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2004.10.31

明日でおしまい

TIFF。といいつつ、もう来週3日は東京フィルメックスのチケット発売だ。

金曜は、午前に『時の流れの中で』を見たあと仕事に行き、夜、ル・シネマで見るはずだった『狂放』に間に合わず。非常に残念。実はこのル・シネマの『狂放』の上映には、出演者が『夢遊ハワイ』とかぶるということで、祐祐こと楊祐寧も会場に見に来ていたそう。趣味のカメラで彼自身が写真を撮っていたとのこと。その台湾映画チームは、同日深夜の『夢遊ハワイ』上映にも来ていて、公式のティーチインこそなかったけれど、終映後はサインをしたり写真撮影に応じたり、深夜のため観客もさほど多くないため、こじんまりと密やかに盛り上がっていた。祐祐とツーショットで写真を撮ってもらっている方も何人かいらっしゃったような? 自分は遠巻きに楽しませていただいた(←その方が、やらしいよ)。

『時の流れの中で』は、堂々たる"映画の絵"になっている素晴らしい作品だと思う。画面を見ているだけでも良い。ニエズで王家副官(龍子さんちの爺)を演じた田豊さんが、《五月之戀》に引き続き、主演陣を支えるキーパーソンの"先生"役で登場する。内容的にも、個人的に好きな、宋代の書の大家の1人である蘇軾の黄州寒食詩巻(寒食帖)にまつわる話で嬉しかった。日本人の俳優さんも良い感じだし、桂綸[金美](グイ ・ルンメイ)ちゃんも『藍色夏恋』のときよりさらに美しくなった。見れば見るほど染みて来る作品なのではないかと思う。……だが、だが、やはり台湾映画ってのは、あまり緊張感がないというか、本質的に何にも起こらない話が多いなあ~と、『夢遊ハワイ』などもそうだが、思うのだ。事件が起こってドンパチやれば良いというものではないし、エンタテイメントだけが面白いわけではないのはもちろんなのだけど。

ほかに韓国の20人の監督によるオムニバス作品『20のアイデンティティー』を見る。

土曜は恵比寿の写真美術館でショートショートフィルムフェスティバルの特別上映2本とBプログラムの8本を見た。ショートショート作品は、アマチュア作品ではなく、普段、MVだったり、アートの分野だったり、アニメだったり、ドキュメンタリーだったり、ある程度プロとしてキャリアを積んでいる監督の作品なので、完成度が高く、非常に見応えがあった。下手をすると『20のアイデンティティー』よりも面白かったかもしれない。自分が見たのはBプログラムのみだが、特別上映の、日本の短編『ZOO』とユ・ジテの初監督作品『自転車少年』よりも、数段上の見応えだ。特に、韓国のカン・マンジン監督の『Pipio』は良かったと思う。死んだ祖母の遺体と2人(?)きりで暮らした少女を描いたシリアスな話だが、イメージ豊かな映像で、特にラストの羽のシーンを少女の影のみで映した映像は鮮烈。長編を準備中とのことで、彼の映画を見る日が楽しみだ。

2004.10.29

あと少し

東京国際映画祭も終盤である。『胡蝶』は、なんと日本公開が決定したんだそうだ。素晴らしい!

水曜夜に見た『独り、待っている』はごく普通のラブ・ストーリーで、まあ何だか台湾のアイドルドラマを見ているような軽さなのだが、台湾ドラマとの違いは街(北京)の風景と、男子がかわいこちゃんではないところだろう。だが、かわいこちゃんでない主演男優には不思議な魅力があった。その夏雨(シア・ユイ)は、観客にいろいろ他の人の面影を思い起こさせているようだが、自分には金勤と王志文とパク・ノシク(『殺人の追憶』の最初の容疑者役)を足して3で割ったように見えた。全体のシルエットは金勤くんなのだが、表情がパク・ノシクで、時折王志文の雰囲気を漂わせていると……そんな気がした。

夏雨も、ゲストで来てくれた女優(コン・ペイピー)と別の役の男優も、中央戯劇学院出身だそうで、そりゃ何をやらせても合格点のはずである。最初はどうなることかと思ったが、どんどん引き込んでくれて、最終的には大変気持ち良いエンディングとなった。

最も印象深かったのが、夏雨演じる主人公が失恋をして仲間(親友)の女の子の胸に顔をうずめて泣くシーン。いやあ、中国映画で若者とはいえ成人男性が女性の胸で泣くシーンを見るとは。いよいよ、大陸映画も夜明けかと、良い意味で新鮮に思えたシーンだった。うーん、まだいろいろと面白かった点があるが、これはここまで。

いや、映画に対する印象って、「映画祭レート」ってのがある気がするのだ。何本も連続して見ているから、頭が高揚していて、どんな映画でも「おもしろい」と思えてしまう状態。公開されてから、冷静になって見に行くと、映画祭で見たときほど面白くなかったりしてね。

そんな映画祭ハイ状態なので、書いていることがどこまでアテになるかは怪しいものである。

だからかどうかは知らないが、本日見てきたマレーシア映画『美しい洗濯機』もとても面白かった。いや~、マテリアルが何だかとっても可愛いのである。だいたい、洗濯機が主役である。ケチャップもかなり主役だろう(笑)。ちなみに監督は上背のある兄貴だった(←関係ないよ)。

監督は、2年ほど前の仕事の少ないころに、働く奥さんの代わりに自宅で育児と家事を受け持っていたときに使い方を覚えたレンジなどの家電製品の中で、最も面白いと思ったのが洗濯機だったのだそうだ。その洗濯機のことを作品にしたいと考えた、とにかくまず洗濯機ありきの話がこの映画なのだ、と。さらにティーチインでは、音楽のことを聞かれ、作品中で音楽を使用したのは2場面のみ、あとは全て洗濯機の音を使ったと答えていた。確かに、唯一かなり激しめのベッドシーンも、洗濯機、確かに脱水していたぞ(音のみ)。そんなふうに、実際の洗濯機の登場する場面が多いわけではないのに、いつも遠くでガーッとモーターの音がしていた。う~ん、もう1回見たいなあ。

え、『夢遊ハワイ』? 特に終盤の太った男子の登場場面は好きだし、映画自体もなかなか気に入っていたのだけれど、でも、監督の話を聞いたらクエスチョンマークが頭にぽっかり浮かんで、あまり好きじゃなくなった気がする。ティーチインのない回に見ていたら、好印象で終わっただろうに、残念。ちなみに楊祐寧は席が遠くてよく見えなかったが、想像していたよりもずっと落ち着いた大人な雰囲気だったと思う。

が、『美しい洗濯機』の入場前に、ふと横を見ると、生ヤン・ドングン!!! もちろん俳優としての仕事だからだろうが、意外や意外、ヒップホップ・シンガー風でもなく、映画の役柄のようなワイルドな感じでもなく、俳優らしい柔らかな空気が漂っていたぞ、彼のまわりには。思わず『風のファイター』の会場側に吸い寄せられそうな自分であった。(でも見た人の感想では、圧倒的に『美しい洗濯機』に軍配が上がってるね)


2004.10.27

「猫をお願い」本

張孝全ファンの皆さんに朗報(かどうかは不明)だが、昨年末台湾映画祭2003(@六本木)で上映された呉米森監督の『猫をお願い』(原題:給我一支猫)の映画本(写真集か?)が台湾で発売されている。映画は面白いとは言い難かったが、脇役として登場する孝全くんはなかなか(といっても、あのころの"いつもどおり"な感じ)なので、もし彼が載っているのなら、持っていてもいいかな。

本日、Bunkamuraル・シネマで見てきたフィリピン映画『防波堤の女』も、堂々たる作品。日々、こんなに幸せでいいのか。 

『防波堤の女』は、マニラ湾の防波堤に粗末な小屋を作って暮らす極貧の人々を描いた映画で、どうしようもなく悲惨な現実を見せてくれるのだが、そこにいる汚れた顔で粗末な衣服を観につけた人々の表情や存在感がとても魅力的だ。おじちゃんも、おばちゃんも、フィリピンボーイも、とても可愛い(笑)。貧しさゆえの辛いエピソードばかりが折り重ねられた重苦しいストーリーにもかかわらず、エンディングでは、希望を持って生きていこうという気持ちにさせられる。中でも印象的なのは、映画中、防波堤に住む1人のオヤジが弾き語る歌の、ポルトガルのファドのような哀感漂う歌声だ。それは、何だか彼らの物語の語り部のようでもある。全ての悲しみや苦しみから解放された、エンドロールの、楽しそうに歌い踊る彼らの映像が心地よい。

さて、昨日見た『ライス・ラプソディー』は、3人の息子を持つ母が、(上の息子2人がゲイであるために)まだ高校生の一番下の息子だけはヘテロであってほしいと願って奮闘(暗躍?)するというシンガポールを舞台にしたコメディで、最終的には母が、いかに息子たちのありのままを受け入れ、いかに自分自身の人生を考え直すか、というところに収束していく話である。「ニエズの周辺」的視点で言うと、断然枝葉末節だが、末息子と親友のプールの映像(→小天(祐祐)&夢のヒト(Duncanさん))とか、2人バスケットの映像(→阿青&趙英)とか、何か(笑)を思い出さずにはいられぬシーンもあった。が、最後に脳裏にこびりついたのは、シルビア・チャン(張艾嘉)の苦悩するつっぱり母の顔ばかりだ。

『ラクダ(たち)』のビビン麺に続き、海南鶏飯(『ライス・ラプソディー』の原題でもあり、ヒロインがやっている店のメインメニュー)も、食べてみたい料理となった。

2004.10.26

こっそり

昼休み。

niftyに新潟県中越地震への支援として、新潟の美しい風景の壁紙とスクリーンセーバーのチャリティコンテンツがアップされている。

昨日は、『ライス・ラプソディ』(第17回東京国際映画祭コンペティション部門)を見てきた。監督や主演のシルビア・チャンらがゲスト。後に心地よさの残る佳作だと思う。公開してほしいなあ。

2004.10.25

圧倒的な香港インディーズの力

第17回東京国際映画祭。とりあえず23~24日の予定を見終えることができた、23日は1人で、24日はニセ妹と。

新潟では、大変なことになっているようで、お見舞い申しあげます(←見てる人、いないよ)。なのにのんきに映画ネタで申し訳ない。

この2日間に見た映画で最も気に入ったのは、香港の彭浩翔(パン・ホーチョン)監督のコメディ『ユー・シュート、アイ・シュート』。韓国のポン・ジュノ監督の映画同様、「一生ついて行きます!」と思えるぐらい好きなタイプの作品を見せてくれた。同じ彭浩翔監督の『大丈夫』も予想通りとっても良くできていたし、短編『夏休みの宿題』も才気に溢れていたが、自分は、もう少し内輪ネタっぽい『ユー・シュート、アイ・シュート』の方がより好きだ。殺し屋と監督志望の男が組んで、「殺し(shoot)」の現場を「撮影(shoot)」をする話で、『タクシー・ドライバー』のトラビス(デ・ニーロ)に憧れた自分にはその辺のネタだけでも十分嬉しいのだが、ギャグも登場人物の情けなげなキャラクターも良かった。

最も感動したのは、同じく香港の麥婉欣(ヤンヤン・マク)監督の『胡蝶』だ。その見事な骨格は、昨年同じ映画祭で上映され評判の良かった謝東(シエ・ドン)監督の中国映画『冬至』に匹敵すると感じた。しかも、結末は『冬至』よりずっと潔い。30歳のレズビアンの女性の心理とそれまでの心の旅路を、香港の同時代の政情を背景に描きながら、丁寧に追いかけている作品で、題材的には一般公開は難しいのではないかと思われるが、見られて本当に良かった。結末はさわやかだが、ヒロインの新しい生活(による幸福)は永遠に続くとは信じられないし、彼女の決断によって周囲も傷ついたという意味で、単純なハッピーエンドとは言えない。とはいえリアルな物語において今や、絵に書いたようなハッピーエンディングなどというものは有り得ないのだろう。エンディングの先にまた別離や破綻が待っていたとしても、それが人生というものだし、ヒロインは自分に誠実に生き始めたのだから、それでいいのだ。でも尼僧のチャンは、松居直美でしたよ。

そして、『ユー・シュート、アイ・シュート』と『胡蝶』どちらにも、主役格で登場していた男優が、葛民輝(エリック・コット)。"ベン兄貴"こと呉毅将(ベン・ン)を思い出させる風貌で『地下鐵』DVDを見てから気になってはいたのだが、今回の2本ですっかりファンに(笑)。

合間にイメージ・フォーラムで行われていた「アトム・エゴヤン映画祭」にも足を伸ばしてみた。2本続けて見るのはきついと思われる見応えで、フェティッシュだ。『エキゾチカ』は時間がなくなってしまい、途中で抜けてしまったので肝心の結末がわからなかったが、ず~んと重い心理サスペンスの『フェリシアの旅』は最後まで見られた。孤独な人がわけのわからないことをする話というのは大好きなので、ツボである。

最初に見たフィリピン映画『ガガンボーイ クモおとこ対ゴキブリおとこ』は、昨年やはり同じ映画祭で見た『プロスティ』の深田恭子を色っぽくしたような主演女優と、ワイルドな主演男優が今回も登場していてひたすら懐かしかった。余り見ることのできない国の映画に知っている俳優が出ていると、なかなか嬉しいものなのだとわかった。娼館が舞台の大変色っぽいシーンの多かった『プロスティ』とは180度違う、ゆるいコメディ。チープな美術も良いが、ゴキブリおとこの羽の煽動のリアルさが恐ろしくて面白かった。しかし、「闘将ダイモス」って、フィリピンで見られてたんですかね。

『ベッカム、オーウェンと出会う』は、サッカー少年の友情を描いた香港映画。若い監督で、ティーチインでは技術的なことばかりを聞く人が多い中、核心に触れた質問が飛ぶと時間気にせず熱く語っていた。男の子(映画ではローティーンの少年)の恋とも友情ともつかぬ思い(と関係)を描きたかったと。

『見知らぬ女からの手紙』は、さすがの撮影だ。しかし、10代の少女が憧れ、一生愛するようになる男としては姜文のイメージはオヤジ過ぎないかとニセ妹と意見が一致し、もう少しインテリジェンスの香りただよう(あくまでも雰囲気)の俳優はいないかと論議(笑)。結論は、ヨン様あたりいかがか、と(笑)。大陸俳優は、若手俳優以外はマッチョに過ぎることだし。

深夜に見た韓国映画『可能なる変化たち』は、夜中の上映にぴったり!の作品だった。ただ、韓国のインディーズ作品、あるいはアート系映画のセックスシーン率の高さには辟易する。他に撮ることないのか? 判断つきかね、思わず"良かった探し"するしかなかったデス。

2004.10.23

明日はやいんです、が

掃除・洗濯してから、東京国際に行く予定だ。ああ、六本木は遠い。で、夜中まで映画見て、そのまま帰らずにあさってのスケジュールに突入するって……そんなの無理だ、無理に決まってる。

しかし、いちおう予定は「ガガンボーイ」→「夏休みの宿題」→「フェリシアの旅」→「大丈夫」→「可能なる変化たち」→「ベッカム…」→「見知らぬ女からの手紙」→「エキゾチカ」。数見りゃいいってもんじゃないよと突っ込まれそうだが、見るからに地味なラインナップだよ、こりゃ。少々派手なのは「大丈夫」ぐらいか。

来週日曜日の「花咲く春が来れば」まで見終えたら、"1人打ち上げ"してやろう。またフィルメックスのチケット購入もあることだし、発泡酒で……(涙)。我慢できずに駅の売店の片隅で飲んでる奴がいたら、笑ってやってください。

そしてきょう、シルミドと健さん等のDVDが我が家に届く。シーズン中なので、しばらくおあづけなのが残念だ。こんな、誰にも面白くない話題でスミマセヌ。

そんな日々を過ごすうちに、日本シリーズは決まってしまうのか!?

2004.10.21

暇なのか?

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これまた、最近の張孝全並みの、ダメっぽい写真だが(自由時報より)。3月から仕事してないって……。探偵物の撮影もまだらしい。各紙の話題(今年の金馬影展の「國際數位短片競賽」に、范植偉撮影の15分ほどのデジタルビデオ作品を特別上映するというもの)の元ネタはこれのようだ。金馬影展のこの部門は若手監督の登竜門ということだが、范植偉の映像作品を上映するのは、作品の内容うんぬんではなく単なる映画祭の話題作り……ってことだよね?

《17歳的……》は、台湾では11月27と28日にテレビ放映とのこと。早いな。


2004.10.19

復活しました

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珍しく普通の顔で撮れているな~。火傷の痕もだいぶ目立たなくなってきたようで。→記事

2004.10.18

やっと手に入れたもの(その1)

「白先勇 罪の子」で検索をかけると、すぐに見つかる文献がある。「白先勇のある系譜-『罪の子』に至るまで」という評論なのだが、「日本台湾学会編 戦後日本における台湾関係文献目録」というページにタイトル等のデータが載っているだけで、本文までは出ていない。ただ、論文が発表された雑誌名として「文学空間 3巻10号」(1995年12月出版)という表記がある。

著者は池上貞子氏。当方でも「寂寞的十七歳」というエントリの中で、『満天にきらめく星たち』(原題:満天裡亮晶晶的星星)という作品の翻訳者としてちらっと紹介した方だが、張愛玲や朱天文の研究で知られる中国語文学者で、著書や訳書も多数ある。

白先勇の「新公園シリーズ」(←しつこいですが、そんなシリーズはない)の1つである短編小説『満天にきらめく星たち』が掲載されていた「ユリイカ 1995年11月臨時増刊号」に、その邦訳を担当した池上氏は、自身「解説」として「中国における男色文学と白先勇」という題名の小論文を載せており、文中には既に、冒頭であげた文献のタイトル同様の、白先勇の文学作品群の中で特に個別には取り上げられることの少ないホモセクシュアルをテーマ(あるいはモチーフ)とするいくつかの小説を、彼の文学の集大成でもある長編『罪の子』(原題:[薛/子]子([niezi]≒ニエズ))へ至る一連のものとして捕らえようとする視点が見られる。

最初にその存在を知ってから何ヶ月経ったかは覚えていないが、「ユリイカ」掲載の解説文の筆者が、明らかに同じテーマで書いたであろう「白先勇のある系譜-『罪の子』に至るまで」という文章を、ずっと読んでみたかった。中国語が不自由な身でありながら、一応『罪の子』の原書を持ってはいる。辛うじて書いてあることを推察できても、作品を味わうことなど不可能だ。国書刊行会から発刊予定とされて久しい「新しい台湾の文学」シリーズの『罪の子』(日本語訳)がいまだ上梓されない以上、池上氏の評論が、この作品に関して日本語で読める貴重な文章の1つにであることは間違いない。そんなわけで、ゆるゆると、あるいは真剣にネット上の古書店を探し続け、あるときは断られ(←「29冊セット15,000円じゃないと売らない」と)、ついに手に入れることができたのは9月1日だった。

文中には、「ユリイカ」での翻訳が、まさに評論執筆のきっかけであったことが書かれていた。『満天にきらめく星たち』の訳出があったから、「中国における男色文学と白先勇」という解説があり、さらに「白先勇のある系譜-『罪の子』に至るまで」がまとめられたわけで、今年初め、"リアル"書店で偶然見かけた「ユリイカ」バックナンバーを手に取り、その1つに掲載されていた『満天にきらめく星たち』と出会った自分には、著者と同じルートをたどれたことが幸運でもあり不思議でもある。

『文学空間』(vol.Ⅲ no.10/編集発行・20世紀文学研究会)はB6版・約200ページの小さな本で、目的の評論はそのうち15ページほどのものである。前半は白先勇文学の位置づけと『罪の子』以前の作品を解説し、後半は『罪の子』の解題に費やされている。

前半で最も興味深かったのは、『寂しき十七歳』や『満天にきらめく星たち』よりも前に書かれた、初期の"系列"作品の1つ、『月夢』のストーリーについて触れた部分だ。

『月夢』の主人公は、初老の医師である。黄昏の中で、彼が治療したがその日亡くなってしまった急患の少年に思いを馳せながら、さらに自身の若き日の思い出を回想するという構造の短編小説だそうだ。医師の名は呉という。呉という医者と言えば、小玉の"林さん"を待ち続けた学生時代の親友、呉春暉医師を思い出さないわけにはいかない。池上氏の論文の中には、呉医師が若かりし頃の美少年との抱擁を回想するシーンの一節が訳されているので、ドラマの呉春暉医師あたりのビジュアルを想像しつつ読んでみる。

「その時の肉体の感じた慰謝は、呉医師の感受性には強烈すぎた。目を閉じさえすれば、かすかな情感が彼の胸のうちにたゆたい始める。ひんやりとした湖水がまるで彼の背に注がれでもしたようであり、手の指と胸がすぐに繊細な体に触れたようになる。その快感はあまりにも甘美で、彼には奇怪に思われたくらいだった。」 (池上貞子「白先勇文学のある系譜――「罪の子」に至るまで」より)
まあ、「あまりにも甘美」なのはあなたの文章ですよ、白先生、と今回も言いたいところだが、きっとこの短編にも、完璧な美文と背中合わせに寂寥や無常感がついて回るのだろう。『月夢』の主人公の医師は、この後、回想の美少年の面差しに似た急患の少年の遺体に触れるのだという。『最後の夜』(原題:金大班的最後一夜)などでもうならされた人物の外形や触感などのフィジカルな描写が、このほんの数行の文にも生きている。『罪の子』にも、そんな表現が詰まっているんだろうか? 物語やテーマといった部分以外の、作家が心と技を尽くした言葉そのものも、つくづく味わってみたいものだと思う。

後半の『罪の子』に関する部分では、タイトルにあるような「『罪の子』に至るまで」の流れが、"系統"作品すべてにわたり説明し尽くされているわけではないのだが、『満天にきらめく星たち』に登場する「俺たち」が、『罪の子』中の登場人物としてどのように展開されたかといった読みが興味深い。

『罪の子』は1977年から発表され1983年に最初の単行本が出版されたのだが、白先勇自身は1971年から書き始めたと言っているそうだ。つまりは30年以上前の小説なわけだ。とはいえ、それは唯一の長編としての"総まとめ"的な作品ではなく、例えば登場人物の設定(=中心になっているのは社会の底辺で生きる若者たちであること)1つをとってみても、上流階級の大人が描かれることの多い白先勇作品の中では異色であり、そのほか多くの面で画期的な作品なのだという。

池上氏は、「相公(かげま)」という伝統的な中国式男色の概念に対し、「『罪の子』は売春という本来「相公」の抱えるイメージを事柄として扱いながらも、その社会性や文学上の扱い方は欧米のそれだと思う」と述べ、『罪の子』がゲイという新しいコンセプトで書かれた作品であるとしており、さらに、後半で若者たちの支柱となる傅老人(老爺子)という大きな存在と、彼が気にかける孤児院の子供たちなど、阿青たちよりもさらに厳しい境遇に生きる小さな生命の存在が、小説に陰影と奥行きを与えていて新しさを感じると書いている。

ニエズという公共電視制作のテレビドラマを振り返ると、30年前のこの意欲的な小説が、テレビドラマとして視聴者の興味を引くように、見やすいように上手く作られていると(原作を読んでもいないのに)感じる。「青春鳥という言葉は、新公園にたむろして男性売春をしている少年たちをさす」と池上氏が説明してくれているが、確かにこれは、それだけでも(表面的には)かなり過激な題材だ。

白先勇は「『罪の子』で描かれているのは同性愛者であって、同性愛そのものではない。作中には何ら同性愛的描写はないし、登場人物は被圧迫者なのだ」と述べているそうだが、なるほど確かに、親子や兄弟や仲間の間の愛情(愛憎)以外で、「恋愛」が描かれているのは龍子と阿鳳のエピソード部分ぐらいなものだろう。

原作では、李青の実験室での出来事の相手は、趙英(楊祐寧の役)ではなく学校の職員である。白先勇はインタビューで「当初は事件の相手が李青のクラスメートであるという脚色は受け入れ難かった」と述べていた。これに対しドラマの曹瑞原監督は、李青の相手をクラスメート(趙英)にしたのは、(そうすることで"淫行事件"の持つショッキングなイメージを、誰もが持っているような初恋の美しい思い出の1コマと変え)、視聴者が、20話の物語を引っ張らなければいけない李青という主人公に感情移入しやすくするためだ、というようなことを語っていたと思う。

ドラマに阿青の淡い恋愛物語を挿入したことは、確かに監督が言うとおりの効果を生んでいる。だが、この物語のテーマは父と子であり、社会と個人であり……いや、文学作品のテーマをこんなところで断じるのは浅薄に過ぎるが、少なくともテレビドラマだけを考えても、恋愛に終始しない話は恋愛とは無関係な人間をもシラけさせない。

翻訳されたわずかな作品を読んだだけなので、あくまでもその中での印象だが、ニエズの物語は白先勇のほかの小説に漂う虚無感のようなものが薄く、メインとなる登場人物が若いということもあるが、とても力強く前向きな作品だと思われる。その点こそ大きな魅力だろう。それとも、その彼らも老境にさしかかれば、白先勇のほかの作品の登場人物のように、黄昏の中で人生を振り返り物思いにふけるのだろうか。

老人すらもたそがれているばかりではないニエズのドラマ中で最も好きなシーンは、終盤近く、老爺子が李青父を訪ねる場面だったりする。

そしてこの評論は、さらにまた別の、『罪の子』に関する文章に自分を導いてくれたのだった。それについては(その2)で。

2004.10.17

東京にも

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楊祐寧が来てくれるようだ(「アジアの風」のゲスト発表)。

画像は、『夢遊ハワイ』ではなく、新作《怎麼浪漫都可以》。(聯合網より)

さらに、祐祐は游鴻明(クリス・ヨウ)の10月22日発売のニューアルバム「秋季戀歌-第一千個晝夜」中の「第一千個晝夜」という曲のMVを撮影。この記事にも東京(映画祭)に来ると書かれている。

しかし祐祐の話題と、孝全くんの火傷の記事ばっかりなんだけど……台湾ニュース(寂しい)。

2004.10.16

シーズンの始まりは

14日夜、東京国際ファンタスティック映画祭の少女椿(『地下幻燈劇画 少女椿』)から。丸尾末広原作の12年前に発表されたアニメーション。過去にもファンタで上映されている。昭和(初期)を舞台に、美少女のみどりちゃんが父も母も失いたどり着いた「見世物小屋」で起こる出来事とそこに生きる人々、そしてみどりちゃん自身の運命を描く。(技術的なものはわからないが)セル枚数のみを誇るような作品じゃないのに、こんなに綺麗なアニメができるんだねぇ、とババは感嘆した。しかも自主制作だ。

作品の紹介にある「上映禁止」「輸出禁止」「エログロ」「アブノーマル」などの文句に、心地良さなど期待せずに見に行ったのだが、ピンク、紫、赤などの鮮やかだがよく統制された色彩と、魅力的な表情、狂わないデッサン、懐かしすぎる背景画は、そんなオドシを蹴っ飛ばして余りある快感だった。映画と同時に館内で行われた監督手づから演出のアトラクション(照明・音響その他の効果)は嬉しかったが、やはり、この話の舞台である「見世物小屋(赤猫屋)」感覚が、ミラノ座のような大きな劇場では出せないことだけが少し残念。でも大画面で見た昭和の街並みは臨場感に溢れていた。背景の中に、自分も入っていけるような気がして……。

昨晩(15日)は、韓国・タイ映画のオールナイトに行ったが、行く前に飲んでいたのと、1本目の『TUBE(チューブ)』(韓国)のあまりの面白さに機嫌を良くして、2本目の『ボーン・トゥ・ファイト』(タイ)中さらに発泡酒(←チケット貧乏。とほ)を飲んでしまったのがたたって、3本目と4本目を6~7割方寝てしまうことに……。どれも、かなり面白かったのに。

昨年、一昨年のファンタの、アジアホラーのオールナイトよりずっとレベルの高いエンタティメント作品ぞろいだったと思う。

舞台挨拶には間に合わず、ぺ・ドゥナ(『TUBE』)もイム・ウンギョン(『リザレクション』)も生で見ることかなわず。

『TUBE』はつっこみどころも多々あるということだが、そんなことはさておき、何も考えずにひたすらストーリーに引き込まれる、内容的にも、面白さでも「ポスト・シルミド」のような作品だ。この映画におけるヒーローは、本来のヒーロー(主人公)であるなかなかいい男キム・ソックンではなく、彼の運命の男(!)である犯人役のパク・サンミン(←地獄を背負ったような暗く冷徹な顔と立ち姿が魅力だ)と、いつもは一癖ある脇役を演じているソン・ビョンホが演じる地味で真面目なソウル地下鉄の統制室長(←海江田四郎のようだった!かっこよすぎ)だろう。毎度おなじみ的役柄でキ・ジュボンさんも出ている♪ そして、乗り物好きにも嬉しい映画だ。

それにしても、ぺ・ドゥナの出る映画って、エンタティメントにしろ作家性の高いものにしろ、みんな良いよなぁ。しかも彼女の演じるラブシーンはなぜかさわやかだ(『復讐者に憐れみを』さえも)。『TUBE』は11月に一般公開されるので、期待せずに見てみてください(←何じゃそりゃ)。

2004.10.14

シアヌークとダチ

いまだ、書きかけのニエズネタ2本と映画ネタ1本が書き終えられず。

カンボジアのシアヌーク国王が退位か

このasahi.comの記事を読んで、思い出したあるギャグマンガが、どうしても誰の作品だったかわからず、ウチにある相原コージやら中崎タツヤやら吉田戦車やらの単行本を探してみたのだか、昔懐かしいマンガを読んでしまうばかりで、見つけ出せない。よもやまさか、ほりのぶゆき様作品ではあるまいし。

たしか、子どもが学校から帰ってきて、友だちから自慢話を聞かされたか、何かを自慢されたかしたが、自分には自慢できるものがないというようなことを親に相談するのではなかったか? 違うかな? そうすると父親が「お父さんなんか、シアヌーク殿下(←当時、まだ「殿下」だった)と友だちなんだぞ」とか言って子どもを慰めるというオチだったような。うーーん、ほとんど覚えていないのだが。間違っていたら、すみません。

とにかくシアヌーク殿下と友だちという言葉のインパクトが強く、いまだにそれだけが頭に残っていて、今日突然、ニュースのシアヌークの文字にそのマンガの台詞を思い出したのだ。

2004.10.10

台北人シリーズ刊行

ここ用の記事が、どれも書きかけのままアップロードできないでいる。このところ、最後まで書きとおす根気がないのだ。ついつい無駄に長い文章になるし。こんな気合いのはいらない状態では、当然、東京国際映画祭のチケット発売日も認識しておらず、買い逃す始末である(特別招待&コンペ)。

しかし、吉報もある。国書刊行会・「新しい台湾の文学」シリーズの『自伝の小説』を昨日購入した。本の巻末にあるシリーズ刊行予定には、いつもどおり『罪の子』も「近刊」として挙がっていたが、その中で初めて見た気がするのが『台北人』というタイトル。著者はもちろん白先勇。いよいよ、台北人のシリーズが1冊になって日本語で読めるようだ。

気を取り直してがんばることにしようか。
    ↓
11日発売分の希望のチケットは、1枚を除き、他は何とか取れました。問題は、全部見る体力があるか、ってことだ。

2004.10.04

何だかわからず

ホ・ジュノを楽しみに見たのだが、『火山高』のテレビ放映……。

ウチのテレビは1つしかない。昼間から楽しみにしていたのに、CM中トイレに立っている間に、家族にチャンネルを替えられてしまい、すごすごと自分のPCを立ち上げた。急きょ"キャプチャできないテレビチューナーつきキャプチャボード"(←対応機種を間違えて買ったためテレビを見ることしかできない)を接続したものの、ただでさえ安物でさほど映像の美しくない装置である上に、慌ててテレビの同軸ケーブルの芯を折ってしまったため画面にはさらに砂嵐が吹き付け、もう何が何だかおぼろげだ。それでも、痛い目を堪えながら必死で見た。

ピョン・ヒボンさんはここでも怪演。彼の台詞だけは生声で聞きたかったな。初めて見るチャン・ヒョクが可愛い。スーチーを彷彿とさせるシン・ミナちゃんも可愛い。『品行ゼロ』・『ガン&トークス』で印象的だったコン・ヒョジンは、ここでも番長格の女の子を演じている。そしてやはり、あのヒト(=ホ・ジュノ)は素晴らしかった。パッツパツだ!

とにかく万障繰り合わせて、なかなか面白いぞと盛り上がっていたラスト30分。昔の職場の後輩から仕事の相談の電話が入り、内容が深刻だったためむげにもできず話を聞く。そんなわけで、結局、映画がどうなったのかわからずに終わる。目の痛さだけが残った。がっくり。

そういえぱ、封切り当日の夜、地元のオールナイト上映に行ったが、飲んだ後だったため間断なく睡魔に襲われ続け、上映2回分近く座って見ていたにもかかわらず一向にストーリーがつながらず、それが功を奏してか(爆)、返って美しさだけに感動することができた『LOVERS』なんていう映画もあったっけ。いや、あれもまた、結局どんなストーリーなのかわからないまま……。寝た、寝た。

2004.10.02

張孝全、負傷

台湾ファンの間では、入隊前に当人を囲んだ"お見送り"のお茶会をしよう、などという告知も出ていた張孝全だが、9月30日の夜、消防ドラマ《火線任務》現場で撮影中に火傷するという事故があったよう(記事1)。大怪我ということもなさそうだが、火傷のおかげで、10月予定されていたドラマ《醋溜族》最終回ゲスト出演のオーストラリアロケは、どうやらキャンセルか? そしたら、あとは11月から兵役が待ってるだけじゃん(涙)。

昨晩、11時閉店まぎわに飛び込んだ職場近くの書店で購入した「POP ASIA」の53号(2004.10月号)には、何と見開き2ページカラーの《火線任務》のロケレポートがあったというのに!(ニエズ紹介記事もあり) 日本の雑誌でこんなにくわしく、日本で見られもしない(?)ドラマのロケ記事が読めるとは! と感激していた夜だったので、昨日の孝全くん火傷の報にはびっくり。 

今号の「POP ASIA」は台湾(ドラマ&ポップス)特集を組んでいる。正直言って、韓国だろうが台湾だろうが、基本的にはテレビドラマや若手芸能人には興味がない。美形だろうが何だろうが。

もちろん韓流のおかげで、韓国映画がたくさん公開されることは本当に有難い。台湾の場合は、台湾映画界自体がまだ"活況"からは遠い状態なので、F4などの力により日本国内で多少のブームがおきたとしても、自分にはあまり関係ないだろうなあ。

じゃ、なんでこんな「ニエズの周辺」なんてカテゴリを作っているかといえば、そりゃ単に"腐れ"ているからだろう(←開き直るなよ)。ただ、それだけだ。ニエズは見応えのあるテレビドラマだが、ニエズだけが台湾ドラマの中で特別にクオリティの高い作品だ、とも思ってないしね。

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