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2005.06.26

ヨーロッパは難しい

以前、映画『アレキサンダー』のガウガメラの戦闘の前の演説で、大王はマケドニアの王なのにどうして、戦う目的を「(自由と)ギリシャのために」(for the freedom and the glory of Greece)と言っているのか、と書いた。それはペルシャへの遠征以前の、ギリシャとペルシャの関係や、ペルシャ遠征の大儀名分を踏まえてのことではないかと想像し、それなりに納得しつつあった。

しかし、"History of Macedonia.org "という民族独立色の濃いマケドニア人による英語サイト中に、オリバー・ストーン版『アレキサンダー』の「ギリシャ」と「マケドニア」の扱いについて強烈に異をとなえているページを発見し、かなり面白く読んだ。こちらのサイト、1ページをまるまる映画のために割いている(!)。冒頭から、取り上げられているのはやはり、ガウガメラの戦い前の演説の「ギリシャのために」のところ。そして「マケドニア軍は、マケドニアのために戦ったのであって、ギリシャのために戦ったのではない」と繰り返す。

古代史の解釈など、歴史家の数だけあるはずだし、たとえ地元マケドニア人であろうとも、後の世に生きる者には真実(なんていうものがあるとすれば、それ)を知るよしもない。マケドニアとギリシャが別のものなのは事実だが、アレクサンドロス軍が何のために戦ったか、その答えは、2300年前の当時であってすら、ただ1つの単純なものではないかもしれない。まして今さら、「正解」を得るすべがあろうか。

当該サイトでは、「オリバー・ストーンの『アレキサンダー』はミスしてるよ、映画じや、ギリシャもマケドニアもごちゃごちゃじゃん」と言っているのだが、やはりこれは、映画の台詞を表面的にとらえて怒っている感じはする。

ギリシャとマケドニアの関係を考えずに、アレキサンダーの生涯など語れるはずはない。映画の脚本は、思い入れの深い監督自身によって、10数年かけて練られたものだ。映画中で使われる「ギリシャ」という言葉の裏にも、それなりの歴史考証があるはずで、何の予備知識もない自分にもわかるほど単純な間違いがそうそうあるとは思えない。

だが映画は不親切で、1度や2度見たのでは「間違っているよ」と思えてしまうような唐突さで、何の事前説明もなく、鍵となる言葉やアイコンが表れる。

ご存知のとおり、マケドニア問題というのは東欧の民族紛争の巨大な火種の1つで、いまだに国名ですらギリシャとの間でガタガタしている。実は自分は恥ずかしいことに、今の今まで、このあたりの問題の中身を良く知らなかった。"History of Macedonia.org "に見られるマケドニアのギリシャへの敵愾心は、フィクション(映画)や過去の物事(歴史)に対するものではなく、今の現実に対するものなのだ。

alexander_poster vergina macedonia

ということで、上の画像は、左端が映画のポスターの図柄の1つ。ポスターにある大きな旗は、マケドニアのシンボルの太陽(「ヴェルギナの星」)である。真ん中は、大王の父フィリッポスⅡ世の墓からの出土品で、上部に、映画ポスターの旗に描かれている太陽(「ヴェルギナの星」)が刻印されている。右端は現在の国旗で、やはりこの太陽を元にデザインされたもの。

古代マケドニア王国の象徴である太陽を取り入れた新しいマケドニア共和国(マケドニア旧ユーゴスラビア共和国)の国旗は、古代マケドニア王国の後継を自認するギリシャからクレームをつけられた。現マケドニアのスラブ系の人々と古代マケドニア王国の人々は民族的には違うというが、いずれにしても、マケドニアとギリシャは今まさに対立関係にある。"History of Macedonia.org "というマケドニアのサイトの映画への異議は、そのような政治的、民族闘争的立場からの申し立てであるわけで、台詞の「言葉尻」すら、ことマケドニアとギリシャに関しては厳密に追及したい、というのはよく理解できる。

それでも、アレクサンドロス大王がマケドニアの誇りであることには変わりはなく、「映画間違ってるよ」ページ以外のところに、マケドニアの旗バージョンの映画のポスターが誇らしげにしっかり載せてくれてある(笑)。

やっぱりオリバー・ストーン監督の作風というのは、誤解されやすいのだなあと思う。パレスチナなどと同様、長い間デリケートな状況が続く地域の歴史を描くというのに、考え抜いてあってもその説明がされていないから、つまらないところで本家本元にの一見さんにダメ出しされちゃって、「社会派」形無しである。登場人物たちは、民族によって英語の訛りにまで変化がつけられているというのに……。ギリシャでは、さんざん同性愛描写が取り沙汰された上に最終的に「取るに足らないつまらない映画」として片付けられ(←ひどいよ)、マケドニアでは、ギリシャとマケドニアの区別もつかない「間違った映画」だと思われ(←これは映画の方にも落ち度がある)、甚だかわいそうな作品である。

それにしても、東欧の問題は難しい。(調べてもなかなか頭に入らない←単なるバカだ)

そういえば、随分と気に入ったドイツ映画祭のドイツ映画も、それぞれの映画の中に、旧東独側の出身か西独側の出身かがキャラクターや人生に影響を与えていることが表現されているとか、近隣諸国からの外国人の存在がドイツ人の個々の生活の中にまで様々なかたちで「流入」してきていることが描かれているとか、そういったことが、後からパンフレットの解説などを読んで初めてわかった。むろん社会背景を理解できていなくても、ドラマ自体、十分に見応えのある作品が多く、頭が空っぽな自分でも楽しめたのであるが……。ヨーロッパ圏外の人間には、映画の中で台詞として出てこない限り、登場人物がロシアから来ている人か、ポーランド人か、ユダヤ人か、旧東独の人かはわかりにくい。よしんばどこの国の人かがわかったとしても、その国の政情や民族についてを知らないと、エピソードや台詞の意味がわからない場合もある。ましてや歴史物など、きちんと理解するには、前知識として必要なものがもっと多いはずだ。

いや本当に、いくつもの国(民族)が地続きでひしめくヨーロッパってのは難しい。

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