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2005.05.04

やればできるじゃん

美しい映画のエントリにこんな酷いタイトルをつけるのはどうかと思うが、映画が終わった後の感動と並行して、むくむくと頭に浮かんできたのが「キム・ギドク、作れば作れるんじゃん、"普通"の映画も」という思いだったのでつけてみた。

実際には、インタビューなどを見てみると、監督自身が「春夏秋冬そして春」あたりからは世の中に対する見方が変わってきたと言っているので、作品個別のバリエーションというよりは、全体の流れの中の変化の面が大きいのだろう。

実は自分、キム・ギドクの映画の作品としての完成度は素晴らしいと思うが、キム・ギドク個人(といったって会って話したわけではないので、単なる思い込みなのは重々承知である)は好きではない。2003年の東京フィルメックスで『春夏秋冬そして春』がオープニング上映されたときにあったティーチ・インで彼の話を聞いて、(まあ作品を見れば話を聞かなくてもわかるのだが)そのセックスへの過剰なこだわりに(「やっぱり」という思うとともに)嫌気がさした。

そんなわけで、父親役で主演のイ・オルさんゆえに前売り券を買っておいたものの、それ以外の部分では「いつものキム・ギドク作品」以上の期待は抱いていなかったのだが、おそらく私が見たキム・ギドク映画の中で最も後味が良く、個人的な理由で最も深く共感し、最も好きだと感じたのが『サマリア』である。

もうあちこちでレビューが書かれているので(&あらすじをまとめるのが下手な阿呆なので)何も書く必要はないと思うが、ストーリーは単純で、海外旅行のためのチケット代を貯めるべく援助交際をする女子高生とその親友との友情の話であり、娘と関係した男たちに復讐する父の話である。

タイトルにもした通り、いつものキム・ギドク作品に見られるような過剰さはあまりない。印象に残ったキム・ギドク「らしい」映像といえば、黄葉の落ち葉が父の車のフロントガラスに降り積もる場面と、後半の黄色い石での運転練習の俯瞰場面ぐらいだし、復讐する父が相手の男の家族の食卓にまで入っていく場面あたりは「らしい」といえば「らしい」が、過剰な感情の放出に面食らうなどということは一切なくて、「そうするしか自分でもどうしようもないだろう」と大いに納得した場面だ。少女たちの友情と愛情のないまぜになった交流も痛いほどよくわかるし、娘の行動を知ってしまった父のやり場のない怒りと悲しみには、その胸のふさがる思いに同調するあまり、「最後の男」の死(暴力シーンではなく、命を奪ったこと自体)に「達成感」を感じて胸のつかえがおりてしまったほどで、その後の、父親であり刑事である彼の行動も全てすっきりと腑に落ちた。

ということで『おばあちゃんの家』同様、全く個人的な理由と地味さによって非常に気に入った『サマリア』だが、それでも、この作品にもやはり自分の嫌いなキム・ギドクの視点を感じる。それは(セックスを踏まえた上で)女性の母性・聖性を賛美する部分だ。というか、それは部分ではなくキム・ギドク映画の核だったりするわけで、『サマリア』に限らずどの作品も、どんな近代的な解釈をほどこそうが、最終的には「昼は聖母、夜は娼婦(男性にとっての女性の理想像と言われるもの)」、「女は母で男は子ども」、「性=原罪。人間の業」というあたりに着地している感覚をおぼえ気持ちが悪いのだ。

たたき上げの肉体派芸術家、本当の芸術家であるキム・ギドクの作品は、(養老孟司先生には叱られるかもしれないけれど)オタクにはきつい。カルチャーからカルチャーを生み、メディアの海に生き、頭で快楽を夢想し、二次元(あるいはイメージ)に恋する人間にとって、モノホンの性と生はきつい。実体験を持ってしても、頭の中の世界を超えることがないのがオタクの業だし。

イ・オルの演じる父の姿は真に迫っている。その愛も真に迫っており、文句なしだ。だが、映画館を出たあとで、若い女性たちがはすっぱな言葉で語っていた「父親の怒りは実は自分が絶対に犯せないタブーを犯した男たちに対する怒りで、本当は娘に対して(無意識に)自分が制裁した男たちと同様の思いを抱いていたのだろう」という意味の作品評が、実は的を射ていたりするのではないかと、単に感じるだけだけど、感じる。

でもやっぱり『おばあちゃんの家』同様、単なる個人的思い入れのみでDVDを買ってしまいそうな自分だ。

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コメント

フェイユイさん、「地球を守れ!」は国内盤が出るようなので、ぜひぜひ、日本語字幕で見てくださいね。このあいだアメリカの映画雑誌を立ち読みしていたら、「地球を守れ!」の広告ページがあって(あれはDVD発売CMだったのか上映CMだったのか?)、びっくりしました。

そうなんですよ!「地球を守れ!」石公さんのエントリでもう絶対私好み!と思ってすぐイエスアジアに飛んでったんですが、一時タイトルが出てたのに消えてるんですよー。もうしょうがないので、どっか探すか、待つしかありません。しくしく。絶対見たいんですけど!ソン・ガンホが出てたりしたらもう大変でしたけど。

おお、キム・ギドクにめっぽう強いフェイユイさんにコメントつけていただいて、お恥ずかしい! ありがとうございます。

「女性になっている」という見方は新鮮ですねえ。面白いです。たぶん、女性の描き方がストレートというかナマなんでしょうね。変なメガネを通していないというか……。女性単体ではリアルでとても良いのに、お話の中の男性との関係性において気持ち悪いものになっちゃう、というのが私のキム・ギドク作品全体への感想というところでしょうか。

で、「おばあちゃんの家」も「サマリア」も、映画としてということではなく、私にとって個人的に思い入れのある作品なだけで、もしそれがなければ、特に「おばあちゃんの家」あたりは、自分にとっては、特にとりたてて好きな分野ではないんです。

それよりもフェイユイさん、ぜひ「地球を守れ!」をご覧になってください。既にご覧になってましたっけ? 私は来週映画館で「受取人不明」を見てきます~(フィルメックスで見逃してますので)。

あ、リンクについては、もちろんWeblogですので何の断りも何もいりません。そういう前提でやってます。全然OKです。逆に私も相手がWeblogであれば、何の断りもなくリンクします(笑)。

いつもの事ながら、なるほどと感心するばかりで読みました。
私は「空き家」を予備知識なしで見たせいか、キム・ギドク監督をずーっとすごく女性的な人で女になって映画を作ってると思ってたのですよ。それで、この映画でもキム・ギドクさんはお父さんじゃなくて女子高生になってると思ってました。他の映画でも何だか、主人公の女性になってる気がして、いつも見てたんですよね。でも監督さん自身を知ってしまえばそうは思えないのかもしれませんね。私は今のところどうしてもあの人は女になってるとしか考えられないのですが、これはやはりおかしな思い込みなんでしょうね。きっと「悪い男」から見てたらそうは思ってなかったと思うんですが。
とにかく「サマリア」でキム・ギドク監督が石公さんに見直されてほんとによかったですw
「おばあちゃんの家」見なきゃなあ。
TBさせていただきました。お気に入りリンクもさせていただきました。事後報告ですみません。

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「サマリア」は援助交際によってお金を稼いで旅行に行きたいと思ってる女子高校生の話。といってしまえば、またまた拒否反応を示されるに違いない。大体、それでキム・ギドク監督は評価がいつも分かれてしまうような設定ばかり描いてるのだ。 が、ここでギドク監督が描いた..... [続きを読む]

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