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2005.04.30

デモーニッシュ【dämonisch】

アジア映画ファンならおなじみの"YesAsia"で『アレキサンダー』香港版DVDの発売情報を見て以来ずっと悩みつづけてきたが、ついに迷いを吹っ切りもとい血迷い、29日の明け方に発注をかけてしまった(うーん、やはり明け方がいかんのだな。明け方まで起きているのが。明け方こそが通販の"逢魔が時"なのだな)。

さて、読み流し状態ではあるものの、今までに買いためた大王関係の本を、合間に別の本をはさみつつ徐々に読んでいる(別の本を間に入れないと、いくら中毒患者とはいえさすがに、同じ登場人物、同じ人生では、いかに書き方が違っても飽きる&混乱するから)。そんな中で、何となく思うことがある。

(オリバー・ストーンの)映画で、クレイトス殺害後に衝撃と悔恨のあまり自室(テント)にこもってしまうアレクサンドロスが描かれていた。インドにおいては、士気の下がりきったマケドニア軍の面前で、ただもう"Go East"しか頭にない王の空回りの演説に向けて次々と飛ばされるヤジに激昂した王が、兵の中へ飛び込み乱闘する場面があった。戦象部隊を相手取った戦さの後に初めて姿を現した手負いの王を、兵たちが大喝采で迎える場面もあった。

ないのは、怒りのあまり自室に引きこもった王に、兵たちが許しを請う場面か。……って何のことかと言うと、映画では"天岩戸"はクレイトス事件後の一度しか出てこないが、どうやらアレクサンドロスは、マケドニア軍兵士との間で、何度かそういうことをやらかしているらしいのだ。いや刺殺の方ではなくて、「ショックや怒りで部屋に入ったきり出てこない」という方を……。

インドの地で、遠征の目的を失い、ひたすら帰りたいマケドニア軍兵士を前にした演説が徒労に終わったあと、(映画では、インドの場面は史実の幾つかのエピソードを混ぜ合わせているため、すぐに反対派の粛清と最後の戦闘シーンに移るが、史書などでは)王は3日間引きこもったという。そして総合的な状況から王が折れる形となり、長い遠征からの帰還が始まる。その後にも、ペルシャをはじめ東方の異民族に比べて自分たちは軽んじられていると感じてきたマケドニア兵とアレクサンドロスとの間で(映画のインドでの乱闘シーンのような)衝突が起こり、やはり王は3日間引きこもっている(いつも「3日」なのは、「白髪三千丈」みたいなレトリックなのか)。このときは、マケドニア兵たちの方が王の宿舎前に参じて許しと憐れみを請い、出てきた王と互いに涙を流し合って元のサヤに納まったという。

映画の中で、2つの異なる馬上の行進の場面に各々かぶって入る、きっと誰もが覚えているであろう印象的なナレーションがある。まず前半の見せ場であるガウガメラの戦いの後の、バビロン入城の際の「アレキサンダーは全ての人々から愛された」というのが1つ。そして、後半の見せ場であるインドのポロス王の象たちとの戦いの前の、「アレキサンダーはもはや誰からも愛されていなかった」というのがもう1つ。この2つは、東征の評価という意味でも、アレクサンドロスの人生を語る上でも、前半と後半の明暗をくっきりと際立たせていて面白い。

彼を愛し、愛さなくなった「すべての人」とは、映画の中ではアレクサンドロスを取り巻く同胞も異民族もすべてひっくるめた"ALL"を指すだろう。だが、焦点を「すべての人」からマケドニア軍に絞ってみると、ガウガメラの勝利前後を頂点に王への信頼が徐々にゆらぎ、政策とも嗜好とも言える王の東方への傾倒が深まるにつれ、それをマケドニアへの背信だとする空気が濃くなっていくさまは、まるで恋人たちの蜜月から別離までの愛憎の年月を見ているように思えてくる。

いや、マケドニア軍と王との間には「別離」など訪れない。王が死の床にあるまで、兵たちの多くが王を愛し続けた。映画でも、インドの乱闘騒ぎの後それでも行軍を続ける重苦しい映像を見たときには、「何だかんだ言って、あれだけ騒いでおいて、結局ついて行くんじゃん、おまいら」とでもいいたくなるような、"口あんぐり"な気持ちを抑えがたかったし。王とマケドニア兵たちは、駆け引きを繰り返す恋の手だれのごとく押してみたり引いてみたり、「一生やってろ」と言いたくなるような、1対Nの腐れ縁カップルであり続けるのだ。

映画のガウガメラの戦いの前に、王がマケドニア軍を前に、何人かの個々の兵の名を呼び、それぞれの生い立ちや過去の実績にふさわしい言葉をかけて彼らを鼓舞する場面は、実際にアレクサンドロスが行ったことだという。王はマケドニア軍のほとんどの兵士の名前を知っていたとすら書いてある本もある(映画中、檄を飛ばすシーンだけではなく、ガウガメラの戦いの直後の、グラウコスの死の場面などからも、王と兵との1対1の距離の近さがうかがえる。「俺の」呼ばわりするのはヘファイスティオンだけじゃない。「名前は?」と尋ねられ、「グラウコス」という名のあとに"My King"ってつけてたもんね。"Your Majesty"じゃなく。あ、でも彼はイリュリア人か(まあ、いいか←よくない))。「王たるものは、部下に命じたことは、自分でもできなければならない」という教育(→映画の少年時代の場面)を受けた彼は、文字どおり全軍の先頭をきって戦い、皆と同様に手傷を負いながら、部下との間に強固な信頼関係を築いた。(などと、偉そうに断言してみるが、2300年も前の何が真実かは誰にもわからない。ここに書いていることは、研究者や作家の解釈のごくごく付け焼刃な鵜呑み&受け売りに過ぎない、無論)

映画の中では、上層部を集めての軍議の場面がしばしば見られ、当初は王と側近たちがほとんど対等の言葉で意見を戦わすのが新鮮だった。それはもちろん、ギリシャの民主主義をベースとしたものなのだろうが、側近たちにだけにとどまらず、マケドニア軍は心理的には全員が王とマブダチ状態(広義のヘタイロイ)である。マケドニア軍こそが、父王フィリッポスがアレクサンドロスに残した最大の遺産だと、どこかに書かれてあったっけ(←どこだよ)。そういう近しい心情の上に、軍事的天才といわれるアレクサンドロスのカリスマが加わったら、まあ、ああいうこと(="インクレディブル!"な長期遠征)にもなるか。

森谷公俊氏の『アレクサンドロス大王-「世界征服者」の虚像と実像』(講談社選書メチエ)中にも引用された、大牟田章氏のアレクサンドロス評、これは凄い。大牟田章氏は、概説としてアレクサンドロスに対する評価の変遷を示す中で、第二次世界大戦後には征服者としてのアレクサンドロスをヒトラーと重ねる解釈も生まれたことを記すときに、アレクサンドロスの内的な力を「デモーニッシュ」(ドイツ語=「悪魔的な」)という言葉で形容し、その後の文章に「魔的」という言葉で引き継いでいる(以下の引用参照)。

――(前略)――味方も、敵でさえも、出会ったものすべてのものを、その引力圏に引き込み、近づくあらゆるものに、自分と同質の磁性を与えずにはおかない。これはたしかに、抵抗し難い一種の「魔力」というべきものだった。「人間的魅力」などという生ぬるい表現では、とうてい尽くせない、それはある種の無気味さをすらたたえた「魔力」であった。
 私が、アレクサンドロス東征についてのいろいろな史料を、幾度読みかえしてみても、ついに私の理解を超えるのは、このアレクサンドロスの、「魔的な」としかいいようのない、力というか、性格であり、またかれの、その「魔法の采配」のもとに幾万の兵士たちが、「ただ黙々と」艱難苦闘の10年間をつき従ったという、その事実なのだ――(後略)――大牟田章著『アレクサンドロス大王 「世界」をめざした巨大な情念』の「はしがき」より引用

ということで、アレクサンドロスの東征とは、ある意味、マケドニア軍との愛の日々であったのか~と思う今日この頃の自分である。しかし何で、こんな戦争好きのキナくさい人の本ばっかり読んでいるのだろう。まさにデモーニッシュだ(←んな一言で片付けていいのか)。 
 
※内容に間違いがありましたら、ご指摘いただけると有難いです。

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