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2005.02.28

Out of Control

ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で、『人魚姫』がグランプリだそうだ。昨年のグランプリ作品『木浦は港だ』も、1年以上過ぎて、ようやく韓流シネマ・フェスティバルで4月に見ることができる。『人魚姫』は大好きなチョン・ドヨンと、あのパク・ヘイルの共演作。いつか見られる日が来るのが楽しみだ。

さて今日は、ニセ妹とキム・ギヨン監督の映画を見にいこうと以前から決めていたにもかかわらず、不心得にも前売りも買わずにのこのこ出かけていったら、ちょうど合う時間帯の上映は既に満員で、当日券なし。「ユリイカ」の韓国映画特集を読んで以来ずっと見たかった監督の作品だけにショックではあるが、実は2003年にも見るチャンスがあったのを見逃している。伝説の鬼才監督のことだ。きっとまた作品が上映されることがあるだろう、と自分に言い聞かせ、『ダブリン上等!』2回目に走る(→やっぱり)。

土曜深夜に、同じくニセ妹と『アレキサンダー』を見、合間には自宅で先週届いた《a Home at the End of the World》DVDを見たため、はからずも今週はコリン・ファレル祭りとなる。この《a Home at the End of the World》、映画としては今1つ盛り上がりと緊張感に欠ける感があるが、子ども時代から青年期までの年月の登場人物たちの心理を静かに追った小作りな映画で、インディーズ特有のひなびてしみじみとした味わいはある。ローティーンのころから親友以上のつながりの中で育った少年たちが、一度は離れ、成人してから再び、今度はもう1人女性をまじえて3人で生きはじめるという、家庭と家族の新しいあり方を探った話だ。原作本(『この世の果ての家』)を持ってはいたが未読のままだったため、今やっと追いかけるように読み始めたところで、英語字幕の映画がどの程度理解できているのか全く自信はないが、ここでコリン・ファレルが見せる主人公ボビーの、少年の表情を残す非常にセンシティブな演技には瞠目する。ゴシップなどから推察されるファレル本人の人となりを想像すると、このボビー役は、そのキャラクターのあまりの違いに大爆笑したいぐらいなものだが、決して笑いなど出ようもない文句なしのリアリティで、ホビーの存在を観客に信じさせる。ファレルは、この作品を気に入っていないというような記事しか見当たらないのが残念だが、彼の役者としての才能を見せ付けられる役柄だ。実はこのボビー、全ったく違うのだけれど、なぜか呉敏少年を思い出させるところがあるのだ。呉敏みたいな"乙女"じゃないんだけれどね。監督はマイケル・メイヤー(長編作品としては初監督……だったっけ?)。映画の脚本を、ゴージャスなことに原作者のマイケル・カニンガムが書いている。今年日本でも公開予定。

大王中毒状態のまま、主人公の成長とともに時代を映すロック音楽の懐かしさと、うつむき加減(!)のボビーに引きずられると、そりゃあどうしようもなくせつないのだが、その内向性ハイテンションを中和してくれるのが、『ダブリン上等!』のレイフだった。すっきり、である。二日酔いの日の漢方系胃腸薬のように。いやあ、上等、上等。それにつけてもアジアの遠さよ。

2005.02.26

鬼が怒るだろう

今さらながら、2003年もそんなことをまとめたので、2004年に見た映画の中からも、いろいろな意味で印象に残ったものをあげてみる。いや、大王がらみのエントリが続いているのが恥ずかしいので、ちょっと茶を濁してみたくなったのだ(←お茶を濁すの使い方、まちがってます?)。

~2004年に見た映画から~

【時々無性に見たくなる】
 ある日、突然 (2002年アルゼンチン)

【一生ついて行きます】
 ユー・シュート、アイ・シュート (2001年香港)
      ……パン・ホーチョン(彭浩翔)監督
東京国際映画祭

【この人が何者なのか気になる】
 Pipio(短編作品)……カン・マンジン監督 
    ショートショート・フィルムフェスティバル・ アジア

【爽快な離婚話2つ】
 胡蝶 (2004年香港) 東京国際映画祭  
 上海家族(2002年中国) 

【逆にこちらは結婚話】
 旅人とマジシャン (2003年ブータン) 福岡アジア映画祭
 
【参った日本映画、新旧2本。2004年ベストかも】
 下妻物語(2004年日本)
 飢餓海峡(1964年日本) 東京フィルメックス

【2つとも強烈。だが、2つとも再び見るには勇気がいる】 
 鉄西区 (2003年中国) 上映会
 ビーイング・ノーマル(2003年韓国)
     韓国インディペンデント映画2004

【気になるオヤジたち(映画本体も好きだが)】
 ラクダ(たち) (2002年韓国)……イ・デヨン 
    韓国インディペンデント映画2004
 フェリシアの旅 (1999年英=カナダ)……ボズ・ホスキンス 
    アトム・エゴヤン映画祭2004
 TUBE(チューブ)(2003年韓国)……ソン・ビョンホ     
    東京国際ファンタスティック映画祭

【気になるオヤジ(番外編)】
 エリック・コット(葛民輝)
  ……胡蝶でもユー・シュート、アイ・シユートでも地下鐵でも、そこにいた

(書き忘れにつき追加)
【前半の脱力感と後半の緊張感との落差の快感が忘れられない】
 トロピカル・マラディ (2004年タイ=仏=伊=独) 東京フィルメックス

極東で大王に会える場所

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貼ったのは、「アレクサンドロス・モザイク」と呼ばれる横5.12メートル、縦2.71メートルのアレクサンドロス(左端)とダレイオス三世(右端)との戦闘図のモザイクで、多くの人が一度ぐらいは何かの本で見た記憶のあるものだと思う。ベスビオス火山の噴火(西暦79年)により埋もれてしまったポンペイから出土したそうで(『ポンペイ最後の日』という映画をテレビで見た記憶がある。以降、中学生という若いみそらで"ポンペイ"ファンだった(←灰で埋没した"街"なのに!))、発掘後、今はナポリの考古学博物館に保管されている。

映画『アレキサンダー』のガウガメラの戦いのシーンなどは、このモザイクの雰囲気をよく写していると思う。アレクサンドロスの若さと緊張感。敵味方入り乱れ砂ぼこりにまみれた戦場。ペルシャ王の姿なんてそっくりだ。森田公俊著の『アレクサンドロス大王』(講談社選書メチエ)という本の中で、このモザイクに関する丁寧な記述があり、加えて本のあとがきの中には、何とこの「アレクサンドロス・モザイク」の実物大の復元が見られる場所が日本国内にあると紹介されていた。

それが徳島県鳴門市にある大塚国際美術館。世界の名画1000点以上を写真撮影し陶板に焼き付けた実物大の"陶板名画"を展示している美術館で、その技法の複製作品は2000年は劣化しないのだそうだ。古代からルネサンス、印象派まで、有名どころの作品の陶板画を並べた三次元画集のような施設だが、何だか、鳴門のうずしおが呼んでる?

2005.02.23

いろいろとショックな

韓国女優イ・ウンジュが亡くなったのはショックだ。しかも彼女はまだ25歳の若さだそうだ。日本ではもうすぐ『バンジージャンプする』が公開されるというのに。

『シュリ』のヒットにより起こった韓国映画ブーム(今のジャパニーズ"韓流"とは比較にならない規模だが)の時点で、まだあまり韓国映画を見ていなかった自分が、やっと初めて見たのは『アタック・ザ・ガス・ステーション!』だ。これは女性も出てくるが、男性ばかりが印象に残る威勢のいい青春映画。そして2本目に東京国際ファンタスティック映画祭で見た韓国映画『バンジージャンプする』で、初めて覚えた韓国女優の顔と名がテヒ役のイ・ウンジュだった。

上手い下手ではなく、情感あふれるキュートな印象で好感を持った。彼女の魅力があってこそ、その後の荒唐無稽な展開(といったらファンに怒られるかな?)に信憑性が出たのだろうし、イ・ビョンホン演じるインウ(イヌ)の想いが納得できたのだと思う。『バンジージャンプする』は、笑えるせつない恋愛映画で大好きな作品だ。

2004年に入り、ホン・サンス監督の旧作『オー、スジョン!』を見るチャンスがあり、さらにシャープで大胆な彼女の美しさに驚く。そして『ブラザーフッド』。バンジーやスジョンでの可愛い子ちゃんとは全く違う、質素な戦時中の女性になりきっていて目を見張った。(余談だが『ブラザーフッド』の見どころは、戦闘シーンでも"brotherhood"でもなく、イ・ウンジュの変身ぶりと、チャン・ドンゴン後半のヒゲクマ姿だと信じている自分である)。

……残念でならない。ぐずぐずした子どもっぽいインウを引っ張ってちゃっちゃとホテルに進み入るテヒ、ちょっとインウよりお姉さんな感じが、良かったなあ。

さてもう1つ、小さなショックは検索ワードだ。当方のトータルのアクセス数は微々たるものだが、最近検索でいらっしゃる方々のキーなんてものを久々に見てみたら、その1位は何と………ははは……参ったな……「ヘ●ァイスティオン」だった。台湾の若手(范●偉と藍●龍)を抑えて堂々の1位である(笑)。このまま書くと、このくだらぬ記事がまた検索でヒットしちゃうから伏字にしてみました。 歴史に興味のある人なら別だろうが、興味のない人は、自分もそうだがプトレマイオスやカッサンドロスの名は聞いたことはあっても、彼の名には馴染みがない。でも、もうこれで一生忘れえぬ名になったやね。やれやれ(←to自分)。

2005.02.21

引き続きアジアを離れ

もう、何かに取り憑かれたかのように『ダブリン上等!』に行く。『アモーレス・ペロス』でコリン・ファレルだと言われたら、今の自分を引き止められるものは何もない。

コリン・ファレル演じるチンピラのレイフは、まさに『アモーレス・ペロス』の危ないスキンヘッドのオクタビオの兄ちゃん・ラルフのようなイメージで冒頭から登場。コーヒーショップのレジのお姉ちゃんを口説いていると思いきや、相手が女性だということも全くおかまいなく顔面に強烈なパンチをくらわせ、レジの金を奪って逃走する。そのスピード感、強盗というシュチエーション、続いてカーチェイス、そして様々な人々が登場してくる群像劇というあたり、確かに『アモーレス・ペロス』か……。などと思いつつ見始めたが、この映画の魅力は『アモーレス……』でもコリンでもなく、全く別のところにあった。

最初はサスペンスか、破壊的な生き方をする若者たちの話かと思っているから、口をひん曲げて画面を見据えているのだが、出てくる人物すべてがあまりに普通で、あまりにヘンで肩すかしを食らううちに、徐々に徐々に口元がゆるみ、笑いがこみ上げてくる。いや~普通の人ってヘンなんだよね(俺もか)。(アイルランド映画だが)イギリス映画風の諧謔に満ちた人物描写。お茶にソースを入れ、神妙に「ウマイ」といいながら飲む男たちがいる。若い女性との不倫のために家庭を捨てて出ていこうとした中年男に、泣いて追いすがった妻が実はサディスティックな性癖をもっていたり、こっぴどく恋人に振られて以来、男性不信、人間不信で髪はぼさぼさ服にもかまわず、口ひげまで生やしたままの女の子もいる。長い間彼女をつくれないままついに性的不能状態に陥り、焦ったあげくに女性なら誰でもと熟年ばかりが集まるクラブにナンパにでかける若者とか、米国かぶれの著しいスーパーの中間管理職のオヤジとか、一匹狼を気取り勝手な正義感と妄想にとりつかれている暴力的な中年刑事とか……。コリン・ファレルのレイフは、街のチンピラで凶悪な風貌だが「そろそろお部屋も持ちたいし、家庭を築いて、中華なべとかジューサーとか、キッチンに置いたりして~♪」などと夢見て強盗に励む。パブの車椅子のじいさんや、投石少年も映画を盛り上げる(?)。

一応、犯罪がメインのストーリーなのだが、普通の人々のヘンでかっこ悪い出来事を、音楽も含め映画として凄くかっこ良い見せ方で見せていると思う。みんな、相当命ギリギリなことをしていたりするが、最終的には死なないし、後味はほのぼのとしたものだ。脇役のオヤジ陣&ヒゲ姉ちゃん&暴力主婦にかなり魅せられる。この絶妙な加減の面白さ、どこかで味わったなあと思うが、思い出せず、残念。

夜、『モーターサイクル・ダイアリーズ』の撮影風景をドキュメントした『トラベリング・ウィズ・ゲバラ』を見る。これは『モーターサイクル・ダイアリーズ』に匹敵する素晴らしい作品だと思う。80歳になったアルベルト・グラナード本人(非常に魅力的なじいさん)が撮影に同行。監督よりも先に、テイクにOKを出すなんていう微笑ましい場面もある。チェ・ゲバラにまつわるラテンの歌が全編に流れ、ラストはゲバラの演説の声。ぜひ本編と一緒にDVD化してほしい。

2005.02.19

かわをわたる

花粉症の季節。世の中に氾濫する「アレ」ルギーの文字にも反応。めったに読まないノベライズも読んだ(ほとんど全く映画どおりで、書籍として読む価値は皆無だが、ヘファイスティオンとの3つのラブシーン(なのか?)での彼の気持ちの表記あり(1行程度)。ガウガメラの戦法もよくわかる。興味のある向きには「さらう」程度の価値はあるかもしれぬ)。大王まわりの書籍&映画関係の雑誌も購入。こんな状態で、3~5月の韓国映画ロードに頭がシフトできるのか、はなはだ不安ではある。まあ、さらにインパクトある映画に出会えば元にもどるだろう。おそらく世の腐れたみなさんの大半も、心は大王のみもとにあるのではあるまいかと思う。で、公開前、話題を呼んでいた「カットされたラブシーン」なんてものがあったとしたら、それはバゴアスとの場面ではないかと想像しているが、いかに。そう、あの「おいで、おいで」してる後のね。

今年に入って2本の「かわを渡る」映画を見た。1本は、若き日のチェ・ゲバラがアマゾンを泳いで渡る『モーターサイクル・ダイアリーズ』。もう1本は、在日朝鮮人の美少女に恋した若者(康介)が鴨川を泳ぐ『パッチギ!』。その「かわ」は自分のいる世界と異世界とを隔てるもので、エルネスト(ゲバラ)にとっての異世界は、対岸にあるハンセン氏病患者の療養所に暮らす人々が象徴するあらゆる虐げられた人々の社会だったし、康介にとっての異世界は、美少女の暮らす在日朝鮮人社会だった。あるきっかけにより向こう側に激しく心をひき寄せられた2人が、自分と向こう岸を隔てる「かわ」に飛び込む、エルネストは無謀に(アマゾン河を横断しようとは!)、康介も無謀に(すぐそばに橋があるのに!)。東洋と南米という全く異なる場所ながら、舞台となった時代の差は15~20年程度だ。

だが、向こうに行こうとする強い意志を核にした2本の青春映画は、全く異なる作品世界を形作った。『モーターサイクル・ダイアリーズ』は、楽しいロードムービー的場面と南米の現実を焼き付けるドキュメンタリー風の映像を織り交ぜ、旅がもたらした文学青年エルネストの成長、伝説の人チェ・ゲバラへと歩み出すきっかけとなった彼自身の内面の変化をさわやかに描く。一方『パッチギ!』は、60年代後半の風俗の中で康介の恋物語を中心に「笑いと涙」で引っ張りながら実は、日本人と朝鮮(民族)の人々との間にあったこと、今でもあることを教え(思い出させ)、韓流にうかれるイマの日本人に「足元固めなよ、本気でつきあうなら」と、そっと肩ごしにささやいたエンタテイメントだ。

『アレキサンダー』で描かれた理想に燃える若き王アレキサンダーもそうだが、アマゾン河を泳いで渡るエルネストにも、違いを乗り越えていこうとする強烈な意志がある。もう意志だけで、"ありえねー"ことを実行していく。そして、力で、知恵で、心で、周囲を納得させる。目の前にはだかる山が高ければ高いほど燃える、と言わんばかりの決然たる生き方だ。

ところがそんな乗り越えがたい現実に直面すると、ここ日本では「悲しくてやりきれない」になる。康介は恋をきっかけに、彼女の世界を知ろうと在日朝鮮人の人々の中に飛び込んでがんばるのだが、葬儀というとても民族的でパーソナルな儀式の場でついに日本と朝鮮半島の過去、在日朝鮮人の現実を突きつけられ、おずおずと後ろ足のまま斎場を出る。無力感にさいなまれさまよう場面で流れるのは、この映画の最も大切なモチーフである「イムジン河」を歌ったザ・フォーク・クルセダーズの、「悲しくてやりきれない」だ。音楽と心がぴったりと合った美しい場面ではあるが……。

当然ながら、自分も「悲しくてやりきれない」派である。「世の中にはどうにもならないことがある」という諦念は、東洋、いや日本だから、なのか。人が、人をも自然をも征服していく狩猟の民と、自然に合わせ自然を恐れ自分を無化していく農耕民族、というありふれた図式で対比してしまえば終わってしまう話なのかもしれないが、その本質は「悲しくてやりきれない」と歌う『パッチギ!』が小品ながらパワー炸裂の仕上がりなのに対し、チェ・ゲバラという強烈な個性を主人公にすえた『モーターサイクル・ダイアリーズ』が(ガエル・ガルシア・ベルナル出演作には珍しい)淡く美しい印象を残す作品となっているのが面白い。

さらに『パッチギ!』では、日本に住む日本国籍ではない人々が、例えば就職先1つとっても限られたものであること、棺が入らないほど間口の狭い家に住む人もいること、生業と生活する場を求めて転々としなければならないことなどが、メインストーリーの中でさらっと、しかしきちんと描かれているのが良い。

全くの余談だが、『パッチギ』上映館では、ガエル・ガルシア・ベルナルの次なる出演作『バッド・エデュケーション』の予告がかかっていた。この作品での彼は「レスリーみたいだ」と誰かが言っていていたが、ブロンドのウィッグをつけ大画面で艶麗に微笑む姿は、確かに虞姫を演じる程蝶衣か女装の何寶榮のようだとも言えるかもしれない。

2005.02.13

見てやって、アレキサンダー

昨晩、地元のオールナイト上映で『アレキサンダー』を見る。苦手な史劇&めったに興味をそそられぬハリウッド大作だが、もちろん腐れ婆としてはとりあえず押さえておかなきゃいかん映画でしょと、バカな理由で映画館へ。

米本国での興業不振&ラジー賞への多部門のノミネート&あちこちから漏れ聞こえる悪評、の割には、それなりにちゃんとした映画だったと思う、"腐れレンズ"外しても。

大体、アレキサンダー自身も、彼の生きた時代も、今もって謎だらけなんだろう。それなら、謎のままでいいじゃないか、『殺人の追憶』みたいに(←質、違いすぎ?)。どうして遠征したのか、どうして死んだのか、どうして偉大だったのか、解明などされなくたって……。

見た人の声に不満が多いのは、歴史物というと、NHK大河ドラマのように、史実の因果関係がわかりやすく説明されていることを期待しがちだったりするからじゃないのか。あるいは、登場人物の愛憎の人間関係がクローズアップされていて"歴史上の人物も自分と同じような"人間"だったんだなあ"などと感情移入しやすかったり、あるいは、話は小難しいけれども何だか芸術的な感じで荘厳で有難く感じられたり、そんな先入観があるからじゃないのか。別にそんな期待をせずに見れば、『アレキサンダー』、楽しめると思うのだが。もちろん、息もつかせぬハリウッドアクション大作としてではなく、ほんの少し時空と人間に対する想像をめぐらせながら見る史劇としてだけれど。

そういう意味で、もしかしたら、アンジェリーナ・ジョリーやコリン・ファレルをキャスティングしたのは、彼らの現代的で強烈な個性ゆえに、この映画の見られ方という面でマイナスだった気もする。アンジェリーナ・ジョリーは好きだし、劇中でもがんばっていた。コリン・ファレルも、生き生きとしていて魅力的だったと思う。でも、もうちょっと"薄め"の俳優を使った方が、観客は期待しなかったんじゃないのか、わかりやすさとか、圧倒的な物語性とかそんなものを。もやもやと、遥か遠い歴史の物語を、そのままに見ようとしたんじゃないのか?(アンソニー・ホプキンスが出てくると、出来上がった過去の物語として、安心して見ていられるあたりの心理……)。

監督が『アレキサンダー』で描きたかったのは、「若い情熱の美しさ」なんだそうだ。ポスターの馬に跨るアレキサンダーの脚がまぶしくみえたのは、さほど方向違いじゃなかったわけだ(笑)。コリン・ファレルという人は、それだけでも活きのいいキャラクターだそうだが、スチール写真で見るよりもずっと"歴史上の偉大な人物"らしかった。いや、時折、あの目がジョージ・ブッシュに見えて(←ごめん、コリン。あんな馬鹿と一緒にして)、そうなると戦闘シーンが今のイラクに見えてきたりもしたが(あ、実際イラク近辺か)。

京都や奈良の古寺を見ると、仏や伽藍の抜けきった水墨画のような色調に、流れ去った時を感じ精神的なものさえ託してしまうが、よく言われることだが、創建当時の寺は建物も仏像も金ぴかツヤツヤだ。建物はディズニーランドのごとく、仏像は金日成像のごとく、明け透けで身も蓋もない。

(真実はどうか知らないが)日常はセックスと酒の"アレキサンダー"と噂される若い突っ張ったニイちゃん、コリン・ファレルを得て、何年も10何年もあたためてきた監督の夢のアレキサンダーを描くとなれば、そりゃ、新築金ぴかの東大寺になるだろう。芸術映画風にしてしまえば、謎が解けずとも、ストーリーにぐいぐい引っ張られずとも、見る人はそれなりに納得したかもしれないのに……。自分が描きたかったものを、誠実に描いたんだなと、他に作りようもあっただろうに、太陽を背負った馬上のアレキサンダーの明るさと眩しさとはかなさとを正直に映像化したんだろうなと、納得はできる。

違和感を覚えたのは、言葉だ。アレキサンダーの母に方言を含ませてみたとか、マケドニア人をイギリス・アクセントにしたとか、言葉に対する細かな工夫があったようだが、あの衣装、あの風景で、"英語は違うよな"と、単なる感触だが、そう思った。アメリカ映画だから、もちろんそんなことを言っても仕方ないのだが。

腐れ的には、アレキサンダーがヘファイスティオンを見つめる目だけで十分だろう。母とのシーンはつらいし、外では1人突っ走るアレキサンダーに置いていかれがちな観客がほっこりできる場面は、ヘファイスティオンとの場面だけだしね。描写不足との指摘もあるが、ここはほれ、『アレキサンダー』における"阿青&趙英エピソード"みたいなものだから……。

そうそう、そのコリン・ファレル、全裸シーンがカットされて激怒したという2004年米公開済みのインディーズ映画"A home at the end of the world"という作品がある。原作は角川文庫にもなっている『この世の果ての家』(『めぐり合う時間たち』の作者でもあるマイケル・カニンガム著)。自分、オールナイト明けで、またしても血迷ってAmazon.comでDVDを発注。いや、シシー・スペイセクも出ているんで期待したが、あとから評判を読むと、原作ほどの出来ではないらしい。うーん、バカだ。

もう1つ、コリン出演作でもうすぐ公開になる『ダブリン上等!』の方は、大丈夫だろうか? 作品評で『アモーレス・ペロス』が引き合いに出されている以上、見にいかねばならぬが(笑)。

2005.02.06

母老虎飛飛飛

poster_tigerwomenポスターの画像は、もうすぐ始まるベルリン国際映画祭のパノラマ部門で上映される台湾・ドイツ合作のドキュメンタリー《母老虎飛飛飛》(英題:Tigerwomen Grow Wings)という作品のもの。

監督のMonica Treutはドイツ生まれのクリエイターで、2004年の台湾金馬奨では審査員も務めている。調べると、レズビアンSM映画だの小説だのと、かなりきわどそうなものも出てくる出てくる状態の「あんたはジュリアン・リー(李志超)か」とつっこみたくなる興味深い芸術家だが(もう少々アカデミックなようで)、世界的な視野で、各界で活躍する女性たちを取り上げたドキュメンタリー映画を創り出しているとのこと。

彼女が最新作で取り上げたのが、台湾の3人の女性。1人は女優の謝月霞(京劇を学び、台湾の古典演劇界では指導的立場にある有名な女優。(ということだが)自分は『最愛の夏』や『飛躍、海へ』に出演していたということぐらいしかわからない。2002年に公視ドラマ《違章天堂》で金鐘奨の主演女優賞をとっている)。もう1人は、過去、当方でもかする程度に紹介したラジカルなフェミニズム系作家の李昂(最新作『自伝の小説』のほか、日本でも『迷いの園』、『夫殺し』が出版されている)。そして残る1人が、我らが《十七歳的天空》の監督である陳映蓉(ポスター中央、茶系のサングラスで微笑んでいるのが言わずと知れた陳映蓉監督)。

ドキュメンタリー作品は、2004年の総統選挙を背景に、現在の台湾社会のそれぞれの分野で目覚しい活躍をする60代、50代、20代の女性を描いたものだという。このあいだのバンコク(国際映画祭)でも上映された。

2005.02.02

ジョニデ?

冷徹な捜査官のチャ・スンウォンさん@新作『血の涙』。この下まつげの濃厚な美しさは『パイレーツ・オブ・カリビアン』っすか?

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