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2005.02.19

かわをわたる

花粉症の季節。世の中に氾濫する「アレ」ルギーの文字にも反応。めったに読まないノベライズも読んだ(ほとんど全く映画どおりで、書籍として読む価値は皆無だが、ヘファイスティオンとの3つのラブシーン(なのか?)での彼の気持ちの表記あり(1行程度)。ガウガメラの戦法もよくわかる。興味のある向きには「さらう」程度の価値はあるかもしれぬ)。大王まわりの書籍&映画関係の雑誌も購入。こんな状態で、3~5月の韓国映画ロードに頭がシフトできるのか、はなはだ不安ではある。まあ、さらにインパクトある映画に出会えば元にもどるだろう。おそらく世の腐れたみなさんの大半も、心は大王のみもとにあるのではあるまいかと思う。で、公開前、話題を呼んでいた「カットされたラブシーン」なんてものがあったとしたら、それはバゴアスとの場面ではないかと想像しているが、いかに。そう、あの「おいで、おいで」してる後のね。

今年に入って2本の「かわを渡る」映画を見た。1本は、若き日のチェ・ゲバラがアマゾンを泳いで渡る『モーターサイクル・ダイアリーズ』。もう1本は、在日朝鮮人の美少女に恋した若者(康介)が鴨川を泳ぐ『パッチギ!』。その「かわ」は自分のいる世界と異世界とを隔てるもので、エルネスト(ゲバラ)にとっての異世界は、対岸にあるハンセン氏病患者の療養所に暮らす人々が象徴するあらゆる虐げられた人々の社会だったし、康介にとっての異世界は、美少女の暮らす在日朝鮮人社会だった。あるきっかけにより向こう側に激しく心をひき寄せられた2人が、自分と向こう岸を隔てる「かわ」に飛び込む、エルネストは無謀に(アマゾン河を横断しようとは!)、康介も無謀に(すぐそばに橋があるのに!)。東洋と南米という全く異なる場所ながら、舞台となった時代の差は15~20年程度だ。

だが、向こうに行こうとする強い意志を核にした2本の青春映画は、全く異なる作品世界を形作った。『モーターサイクル・ダイアリーズ』は、楽しいロードムービー的場面と南米の現実を焼き付けるドキュメンタリー風の映像を織り交ぜ、旅がもたらした文学青年エルネストの成長、伝説の人チェ・ゲバラへと歩み出すきっかけとなった彼自身の内面の変化をさわやかに描く。一方『パッチギ!』は、60年代後半の風俗の中で康介の恋物語を中心に「笑いと涙」で引っ張りながら実は、日本人と朝鮮(民族)の人々との間にあったこと、今でもあることを教え(思い出させ)、韓流にうかれるイマの日本人に「足元固めなよ、本気でつきあうなら」と、そっと肩ごしにささやいたエンタテイメントだ。

『アレキサンダー』で描かれた理想に燃える若き王アレキサンダーもそうだが、アマゾン河を泳いで渡るエルネストにも、違いを乗り越えていこうとする強烈な意志がある。もう意志だけで、"ありえねー"ことを実行していく。そして、力で、知恵で、心で、周囲を納得させる。目の前にはだかる山が高ければ高いほど燃える、と言わんばかりの決然たる生き方だ。

ところがそんな乗り越えがたい現実に直面すると、ここ日本では「悲しくてやりきれない」になる。康介は恋をきっかけに、彼女の世界を知ろうと在日朝鮮人の人々の中に飛び込んでがんばるのだが、葬儀というとても民族的でパーソナルな儀式の場でついに日本と朝鮮半島の過去、在日朝鮮人の現実を突きつけられ、おずおずと後ろ足のまま斎場を出る。無力感にさいなまれさまよう場面で流れるのは、この映画の最も大切なモチーフである「イムジン河」を歌ったザ・フォーク・クルセダーズの、「悲しくてやりきれない」だ。音楽と心がぴったりと合った美しい場面ではあるが……。

当然ながら、自分も「悲しくてやりきれない」派である。「世の中にはどうにもならないことがある」という諦念は、東洋、いや日本だから、なのか。人が、人をも自然をも征服していく狩猟の民と、自然に合わせ自然を恐れ自分を無化していく農耕民族、というありふれた図式で対比してしまえば終わってしまう話なのかもしれないが、その本質は「悲しくてやりきれない」と歌う『パッチギ!』が小品ながらパワー炸裂の仕上がりなのに対し、チェ・ゲバラという強烈な個性を主人公にすえた『モーターサイクル・ダイアリーズ』が(ガエル・ガルシア・ベルナル出演作には珍しい)淡く美しい印象を残す作品となっているのが面白い。

さらに『パッチギ!』では、日本に住む日本国籍ではない人々が、例えば就職先1つとっても限られたものであること、棺が入らないほど間口の狭い家に住む人もいること、生業と生活する場を求めて転々としなければならないことなどが、メインストーリーの中でさらっと、しかしきちんと描かれているのが良い。

全くの余談だが、『パッチギ』上映館では、ガエル・ガルシア・ベルナルの次なる出演作『バッド・エデュケーション』の予告がかかっていた。この作品での彼は「レスリーみたいだ」と誰かが言っていていたが、ブロンドのウィッグをつけ大画面で艶麗に微笑む姿は、確かに虞姫を演じる程蝶衣か女装の何寶榮のようだとも言えるかもしれない。

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