翔(パン・ホーチョン)の《 Isabella 》、スチールがえらくきれいです(画像はベルリン国際映画祭公式サイトより)。何枚かスチールが見られるのですが、まるで陳果作品みたいな、パン・ホーチョンにはあるまじき(?)美しさです。

ほかに画像では、ガエル・ガルシア・ベルナルin着ぐるみバンド(中央 The Sience of Sleep)とか、アリストテレス(←違うって The New World)とか、アウグスト・ディール(右端 Slumming)とか……。

三池崇史監督の『46億年の恋』も、11日最初の上映がありました。

Go for more 'Broke'? Maybe

タイトルは、ひとつきほど前のこんな内容の記事です。

10日、いつも拝見しているこちらのWeblogで、ついに「二遊間の恋―大リーグ・ドレフュス事件」ようやく映画化へ?」というエントリが上がった。ソースは記事内のリンクのとおり、小説の作者ピーター・レフコートのホームページからだろう。このトップページの左サイドのレフコート本人からの「近況報告」欄は、この手のサイトにはめずらしく割合まめに更新されていて、今回の朗報の内容は、多分2回ほど前の更新で可能性として漏らされていたもの(プロデューサーの名前とか、脚本のこととか)の確定バージョン、という感じだ。原作者の手による映画の脚本もすでに出来上がっているそうで、5回目の企画にして今度こそ本当に、愛娘に晴れの日が訪れるか(←この比喩は本人が前に書いていたもの)といったところ? ブラッド・ピットがゲイの役柄を演じることに興味を示しているらしい、という本当か冗談かわからないニュースもあったが、5年ぐらい前までならランディの役あたり最適だっただろうが、今はちょっと無理だよね。

実際、断背山もそうだが、これらの映画化企画はほとんどがみな「構想10年」レベルの長いタームのもので、トップにリンクした記事の中にも作品名が挙がっていた、パトリシア・ネル・ウォーレンの『フロント・ランナー』もまた同じだ。実は、きのう初めてその『フロント・ランナー』の公式サイトに行ってみたのだが、断背山全米公開の数日前の日付で、作者ウォーレンが " The Front Runner vs. Brokeback Mountain? " というタイトルの、断背山に関するコメントを出していてびっくりしてじっくり読んでしまった。レフコートも何度も自サイトの「近況報告」欄で断背山について触れているが、ゲイをテーマにしたベストセラー小説の作者にとって、『ブロークバック・マウンテン』という小説の映画化は決して対岸のできごとではないのだろう。ウォーレンのコメントの論旨は、彼女の30年前の名作の熱狂的なファン――小説『フロント・ランナー』がゲイをテーマとした作品として、ポルノでもインディーズでも単なるアート作品でもなく、メインストリームで成功した最初の映画としてのフロント・ランナーたりえなかったこと(=『フロント・ランナー』より後に発表されているプルーの『ブロークバック・マウンテン』に先を越されたこと)への失望の声をあげた多くのファンに向けて、映画『ブロークバック・マウンテン』をサポートしていこうよというもので(記事は封切前にアップされたもの)、それが映画『フロント・ランナー』の実現につながっていくことを説いていた。

コメントの中で面白いのは、過去に『フロント・ランナー』の映画化に興味を示したプロデューサーたちはみな、(断背山がそうだったように)ロウ・バジェットの制作者だったが、1976年のモントリオール五輪がクライマックスの舞台となるこの小説の映画化には、「低予算」では無理なのだというあたりだ。映画化に関しては、そういった予算の問題だけでなく、社会背景とラブストーリーと陸上の世界が深くからみあってできあがっている小説だけに、脚色もまた難しいのではないかと思われる。

折りしも今はトリノ五輪の開幕直後。そして、米アカデミー賞では断背山のライバルである『ミュンヘン』、――オリンピックでの暗殺事件と言われたら、背景こそ違うものの『フロント・ランナー』を思い浮かべずにはいられないエピソードから始まるその映画が公開中だ。スピルバーグの映画は、テレビ放映を見る以外では劇場まで見にいったことは一度もないのだが、過去の五輪をどうやって映画で描くのか、そんな角度からなら興味がわく。

最初にリンクした記事やレフコートのコメントで述べられていたのは、断背山の作品評価以上に、特に低予算作品としては非常に効率的な興業成果を挙げていることが、ほかの「まだ見ぬ」映画の実現につながるのだということだ。制作者たちは、ホモフォビックではなくリスクフォビックなのだという。まあ、確かに「もうかるなら、つくるよ」というのはわかるが、ちょっとこのあたりの制作者の言い分はレトリックくさい感じもする。断背山は、好評を受けてぐっと公開館数が増えたあたりから、集客率がだいぶ落ちてきているという。今後、ハリウッドで同性愛をテーマとした映画の制作が増えていくのかどうかはわからないが、冒頭の記事やレフコートのコメントで書かれていたことの中に、もう1つ、断背山の影響として確実ではないかと思われることがある。曰く、断背山以後、ハリウッドの俳優たちにとって、ゲイの役柄を演じるということは、実力を示すことにつながりこそすれ、決して過去に言われてきたようなキャリア上の傷になるというようなことはなくなっていくだろうと……。

かつての映画化の企画の際、ハーラン・ブラウン役はポール・ニューマンだったそうなのだが、どうだ、ブラピ?(笑)←いや別に、自分はブラピは好きではないです

下の画像は、2月10日朝日新聞夕刊の全面広告。
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2006.02.08

おなじみのタイトル

何かが流行ると必ず出る、おなじみの「○○版▲▲」。

韓国で大ヒット中で、先週末にはついに興業1位に輝いた《王の男》も、やはり台湾では"王的男人 韓國版斷背山 "として見出しになった。監督は、『黄山ケ原』で大ヒットを飛ばしたイ・ジュニク。→朝鮮日報紙の作品レビュー。主演俳優も大人気だそう。

韓国映画界はスクリーン・クォーター制緩和で揺れているようですが、《ウェルカム・トゥ・トンマッコル》、《君は僕の運命》とともに、これもまた見るのが待ち遠しい作品です。

と、ところで今年は、韓国インディペンデント映画……は開催されないのだろうか。昨年は、頭と心が西方の王とともに東方遠征に出ていたので、ほとんどまともに見られなかったのだが(『スパイするカメラ』とか、すごいパワーで面白かったにもかかわらず)……。(あ、でももし今年開催されても、心はワイオミングか?) 

2006.02.05

今週と先週と

だらだらと行きます……。

昨日は墓参。本日は、狭い部屋の「お荷物」である大陸ドラマVCD(20集×6セット、24集×3セット、25集×1セット、30集×1セット)を、コンパクトなケースに移し、最近、たまりにたまった映画DVDの置き場をつくる。でも結局入りきらず、まだ一部DVDは紙袋に詰められたままだ。

断背山の文庫本が発売になった夢を見る。で、夢の中で読むべきか読まざるべきかを迷う(←バカだ)。もし、文庫版がきちんとした"Close Range"の全訳の短編集として発行されるなら、断背山以外のほかの作品だけを読んでから、映画を見ようかなどと考えたりしている。海外のファンBBSなどでも、既にいろいろな映像がアップロードされていたりするが、極力、トレイラー以上のものは見ないようにしている。一度は素直に映画をそのものを楽しみたいと願って……。でも日本の公式サイトのプロダクション・ノートはとても面白かった。あの辺の話が日本語で明解に読めるのは有難い。しかしBBSは非常に怖い。思い入れは理解するが、字幕がどうの訳がどうのと、上映前から「何もそんなに必死にならなくても」と……。米国で断背山が、封切以来、作品の本質的な部分とは別に、いろいろな意味でブームを巻き起こしている理由の1つは、それがカウボーイの映画であるからではないかと思う。カウボーイの国でない他国においては、今の米国のような、異常とも思える「ブーム」は起きえないだろう。もちろん、興業ランキングで1位になった国も幾つもあるし、どこでも評判は良い。日本でだって、ロングランになる可能性はあるだろうし、もしかしたらアカデミー賞でもとって、大ヒットしたりするなんてことがあるかもしれない。でも、良い意味でも悪い意味でも、過剰な反応を示した米国と、カウボーイがアメリカ映画というフィクションの中の象徴的存在でしかない日本とでは、「ブーム」を形づくる話題性という点で、映画の持つ意味が全く違っていると思うのだ(←映画、見てから言えよ)。もちろん、作品が評価されるかとか、素晴らしい興業成績を上げるかなどとは別の話。

1月29日。東京国立博物館で行われている「書の至宝」展に行く。爆満。「至宝」というだけあり、右を向いても左を見ても、おなじみの「お宝」だらけなのだが、特に有名で人気のある作品の前では人が動かず大渋滞。その後、映画を見るつもりでいたので余り時間に余裕がなく「すっ飛ばし」状態だったが、真筆の墨色と筆勢にはとてつもない力があり、筆跡を目で追っていくだけで涙が出そうになった。大陸の天才たちの闊達な中にも揺るがない心棒の貫いた文字、道風のおおらかさ、行成のエキセントリック……ETC。そして終盤近く、菘翁のエッジの効いた複雑でセクシーな線にはっとさせられる。展示場の作品の数々は、ルーブルのような豪華さだった。そんな中、自分の後を歩いていた明らかにデートと思われる中年男と若い女性のカップルの男の方が、相手に向かって、滑らかにもっともらしく間違った解説をし続けるのが余りに面白く、思わず振り返って顔を確認してしまった(←失礼な)。中年男も若い女性も、浮ついたところのない、品の良い感じのペアだったのだが、自分のような者でも知っている有名な作品の前で、あれだけの当て推量を大声で話せるとはまことに天晴れな男である。女性は黙って相づちを打つばかりだっが、彼女、あんな男で本当にいいのか?

この「書の至宝」の後に見たのが『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』。見て損はない、素晴らしい作品だ。でも、苦しく怖かった。「白バラ」という反ナチの運動を行った学生グループのメンバーで、ビラまきの現場で兄とともに逮捕され5日後に処刑されたゾフィー・ショルという女性は、彼女を知らないドイツ人はいないというぐらい有名な人で、名前を冠した学校がドイツ国内にはたくさんあるのだという。彼女や白バラに関する映画は過去に2本つくられたそうだが、その、ある意味神格化された彼女を、一個の若者としてじっくり描いたのが本作である。特に監督にとって映画化のきっかけとなったのはゾフィーの尋問記録だそうで、信念を貫いて処刑(虐殺)された彼女が、逮捕直後は懸命に助かろうとしていたことが初めてその尋問記録から明らかになったのだという。(関係ないが、ゾフィー・ショルを演じるユリア・イェンチは、ちょうどかつての伊藤かずえを思わせる美しさだ) 映画前半の取調べでの演劇的な台詞の応酬(モーア尋問官を演じたアレクサンダー・ヘルトの自宅で、ゾフィーのユリア・イェンチと2人、このシーンを稽古したそうだ)、後半のゾフィーの人間としての精神的な美しさ、全編に漂う緊張感と、シンプルなストーリーにして見どころは尽きない。映画の冒頭では流行のポピュラーソングを歌い、留置所では窓から物を思うように空を見やり、最期の独房で婚約していた出兵中の恋人に手紙を綴る。瞳に強い光をたたえてゲシュタポの尋問官モーアとやりあい、法廷では狂信的な宗教者のような裁判官を相手に堂々と信ずるところを語った女性は、強いばかりではなく青春を謳歌していた若い1人の人間だった。が、自分が最も共感したのは、処刑が決まり、両親と面会した後の涙を、廊下に立っていたモーアに見られたゾフィーが、「泣いているのは(最後のお別れのために)両親と会ってきたから(で後悔や恐怖のためではない)」とモーアに言う場面と、やはりあの、独房で1人になったゾフィーが腹の底から叫び声を出す場面だ。どちらの場面も見る者には苦しいが、「聖女」と「若い一般女性」の間のイメージのギャップを埋めるような、ゾフィーらしい言動だと思う。そして恐ろしいラスト。結末がわかっているわけだから、映画を見ている間ずっと怖かったのだが、それでもラストを見た後は、ただただ処刑の恐ろしさの衝撃に、しばらく身体に力が入らなかった。「泣ける」映画なんて、甘いことを言ってはいけない。ナチスの時代に真実を言ってのけた強い精神に感動する? もちろんそれはそうだ。でもそんなこと以上に、理不尽に裁かれて、秒読みで殺されるその恐怖は、とてつもなく巨大だ。

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