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2005.07.26

夏休み映画祭り(その2)

「その2」もすぐに書き始めたのに、ゴールに到達できないまま1週間も過ぎてしまった。が、取り直して書いてみる。う~ん、今週こそ『バッド・エデュケーション』@ギンレイホールに行くぞお。

18日は『ヒトラー~最期の12日間~』を見る。何だか知らないが、老若男女やたらお客さんが入っている。行列だった。

文字通り、ナチスドイツ終焉の12日間を、総統アドルフ・ヒトラーを中心に据えて描いた、ドイツ人監督、ドイツ人俳優、ドイツ語によるドイツ映画であり、本家本元で作られたということ自体が、まずは第1の意義でもある作品だ。

で、とにかく、この丁重極まりない死に方はずるいよ、というのが最初の感想。数百万の人々が、この男を頂点とするナチスドイツのために、長い間恐怖と苦しみを味わされ虫けらのように殺されていったというのに、当のヒトラーは、用意周到に、即死できるよう手を尽くし、人として一国の首領として最大の尊厳を保って死んでいく。「ずるい」などという言葉では済まないのだが、やっぱりずるいよ、と思う。

ゲッペルス夫人が子どもたちを眠らせてから1人ずつ毒を口に含ませて死なせていく様子もまた、凄い迫力で、映画中最も印象的な場面の1つである。その決然たる姿勢と、ことの済んだ後に見せる手の震えからは、抑えに抑えた母としての悲しみの激烈さがわかるが、あんなふうに自らの手で自分の子どもを死なせることができたことは、そんなふうにすら死なせることもできず、我が子を他人に殺された被迫害者の痛苦に比べたら、どんなにか幸せなことだろうと感じる。感情は個人それぞれに絶対的なものであり、苦しみの大きさを、ほかの人のそれと比較することはできないのだとわかってはいても……。

この映画にロマンチックな演出はない。だが、パンフレットの川本三郎氏の評にもあるように、ヒトラーという人間の最期の日々のみを、「密着取材」ばりに近い視点で描いたら、対象がどんな悪人だってそりゃあ「人間だもの」、どこか人間味のある男に見えてくるに決まっている。もちろん、それほどに主演のブルーノ・ガンツが素晴らしかったということでもある。ヒトラーという、アニメキャラなみに良く知られイメージの完成された人間を、イメージそのままに人間としての陰影まで加えて演じきったのだから。

映画としても、ナチスの地下要塞という主舞台だけでなく、外のベルリンの市民の様子や陥落後の連合軍兵士など着実に描写されており、映像も重厚で美しい。堂々たる出来栄えである。

それでも、脚本の元ネタの1つである『私はヒトラーの秘書だった』という本の著者の、ヒトラーの最期を目撃した若い女性秘書たち(トラウドゥル・ユンゲ&メリッサ・ミュラー)の、ナチスの所業を知らなかったゆえの「我らがボス」ヒトラーへの(当時の)想いが、彼とナチスの終末にどこかノスタルジックな彩りを与えているのは確かだ。

映画の最後に、2002年まで存命だったトラウドゥル・ユンゲ実物の晩年のインタビュー映像が挿入されている。彼女の言葉が本作ただ1つの表立ったナチスドイツに対する批判であり、そこまでは、党本部(室内)とベルリン市街(屋外)での出来事が、リアルに重厚に描写されていくだけだ。だが何の説明もなくヒトラーが登場しても、どんなに優しげな面を見せようとも、我々はヒトラー率いるナチスが何をしたのかを知っている。権勢を誇った1つの体制が崩壊していく緊迫の時間を、内側から描いているというだけでも十分ドラマチックだが、それがあのナチスとなれば、その名前だけで彼らの「背景」が見る者の頭の中に浮かび上がるわけで、物語本来の緊迫感に加え、歴史の目撃者であるかのような特別な感情が湧き上がるはずだ(本作の視点自体が、本当の歴史の目撃者のものなので、当然といえば当然なのだが)。このナチスドイツへの現時点での世界的な共通認識は、映画をより深みのあるもののように感じさせ、映画への評価を底上げしてはいないか。

ヒトラーも一個の人間だった。ナチス党員も一個の人間だった。悪魔ではなく人間が、禍々しいイデオロギーによって大量虐殺を行った。ナチスドイツを突き貫けて、もっと近くに視点を据えたことで、その罪をヒトラーやナチス固有のものとして歴史の中に位置づけてしまわず、同じ「人間」の行ったこととして広く引き受けていこう、というのはわかる。それが現時点でこのような作品を制作する意義の1つかもしれない。だが、それでも歴史的事実の描写が足りなくはないか。時を経て過去の記憶が薄れてもなお、この映画は今と同じ深みを持った作品として成立するだろうか。ラストに実際のヒトラーの秘書のインタビュー映像を加えるなら、映画の冒頭にも、ナチスが行ったことを示す映像を入れておくべきではなかったか。

この映画の語り部である女性秘書は、何も知らなかったからこそ、ヒトラーの秘書として最後まで側にいることができた。相手がヒトラーだとてパブリックな面を知らずに側にいるなら、個としての人間性に触れるだけである。側近や部下に対しては時にヒステリックな態度を見せるが、秘書や家族(愛人)やペットには寛容な上役など、誰のまわりにだっているはずだ。いとも簡単に、彼女たちはヒトラーを受け入れ得た。

この秘書と正反対の立場で苦しむ人間を描いた映画も、公開されている。

ThePianist

マイ・ファーザー』。アウシュビッツの強制収容所で、主に双子の子どもたちなどを対象に人体実験を行った、ナチスの医師ヨゼフ・メンゲレと息子へルマンを描いた作品である。実は18日はこれを最初に見て、その後、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭に行くつもりだったのだが、見終えたらどうしても『ヒトラー~最後の12日間~』が気になって、結果的にナチスドイツ祭りになってしまったわけだ……。 

1945年1月にアウシュビッツから逃走しドイツ国内に潜伏したのち南米へ渡り、各国を転々とするヨゼフ・メンゲレ。その息子ヘルマンは4歳で父と隔てられたまま母に育てられ、父の記憶を持たない。父に対する個人的な感情がまったくないままに、学校ではナチスドイツの戦犯の息子としていじめられ教師からも無視され、ただナチスの医師であるった父の罪業を背負って生きてきたヘルマン。社会的な父の悪の業績のみがインプットされ、人間性に触れ得なかった息子が、血が繋がっているという理由だけで、父の(思想を含めた)人間性を理解しようと試み苦しむ話だ。

映画のメインとなるヘルマンと父ヨゼフ・メンゲレとの再会(ヘルマンにとって事実上父としては初対面)は、1985年現在からの回想シーンである。メンゲレの遺骨がブラジルで発見されたその年、遺骨が本物であることを証明するために息子へルマンがブラジル入りし、メンゲレの生体実験の被害者遺族による訴訟団の弁護士(F・マーレイ・エイブラハム)と会い、8年前にさかのぼってヘルマンが初めて父と会ったときのことを語っていく。

ヘルマンは、ナチスが何をしたのか、父がアウシュビッツで何をしたのかを知っている。メンゲレの実子として、幼いころから今に至るまで、いわば逃亡した父の代わりに多くの人々の指弾の矢面に立たされてきたヘルマンは、被害者や一般の人々の怒りの大きさ、悲しみの深さ、父の罪の重さを身をもって知っている。実の父でさえなければ、その人物像を理解しようなどとは思わないだろう。

婚約もし分別ある大人のヘルマンが、長い逃亡生活を送っているとはいえ、地元の子どもたちとも戯れる老境の父と対面する。一般的には、分かり合うことは難しくなさそうなシチュエーション。だが、静かなる老父は現役時代と何一つ変わらず、当たり前のようにその思想を披瀝する。密林で父子が向かい合うクライマックスで、父ヨゼフ・メンゲレを演じるチャールトン・ヘストンの、古木の枯れと不倒の巨悪を感じさせる存在感はすごい。モノリスのような巨大でなめらかな壁にぶち当たったときのように、ヘルマンはとっかかりなく、現代人の理解の枠外にある父に弾き返される。父は何もせず、そこにいるだけだというのに。ダース・ベイダーとルーク・スカイウォーカー親子の葛藤など、甘すぎることこの上ない。

『ヒトラー~最期の12日間~』に比べ小粒で地味だが、誰もが強く自身に引き付けて見ることのできる映画である。そこには人間が描かれている。チャールトン・ヘストンの、いささかフランケン・シュタインがかった身ごなしの、余分な動きを廃した円熟の演技も見物だ。キャストの問題で無理だったが、願わくば監督の望みどおり、ドイツ語の映画であってほしかった気がする。

主演のヘルマンを演じるのはトーマス・クレッチマン。中ほどのサムネイル画像は、『戦場のピアニスト』で最も印象的かつエロチックな、陥落後のベルリンの廃墟の中で迫害から逃げ延びたユダヤ系ポーランド人ピアニスト(エイドリアン・ブロディ)の演奏に耳を傾けるナチスの将校(トーマス・クレッチマン)、という場面である。クレッチマンはまた、『ヒトラー~最期の12日間~』にも出演している。

ちなみに『ヒトラー~最期の12日間~』でゲッペルスを演じたウルリッヒ・マテスは、ドイツ映画祭で上映された『9日目』で、ナチスの若き将校(『青い棘』のアウグスト・ディール(!))と対話するルクセンブルグの聖職者を演じた人。まったく違う2つの役柄を見ると、この人もまた素晴らしい俳優であることがよくわかる。

さて、『マイ・ファーザー』の再会の場面で、ヘルマンがメンゲレの古い知己から託されたいくつかの手土産を渡す。その1つが、ホメロスの『イーリアス』。そうだ、そうなんだよなあと……。人種的な偏見を根幹としたナチスの思想に、ギリシャの神々はイメージとして「はまる」わけで、アレクサンドロスなんかも当然、その系譜に連なって偶像とされるんだよなあ、などと映画のほんの一瞬にためいきをついたりした。

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