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2004.11.29

沈没中に

張孝全くんは兵役()、金鐘奨の授賞式も終わり(軍隊にいる馬志翔も彼女(それぞれ別作品でノミネート)と共に参加)、金馬影展が始まり、東京フィルメックスが終わった。

フィルメックスは『トロピカル・マラディ』が最優秀監督賞。フィルメックスは10本半見た(には見た)が、22日の見解は変らず、『飢餓海峡』と『トロピカル・マラディ』で満足だ。『世界でいちばん悲しい音楽』のビール入りガラス脚のイメージは、ずっと忘れられないだろう。カナダ人の筋金入りのヘンさに感嘆する。見るつもりだったジョニー・トー(柔道龍虎榜)と『人生劇場 飛車角と吉良常』は、仕事で間に合わず(涙)。

『飢餓海峡』を見てかつての日本映画の物凄さを知り(←むち無知)、今、最も関心があるのはフィルムセンターの「特集・逝ける映画人を偲んで 2002-2003」だったりする。今年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映された日本映画『百合祭』はシネマアートン下北沢で上映。


2004.11.22

照る日曇る日

20日(土)より第5回東京フィルメックスが始まる。

土曜はUPLINK Xで『三人三色』を見てから、フィルメックスのオープニング『カナリア』を見たのち、『風を吹かせよう』を見るつもりだった。いや実際、見はしたのだ、一応。だが、どれもまともに頭から終わりまで見届けられずに終わった。バカだ……。ダメだ……。そんな日もある。

『三人三色』は韓国のポン・ジュノと、香港?のユー・リクウァイ(余力為)と、日本の石井聰亙の3人がそれぞれに撮った短編デジタル作品のオムニバスで、中でもポン・ジュノの作品だけはきちんと見たいと思っていたのだが、5分以上遅刻した上に、最初の上映がポン・ジュノ監督のものだということで、冒頭を見損ねてしまいがっかりしたまま3編を見終えた。内容はまさに三人三色の満足を与えてくれる。客が他に3組ぐらいしかいなかったのがもったいない映画だ。ポン・ジュノ監督の『インフルエンザ』については、監督自身のメッセージが公式サイトにも載せられているのでそのとおりなのだろうが、その前に「監視カメラの視点」だけで物語を描き出すというアイディアが本当に面白いと思う。監督の言うテーマにたどり着く以前に、「安心のファシズム-支配されたがる人びと」(斎藤貴男著)の監視カメラの話が思い起こされ、恐ろしくなる。ユー・リクウァイ監督の『夜迷宮』は『オール・トゥモローズ・パーティーズ』外伝とでも言うような作品。しかも『オール・トゥモローズ・パーティーズ』よりずっと楽しかったりする(短いからか?(笑))。

自分の遅刻のためにがっかりしつつ、フィルメックスの『カナリア』に向かう途中で、ふと、『カナリア』を全部見ていると、その後にチケットを取ってしまった『風を吹かせよう』の開映に間に合わないことに気付く。どちらを取るか迷うが、『カナリア』は公開されるだろうからそのときに全部見てもよし、取り合えず途中まで見て抜け出し『風を吹かせよう』に行くことに決める。『カナリア』は、オウム真理教事件を題材に、教団施設にいた信者の子供たちのその後を描いたものだ。日本人なら記憶に新しいし、「オウムの子供たち」と聞いただけで、彼らの背負う大きく重いものが理解でき、そりゃ引き込まれて見ていたが、中盤あたりまで、近くに座っていた外国の人たちは退屈そうにしていたようだった。肝心の後半に会場を抜けたので、あの映画がどうなったのか全くわからないのであとは何も言えない。

そして、これだけはきちんと頭から終わりまで見ようと決意していたパルト・セン・グプタ監督の『風を吹かせよう』(インド・フランス)。リアルに撮影されたエンタテイメントでないインド映画で、浮ついたところのないしっかりした作品で俳優も魅力的なのに、日頃の夜更かしがたたってかラスト直前に眠りに落ちてしまい、はっと気付いたところやってきたラストの印象的な涙と、主人公がそこにいる意味がわからず。

3本見たはずなのに、どれも、きちんと見たと言えるような有様ではない。

ただ1つ良かったことは、フィルメックスのレイト上映に昨年まで使用されてきたシネ・ラセット(←それなりに愛着のある映画館ではあったが)と違い、今年使用されているシネカノン有楽町が、ヴァージンシネマズ六本木ヒルズに匹敵する心地良い椅子と、見やすい館内設計&小ささを感じさせないスクリーンで、とても気持ち良く映画が見られる館であるということだ。

前日に引きかえ21日(日)は素晴らしかった。まずは、京橋のフィルムセンターで日本映画『飢餓海峡』を見る。1965年制作の3時間に及ぶ作品だか、名作・傑作の名のとおり、まったく飽きることなく最後まで持っていかれた。この見応えは、『殺人の追憶』に良く似ている(本当は逆だね)。運命の二重性、繰り返されるモチーフなどを考えると、この間見た『オールド・ボーイ』や『復讐者に憐れみを』を浮かべもする。重く、暗く、リアルに社会を描き、しかし見るものを引きつけて放さないエンタテイメント性をも合わせ持ち、この上なく魅力的な人間を演じる俳優がいる。今やそれが見られるのは、ほとんど韓国映画だったりするのだが。犬飼多吉(三國連太郎)、杉戸八重(左幸子)、弓坂刑事(伴淳三郎)というキャラクターの名前は、きっと忘れないと思う。

その後、シネカノンで『トロピカル・マラディ』を見る。わけのわからない映画だという評判も聞こえ、かな~り心配だったのだが、心配に反して大変満足に見終えた。もし寝不足で見ていたら、後半のジャングルのシーンの暗さに眠気を誘われたかもしれないが。物凄い緊張感と、物凄い色気と、物凄い湿度を持った映画だった。冒頭に引用されている『山月記』中の一節の筆者として表記される中島敦の名は「Ton Nakajima」。これは、海外では一般的な呼称なのか? あるいは日本でも文壇ではそう呼ばれていたりするのか? 後半、猛獣(虎)になってしまう若者の名がTongなので気になっただけだが。前半KengとTongが乗るトラックは三菱(ふそう?)だったのも気になった(←バカ)。やはり、『山月記』はキーかもしれない。全く偶然、この映画を見るのとほぼ同タイミングで読んだ2つの海外短編『密林の野獣』(ヘンリー・ジェイムズ)と『ゲイブリエル・アーネスト』(サキ)が、(どこをひっくりかえしてもそのような描写はないのだが)ホモセクシュアルという主題の隠された(と言われる)文字どおり「密林の獣」をモチーフとした小説で、何だか不思議だった。この映画、もう1回見たいぞ。

2004.11.17

来週から……

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いよいよ消防ドラマ(公式サイト!)も放映。で、空軍に入隊だそうで→記事

2004.11.16

あまりに秀逸な

タイトル。「巨星落つ、か・・・          (負け犬の)」←そして爆笑物の記事。腐○○なんて言葉のフの字もなかった10数年前から、このウワサは冗談のように存在したのである。それが、今に至るまで連綿と続いていたんだねえ。

昔話ついでにもう1つ。今月発売される2枚の懐かしい初恋物の定番映画DVD。片や『小さな恋のメロディ』は大メジャーだが、懐かしくて仕方ないのがもうひとつの『ジェレミー』。ちょっと前にみうらじゅんも話題にしていたようだが、これだけは彼の推奨がなくとも、ほとんどリアルタイムで好きだった(笑)。初恋物だが"初体験アリ"の、『小さな恋のメロディ』より少しだけ背伸びした内容で、瓶底メガネをかけたロビー・ベンソン(ジェレミー)も、ロングヘアーのグリニス・オコナーも本当に可愛かった。驚いたことに、映画はカンヌで何だかしらないが賞をとっていたらしい。当時、サウンドトラック盤のシングルレコードを買って、主題歌(「悲しみのジェレミー(The Hourglass Song)」)の歌詞を一生懸命暗記したものである。20数年経った今でも、酔っ払って夜道を歩くと、「メロディ・フェア」やら「悲しみのジェレミー」やら無意識に口ずさんでいるときもあるもんね……(恥)。

2004.11.15

ポケットでもインクでもなく

やっと、『モンスター』を見た。

今年の米アカデミー賞でシャーリーズ・セロンが最優秀主演女優賞をとったこと、ヒロインは実在の女性連続殺人犯で死刑判決を受け12年服役し、2002年に処刑されたこと(映画は処刑の2カ月前にクランクイン)、その役柄は、道端で客を取る娼婦であり、その生活環境ゆえに体型はくずれ肌はボロボロ、まともに教育を受けられる境遇になかったことと、食うか食われるかオンリーの厳しい現実の中で生き延びてきたことにより粗野な言動が身についてしまっているというもので、それを美女の誉れ高いシャーリーズが、体重を13キロ増やしシミだらけの皮膚のメイクと差し歯で演じ切ったということで話題を呼んだ映画だ。

『モンスター』はパティ・ジェンキンス監督の長編第一作で、インディーズ制作である。46歳で死刑囚として世を去ったアイリーン・ウォーノスという女性の生涯のうちの、主として30歳からの5年間をリアルに映像化している。それは、ローティーンの頃から娼婦としてしか生きる術のなかったアイリーンが、疲れ果てて自殺を考えていたときに出会ったレズビアンのセルビー(クリスティーナ・リッチ)と心を通わせ、愛し合い、いさかい、別れ行く5年間であり、たまたま拾ってしまった客の異常な性癖により殺されかけ、その客を銃で撃ち殺したことがきっかけで、「仕事」への恐怖感と、逃亡生活資金のために殺人を重ね、逮捕されるまでの5年間でもある。映画では、その後の裁判や最期の日の場面もあるが、メインとなっているのは、この5年間だ。

映画には想像通りの力でぶちのめされるが、アイリーンを描くためにこの5年間を切り取ったのはさすがだと思う。それは「なぜ、愛を知ってしまったんだろう」という日本でのキャッチコピーにも表れている。悲惨過ぎる境遇におかれた人生とはいえ、「非情に殺人を重ね、服役中も強気な発言を続けた」モンスター=(イコール)理解不能で不気味な存在としてのアイリーンが、セルビー(当時の実際のパートナーは別名)との交流が描かれることによって感情移入可能な存在となるからだ。パンフレットには、主演女優でありプロデューサーの1人でもあるシャーリーズ・セロン本人の言葉として「『モンスター』は、ひとりの女性が人生と愛を求める物語、心の底から愛されることを求める物語。その観点からすれば、この映画は単なる連続殺人犯を描いた映画ではなく、美しい恋愛映画でもある」とある。確かに、そういう要素がなかったら、彼女の人生は見るだけでも辛すぎる。

でも、アイリーンはひとりだ。東京国際映画祭で見た極貧の娼婦の登場するフィリピン映画『防波堤の女』のように、優しく守ってくれる男など現れやしない。仲間もいない。たったひとりで、ハイウェイ沿いに立ち、客となる車をヒッチハイクする。この仕事には精神力が要るのだと、モノローグが入る。そこで起こること全てを、自分で解決しなければならないから、と。セルビーと出会い、娼婦を辞めようと就職活動をしたときの、学歴もキャリアもない彼女への世間の手酷い扱いへの抵抗と、なけなしの誇りをひしひしと感じるリアルな言葉だ。

たるんだ下腹。落ちた尻。シミと傷だらけの顔と身体。痛んだ髪……。いや、醜くなんかなかった。「をんなが付属品をだんだん棄てると どうしてこんなにきれいになるのか」。「見えも外聞もてんで歯のたたない 中身ばかりの清冽な生きものが 生きて動いてさつさつと意欲する」とはまさにアイリーンのことではないか。パンフレットに載っている「本当」のシャーリーズ・セロンの光輝く美貌が、ペッカペカのお面に見えるぐらい、アイリーンは魅力的だった。それだけ、シャーリーズの演技に魂がこもっていたのだろう。

そして、自分が最も引っかかったのは、パンフレットにある字幕翻訳の方の一文だ。

シャーリーズが不美人になる努力は素晴らしいけれど、ハリウッドには"演技のうまい不美人女優"はいくらでもいるはずだ。そういう地味な女優が"素の顔"で演じていたら、果たしてアカデミー賞を獲得できただろうか…?◇「こんなブスメイクで、どこがシャーリーズなの?」というほどの変貌ぶりでも、観客は"醜い女を演じる美しいシャーリーズ"を見に映画館へ行くのだろう。美しいシャーリーズは、美しくない女優がつかめたかもしれないチャンスを奪ってしまったとは思わないのだろうか??◇撮影が終わったら当然のように元の美しい彼女に戻ってしまったシャーリーズに、そんなことを言うのはヒガミかな?(映画『モンスター』パンフレット「Behind the Subtitles」松浦美奈 より)

シャーリーズ・セロン自身は、不幸な生い立ちもあり(もちろん女優のキャリアの上で重要な仕事ということもあり)、この映画に積極的に参加したという。だから彼女がどう、ということではない。映画のパワーやシャーリーズのがんばり同様、あるいはそれ以上に、インディーズとはいえ制作側が巧みだったということだろうか。

このあと、イ・ジョンジェのセクシーお天気お兄さん(←ウソウソ)が見られる『オーバー・ザ・レインボー』を見に行った。本当なら逆の順で見るべきだが仕方なく……。さわやかに見終えることができたのは、ひとえに女優さん(チャン・ジニョン)のキャラのおかげか?

2004.11.09

武士伝もとい

当初『武士伝-BLADE-(仮題)』で公開情報の出ていたあの映画、「韓国映画とハングル」によれば、『清風明月』という原題と同じ邦題で2005年3月に公開だそうだ(リンクは配給会社のサイト)。おめでとう。どんなにダメ作品だとしても、きっと見にいくからね。でも、このタイトルにかわって良かった良かった。

で、本日は、チェ・ミンシク表紙の「漫画アクション」を購入。「CREA」(映画特集)買うよりは、余程ババに似合っているだろう。ガエル(・ガルシア・ベルナル)君の1ページはしっかり立ち読みしたけれどね。「漫画アクション」には、ミドを演じたカン・ヘジョンとチェ・ミンシクのカラーグラビアのインタビューが各1ページずつに、原作者と監督の対談が3ページ、作画の方のインタビューが1ページに、原作漫画も50ページだけ掲載されている(さらなる詳細はオフィシャル・ブックを買え、とさ)。その原作、帰宅途中に初めて読んだ。緻密さよりはむしろ荒削りな感じを受けたが、さすがに引き込まれた。

2004.11.08

"O-B"を笑え

『オールド・ボーイ』を見たら、パク・チャヌク監督の復讐3部作"その1"である『復讐者に憐れみを』(シン・ハギュン、ソン・ガンホ、ペ・ドゥナという豪華キャスト)がまた見たくなり、VCDで見た。2年前の東京国際映画祭で見た後に、欲しくなって買った香港版のVCDだ。

その『復讐者に憐れみを』という、どうしょうもなく暗く痛いばかりの物語を見て思い出したことがある。それは、パク・チャヌク監督の映画のどこが好きかということだ。『オールド・ボーイ』の激烈さに圧倒されて、自分の意識の中で抜け落ちていたことだが、彼の映画は人間の行動する様が可笑しいのだ。自分はそこが好きだ。もちろん全編にわたって面白いコメディとは訳が違う。『復讐者に憐れみを』は公開予定ということだが、グロい系の映画マニア方面を煽る宣伝をする以外には、『オールド・ボーイ』ですら残酷だの何だのと賛否両論あるようでは、さらに救いのすの字もないこの映画など、どう考えてもお客の入る見込みなどなさそうだ。悲惨で血まみれな上に、『オールド・ボーイ』の手に汗握る展開と違い、淡々としたリズムで展開するこの映画が、しかしそれでも好きなのは、苦境に立たされて必死で動きまわる人間から立ち上るペーソスと、笑えるかどうかぎりぎりの状況で提示されるユーモラスな演出、そんなものを見ることができるからだろう。シニカルでクールでありながら、それこそ「憐れみ」、どこか慈愛を秘めた憐れみの視線を感じるし。

そう思ったら、もう一度『オールド・ボーイ』が見たくなった。結構笑っていたつもりだったけれど、もっと笑ってよかったのだ、あの映画も。監督はいたるところに小ネタを仕掛けているはずだ。『JSA』だって、ストーリー自体は重く悲しいものだが、笑いどころはたくさんあったじゃないか。

……そんなヘリクツを忘れさせるくらい、チェ・ミンシクがすごかったということなんだけれども。

『オールド・ボーイ』中で誰もが賞賛する、多対1の廊下でのアクションシーン撮影を終えた後、ソン・ガンホが陣中見舞いに来たそうだが、そういえばチェ・ミンシクにあってソン・ガンホにないものは、ゴージャスさだろうな(笑)。あんな小汚い格好でも、濃厚にゴージャスなんだから。いや、ソン・ガンホも好きだけど。

『復讐者に憐れみを』には、キ・ジュボンさんもイ・デヨンさんも出ている上に、ラストシーンに登場する4人の男のうちの1人は、『オールド・ボーイ』で屋上でオ・デスにネクタイをつかまれていた自殺男(オ・グァンノク)だった。映画祭で見た当時は、全く彼らを認識していなかったが、今見るとびっくりの連続だ。さらに今になって見てすら気付かなかったが、リュ・スンボムくんも驚くべき役どころで出ている(&映画監督の兄も)。

2004.11.07

いわんや悪人をや

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画像は5日の記事の張孝全くん。元記事をご覧いただくとわかるように、左に歌手(游鴻明)がいた。トリミングしちまって申し訳ない。

あ、『17歳的天空(Formula17)』、やっと正規の配給関係の情報が出たようだ。そのうち日本版公式サイトもできるかな?

5日(金)の晩は、新宿東急『オールド・ボーイ』本編と、来日した主演俳優たちを見る。上映前に登場したチェ・ミンシクの漂わす何ともしれぬ雰囲気に魅了され、ふと気付くと前のめりになって舞台に見入る自分に驚いたが、その後の本編の物凄さに、生チェ・ミンシク&生ユ・ジテの興奮など全て吹き飛んでしまった。感動は、楽しさや嬉しさや悲しさや苦しさや怒りといった、明確に表現できるものだけではない。何だかわからないけれども心を揺さぶられ、決して心地良いものではないけれども惹きつけられる、というタイプのものが存在する。そして、それはどうしてだろうと、例え結論にたどりつかなくとも考え続ける。

そりゃチェ・ミンシクはオ・デスを演じても、オ・デス以上の(良い意味での)怪物的な俳優である。『オールド・ボーイ』という映画を見ている時間の自分にとっては……。だが、記憶の中に染み付いたのは、物語の中の登場人物だ。きっとこの先、映画作品として振り返るとき以外は、いろいろな局面で思い出すのは、オ・デスやイ・ウジン(ユ・ジテの役)の人生や感情だろう。特に、イ・ウジンの……。この映画については、またきっと、もっと沢山のたわ言をほざきたくなると思うので、それはそのときに。

2004.11.04

何をすれば勝てるのだろう

いや、ブッシュ大統領再選が決まったようだが、こんなによその国の選挙が気になったのは初めてだった。オハイオ州の暫定票はどうなったのだろう? 今回は正しく開票できたのだろうか? どうしてもブッシュとゴアの票読みをめぐるゴタゴタ(というか、ブッシュ勝利の票カウントは間違いだったということ)を描いた『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』のスパイク・リーの作品を思い出してしまう。マイケル・ムーアがいても、強固な保守の岩盤よりもパワーのあるムーブメントは作れなかったのだ。日本の現在は、固かった保守層が揺らいでいる時期で、これを逃すともう二度と有権者の手による政権交代なんでできないんじゃないかと、アメリカを見ていて思う。現・与党と大して変らぬ野党に政権を移してどうするよ、という考えもあろうが、交代するということに意味を見出すしかないじゃないか。生活の安定した保守層が本当に固い守りに入る前に、一度でも政権交代を、と思うのだ。

さて、やっと『映画を見ればわかること』(川本三郎著、キネマ旬報社刊)を買う。キネ旬連載時からとても好きなエッセイだった。静かで飾らないが、美しい文章。今回の単行本では、古書店(葛飾区)の入り口のガラス戸に『友へ チング』のポスターを貼らせてもらって撮影したという表紙の写真もいい感じだ。

終了した東京国際映画祭は、あちこちのサイトが"まとめ"に入ってくれていて、だんだん読み応えのあるコンテンツがアップされつつある。そして、今日は11月20日から始まる東京フィルメックス(映画祭)のチケット発売日だった。香港映画と韓国映画だけは売り切れるだろうと踏んで、発売時間を過ぎてはいたが、今回は真面目に店に買いに行ったら何とか購入できた。フィルメックスは、朝日ホールとシネカノン有楽町で11本と、京橋で2本見るつもりだ。見たものが、自分の中で結実しているとは全く言えないので、何本見たとしても、無駄といえば無駄なのだが……。

『映画を見ればわかること』を読んでいると、映画を見たり、本を読んだりする中で(擬似)体験したことも、記憶の中に蓄積され年月を経るうちに、実体験同様のものとなりうるということがわかる。それらすべてが自分を作り、人生を作る……はず、そのはずなんだけどねぇ。

幻の映画版

台湾のファンの間でも幻と言われてきた、電影版ニエズ(《[薛/子]子》 1986年・虞勘平監督 孫越、邵晰主演)が、12月11日に台湾(公共電視)で放映されるんだそうだ。放映ついでに、VCDかDVD出してくれないだろうか。

金鐘奨に引き続き、金馬奨のノミネートも発表。ニエズがらみでは、金鐘奨では馬志翔が公視ドラマ《赴宴》で戯劇類最佳男配角(テレビドラマの最優秀助演男優賞部門)にノミネート。金馬奨では楊祐寧が《十七歳的天空》で最佳新演員(最優秀新人(俳優)賞部門)にノミネート。しかし金馬の新人部門は、祐祐のほかに、『胡蝶』の田原(大陸の女優さん……というか歌手)に、《艶光四射歌舞團》主演の彼( Chen Yu-ming(陳[火日/立]明))、《擁抱大白熊》のヒロイン洪[景頁][王宣]。昨年はニエズそのものが金鐘奨の対象だったが、今年は少し寂しいね。

2004.11.02

終わりました

まずは、TIFFのみ終了。しかし、最優秀アジア映画賞をとった『可能なる変化たち』、ほとんど報道されていないのは、賞自体に知名度がないからか? それとも映画が知られていないせい? 特に韓国系メディア(日本語版しか読めないが)は、どうして『大統領の理髪師』の最優秀監督賞と観客賞の受賞のことしか書かないのだろう。

31日(日曜日)は、イメージフォーラムで『スイート・ヒア・アフター』を見たあと、最後の『花咲く春が来れば』(シアター・コクーン)に。シネコン(ヴァージンシネマズ 六本木ヒルズ)のドリンク・ホルダー&キャラメルポップコーンの香りとはお別れで、やや淋しい。国際映画祭にコーラとポップコーンというのはいかがなものか、という意見もあったようだが、エンタテイメントだと監督自身が言っているのに社会派作品だと思い込んで、ティーチインでそんな質問ばかりするような(って、去年だったが)、そういうシリアスなだけの「鑑賞態度」こそ、どうかと思う(国際映画祭標準がどうなのかは知らないが)。微動だにせず、飲みもせず、食いもせず、まるで神託でも受けるかのようなしゃちほこばった姿勢で映画を見て、何か楽しいんだろうか。本当に何かが感じられるんだろうか。まあ、ビール飲みすぎで居眠りしている自分が何をか言わんや、だが。……そんなわけで、日ごろも、入替制・飲食禁止のミニシアターが苦手な自分である。ミニシアターの上映作品そのものはとても有難いんだけれどね。

『花咲く春が来れば』は、チェ・ミンシクを堪能する1本だ。うだつのあがらないトランペッターの中年男が、長年つきあってきた恋人が別の男と結婚するのを機に都会を離れ、貧しい炭鉱の町の中学の吹奏楽部の先生となる。子どもたちと吹奏楽コンクールの優勝を目指しながら、町の人々と触れ合う中で鬱屈を解いていくという話。「癒される映画」などと言われるとがっかりするが(監督自身もそう言うのだから仕方ない)、他に気に入る部分があれば良しとするか(笑)。ティーチインで言っていた方がいたが、やはり雨の炭鉱で吹奏楽部の子どもたちが演奏する「威風堂々」が(突っ込みもあろうが)感動的だ。出演者や内容的に『先生、キム・ボンドゥ』と印象がかぶる部分があるものの、チェ・ミンシク演じる吹奏楽部の講師と子どもたちとの交流シーンは楽しいし、薬局のスヨンお姉さんはとても素敵だ(あんな薬局がウチのそばにもあったらいいのに、と思う)。主人公が酒場で演奏のバイトをするときのゴールドのスパンコールの派手派手なジャケット姿には会場から歓声と拍手が起こったが、確かに似合っていた。チェ・ミンシクの濃~い個性あってこその、あの着こなしだ(笑)。

素直にそのまんま楽しめ、内容も想像どおりだが、はたして自分が、主人公の気持ちに心を沿わせることができたか、主人公の行動、主人公の決断を理解できたかは自信がない。何度も見る必要があるってことか? 何度も見たら、何かもっと奥深いものが感じられるんだろうか。

で、世の中では新札が発行された。樋口一葉はお札になりたかっただろうか。ま、いいけど。でも一葉の肖像画って、小僧寿しのお辞儀してる人と似てないか?

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